見出し画像

自分の“好き”が中途半端だと感じたら

どの界隈にも、上には上がいるものである。

先日、アニクラに行ってきた。アニソンがかかるクラブのことだ。

アニクラに行ってから、ちょっと落ち込んでいた。自分よりはるかにアニメの熱量が高い人たちを目の当たりにして、「完敗だ……」という気持ちになったのだ。

たとえば好きなアニメを答えるとき、他の人はかなりマイナーな作品をあげていた。比べて自分は最近話題の作品しかほとんど観ていない。

「あれ、自分みたいなのがまさに“にわか”ってやつじゃね……?」アニクラの雰囲気は楽しかったけれど、ひとり場違いなんじゃないかと不安になった。

もともとアニメを観る本数が少ない自覚があった。冬アニメも現時点で4.5本観ているけど、Xで見かけるアニメ好きは毎クール数十本くらい観ている人がざらにいる。

アニメに限った話じゃない。自分は漫画や音楽も好きだけど、じゃあ数百冊漫画をもってますかと聞かれたらノーだし、遠征するほどライブに行ってますかと聞かれてもノーだ。

好きだから、いっぱいアニメを観る。好きだから、いっぱい漫画を買う。インプットの量は、“好き”という熱量の高さの証でもあると思う。

インプット量が少ない自分は中途半端なんじゃないかとひしひしと痛感してしまった。好きって言うのがちょっと恥ずかしい気分になった。

でも、そんなに自分の“好き”は中途半端なものか? と冷静になって考えてみた。

すると、「いやいや、相当好きじゃん! って事例もあるぞ!!」って思い当たることがいくつもあった。

大好きなYOASOBIの『アイドル』は、配信されるより先に曲を聴くために劇場まで【推しの子】を観に行ったり、ツアーに参戦して『アイドル』の初披露を拝んだりした。

まどマギが好きすぎて、まどマギ展という展示会に行った。エヴァが大好きで、映画館でリバイバル上映された序破Qを4DXで観た。

好きが昂ったこと、案外あるじゃん! なお、普段の自分は相当なインドア引きこもりだ。外に出てうおおおおって活動すること自体がめずらしく、人以上にハードルが高い。

十分好きな気持ちはあるのに、なんで中途半端だと感じたんだろう? それはきっと、人と比べてしまったからだと思う。

もう一度言うけど、上には上がいるものである。それはスポーツみたいな競争ごと以外の世界でも同じだし、上を見たらキリがない。

じゃあ、どうするればいいのか。結局、マイペースに楽しむのが一番なのだ。

数や量で人と比べるとしんどくなるなら、比べない。自分が好きで楽しんでいるならそれでいい。

自分なりに楽しめていたらいいし、“好き”がたりないってへこむ必要もない。その確固たる“軸”があれば、なにも気にせず思う存分好きなことを楽しめるんだろう。

この記事が参加している募集

この経験に学べ

沼落ちnote

よろしければ、サポートお願いします!いただいたサポートはライティングの書籍代に使わせていただきます🙏