〝一線超えて〟からが、アーティストの本領発揮だ。 狂気と向き合い、狂気に呑まれないように抗う。
私は今、現代アーティストと名乗っている。
図々しくも(笑)
ただ今は、アートと社会が分断されすぎていると感じる。
また、数々のアートイベントが、次に繋がらない単発のイベントに見えてしまう。
なんかお祭りしてるようにしか見えない。
作品の説明もわかりにくい。
本来なら、アーティスト側が相手にできる限り意味(価値)を伝える必要があると思うんだ。
だけど、今流行りの「現代アート」はコンセプトを重視するのはわかるが、相手に理解されようとする気が感じられないのだ。
本来なら、自分の生み出した作品、実業の世界でも開発したプロダクトの良さを徹底的に開発者が熱意を込めてプレゼンする!語る。
論理的に、何故このプロダクトは他と違うのか、数年後にどのような未来を描きたいとか訴えるよね。
アートの話に戻るが、「わあ、その作品素敵…」そう思う作品に出会えど、正直その価値って周りに本気で伝える気があるのか、わたしには伝わらない。
難解過ぎる説明もしくは理解しづらい説明では、「理解できない作品」では一部のマニアックな人達にしか響かない。
それでいいのか?
アートは、人を巻き込むべきではないのか?
実業界(若手起業家など)、政財界、どこまで巻き込め、熱狂を、いや狂気に酔わせられるかだ。
まだまだ、業界を超えた〝融合〟は生まれていない。
そもそも、実業界の方で、アートに価値があると信じている方は少ない。
コストと固定費をいかに減らし、利益を最大化するかがKPIである以上仕方ないんだ。
基本アートってさ、経営者からみたらコストなのはわかるよ。
だけど、文化ってそんな冷めた考えを吹き飛ばしながら、築いていくもんでしょ?
私は決して屈しない、
アートの価値を異分野に伝えていく。その糸口は既にいくつか用意した。
あとは、〝いつ〟実行するか。
私は、負けない。
絶対に、負けてまるもんか。
様々な業界を巻き込む。そして、
今まで大衆に「アートって意味あるの?」
そう思われてきた、アートの歴史及び価値を
訴え続けるんだ。きっと、アートの価値は再度見直されるだろう。インスタ映えじゃない!エンタメでもない。アートとして。
私は、〝アートの価値〟を〝再定義〟し、
そして、アートの価値を私の得意のPR力で広める。
社会性がある作品?
no no no!!!!!!!!!!
私は駆け出しのアーティストが、存分に狂気を発現できるようにしたい。
今アーティストは、
社会性と藝術(狂気)それだけではなく、資本主義のなかでどう生きるか、試されている。
だが、社会性を気にし過ぎる必要はない。
〝一線超えて〟からが、アーティストの本領発揮だ。
狂気と向き合い、狂気に呑まれないように抗う。
駆け出しのアーティストは、今の世の中では
①圧倒的画力、魂がこもっているか。
②思想(死生観)
③歴史との俯瞰
④自己プロデュース(SNS)
⑤社会性との共存…(社会性が邪魔して、突き抜けられない人は多いだろう。過度なインテリ思考は時として才能の発言の邪魔をする。)
⑥英語など語学力
⑦経営者or起業家としての能力
なとが求められている。もはや、経営者だ。
支離滅裂になったが、
私は、現代アーティスト、アートとともに生きそして死ぬと決意した。
誰も見たことのない世界を築くんだ。
ちなみに、2年前からアートと経済の融合も進めているよ。融合してみせるよ。
とにかく、やれるところまでやり遂げてみせる!
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