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16 身体の感覚に従うとこうなる。

以前「アーシング」という言葉を聞いたことがある。裸足で砂浜を歩くとか芝生に寝転がるとか、地球と直接つながる…みたいなことをすると何やら良いらしいけど、あまり興味が持てなかったから真剣に考えたことはなかった。

私の感覚としても、身体が地面から離れれば離れるほど不調につながるのは確か。
今世、空の旅は国内便で4回。どれも死ぬかと思った😳外国に行きたいと思ったことがないからパスポートは持ってない。今後も「どこでもドア」が発明されない限りこの島国から出ていくつもりはない。
実家は2階建て。今は3階に住んでるけど、私はだいたいこの辺りの高さが限界。それ以上高いところは身体がおかしくなる。高層ビル18階で働いていた時は目眩が酷くて、自分が揺れてるのか建物が揺れてるのか分からなくなった。

ダメージを被った日。

アーシングが良いのは理解できる。でも私は裸足で砂浜は歩けない。足の裏がこちょばい。(←これ関西弁?標準語は“くすぐったい”かな?)
いつからだろう…🙄と考えると物心ついた頃からだった。裸足はあまり好きじゃない。幼稚園で裸足と水着の泥遊びの時間があったけど、不快だった。小学生時代、プールサイドを裸足で歩く感触が不快だった。今も裸足でフローリングや畳を歩くのはあまり好きではない。完全にダメじゃないけど長い間はイヤだ。おそらく芝生の上を裸足で歩くのも、こちょばくってムリ😃足ツボマッサージも足に触れられること自体がムリ😥 ←最後の方はアーシングでも何でも無いけどさ😳

これってなぜなんだろう。
まだ「コレだ」という気持ちの良い答えが見つかってない。(←…って言ってると答えは降りてきそう🙄)
でも“氣”の流れにもかかわってくるのかな。
私は最近特に、手からの“氣”を活用中。✋✨
おトイレでお腹に手を当てると腸がゴロゴロっと動いたり✨、カラダに手を当てるとちょっとした不調なら和らいでしまう😌

さて、私の場合、足裏や手だけではなく皮膚感覚が過敏だから皮膚に触れるものすべて「心地良い」が必要。私の“心地良い”は、“無感覚の状態”のことを言う。「触れている」という感覚が無くなれば“心地良い”。できれば皮膚全体が何かに包まれていたい。
ベストな感覚は
「39℃の湯船に潜って静止」。←変人😏✋
お湯の感触って何であんなに気持ちいいのだろう。
でも、私はアユ(鮎)だけど、魚じゃないからせいぜい1分が限界🌀そーゆー時は仰向けで鼻と口だけ水面に救済。天井を見上げて、水と心臓の音を聴く。

プクプクプク・・・♨️
ドキドキドキ・・・💗

皮膚感覚を心地良く保つために気になることが他にもある。夏の日差しやエアコンの風が苦手で、袖がある服しか着ない。麻や綿が心地良い。ナイロンやポリエステル、ウレタンや化学繊維は身体が冷えたり硬くなったりする。素足にサンダルもやめた。冬は冷たい風が当たるのが苦手で色んな物をマキマキ🧣🧤🧦。そうすると全身に纏う静電気を常に感じるから嫌だ。。ふいに放電した時、心臓がビクッとなって寿命が縮んだ気になる😂どーしよーもない。

聴覚過敏のお耳が冷えるー🌀

数年かけて徹底的に追求した私の「心地良い」。
自分の感覚に正直になった結果、“快・不快”が明確になる。だけど、ある時こんなことに気づく。

「このまま行くと
 どんどん生きづらくなるのでは?」

この気づきは「何が心地良いか」を徹底追求し切ったと同時に押し寄せる
「好き」が分からない段階や、「心地良い」を見ず我慢していた時とはまた異なる「生きづらさ」。
ここからが肝。
身に着けられないものに加え、食べられないもの・受け付けない人・嫌な感情・見たくないもの…
例え、無意識でも「制限ばかり設ける」道を選ぶと、この世では漏れなく「生きづらさ」を体験することになる。そんなことばかりに意識をフォーカスすると、脳の中では

一旦“ダメな事象”にフォーカスし、それを排除する

という作業を繰り返す。だってこの世の中、圧倒的に“ダメな事象”が多いから。(←私は特に😓)
私のような人は一見不利。でもいかに制限をなくしていくか、が生きやすくなるコツ。
自分をぜんぶ知り尽くしたら

“合う・合わない”
“快・不快”
“善・悪”   

これら二元性で成り立つフィールドごと手放し
中庸(=ゼロポイント)に戻ることが大切。
〚注意〛重篤なアレルギー症状でない限りネ😉

この事をもう少し分かりやすく例えると、、
私は聴覚過敏がある。外出する時に高性能ノイズキャンセリング機能のあるイヤホンをしてると心地良く、通りすがりの不快な話題や騒音に気を取られず快適に過ごせる。
ある時、外出時にイヤホンを忘れた。すると、久しぶりの外界の騒音が肉体的にも精神的にも相当ダメージを被った😢 イヤホンというアイテムを知らなかった時のほうが、ましだった。
以前より遥かに耐性が落ちたのだ。
つまり聴覚(=脳)を甘やかしすぎた。外界をシャットアウトしてしまうより、それ有りきの状態に慣れてしまうほうが生きやすい😊悲しいかな「心地良いを選ぶ」と「甘やかす」は紙一重・・・。
要するに、「イヤホンが有っても無くてもいい」「どっちでも心地良い」という境地をめざす。脳は鍛えられる。

太ももに筋肉をつけたい✨

私たちの肉体(=脳)はいくらだって「怠惰」な方向に突き進める。だからといって自分に厳しくするのは逆効果。無理させるのも禁物。自分にとっての最適バランスを見出す必要がある。その為には「自分を知る」しかない。
どんな症状や概念に出逢ってもそこで終わらず、誰かの意見を盲信するのでもなく、「自分の症状を言語化&体系化して説明してくれた」と受け取る。
そして自分流に少しずつ慣らして行くほうが生きやすくなるはず✨
「絶対にダメ」と思ってる事柄も自分がそう思い込んでいたり、そもそも自分だけの強固な観念かもしれない。思った以上に“思い込み・観念の威力”は凄まじい😅 (経験者は語る😵‍💫。笑)
だから、、

①「どうやら凝り固まった観念があるらしい」
 と認識する
②自分の持っている観念に気づく
③手放す

この繰り返しが「統合」を加速させる。地球で五感を通して得られる知覚はぜんぶ脳が制御してる。これは何にでも応用できちゃう。
②まで来たらほぼ9割完了✨終わったも同然😊
③は放っておいても自動的に発動してくる。
これで無敵✌️
私がめざしている状態は「最強」ではなく
「無敵」
マリオがスター🌟取ったときみたいな。

Ayumi☽





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