24 高い感受性の源
子どもの頃、英語の塾に通っていた。
アルファベットに頭が混乱😵。一生懸命叩き込もうとしたけれど、英語に慣れることはなかった。
DoとDoesを使った疑問文。
「先生にアナタの答えを教えて」と言われ頭を抱えた。文法うんぬんではなく引っかかるところがあり過ぎた。大した質問じゃなかったと思うけど、私は真面目に考えた。
😃(心の声)「好きでもキライでもないしー。
それってどー言えばいーのかなー?」
黙り込んでいたら、先生に「どうしたの?」と言われたので心のままに質問してみた。
😃「好きでもキライでもない時は
なんて言うんですか?」
すると先生は「SoSo(=まぁまぁ)ね!」と言った。
😃(心の声)「そぉそぉ??😒
いや…“まぁまぁ”とも違うんだよね…
英語って不便🌀🌀😥」
Yes、No、SoSoの3通りしか答え方が無いんだと思い込んだ。(←のちに撤回)
私はこんな子どもだった😏
今思うとテキトーに答えればいいものを、クソ真面目な自分が愛おしい…(*//艸//)♡♡
私はやっぱり日本語が好きだ🇯🇵✨日本語は美しい✨
外国の言葉に比べて圧倒的に繊細😌(←勝手に認定)
だから日本語を操れる自分を誇らしく思う。だからこそ自分の紡ぐ言葉を大切にしたい。
言葉って、みーんなが知ってる単語を単に組み合わせてるだけなのに、無限のバリエーションがあって、使い手によって膨らみや空気感など印象が全然違う。不思議ー😃
私が特に愛してやまない言葉がある。
「ぐるぐる」「まぜまぜ」「キラキラ」✨
こーゆーの。副詞やオノマトペっていうのかな。
二度繰り返す言葉が日本語にはたくさんある。
外国では、幼児語として大人からは忌み嫌われるらしいけど、日本人は大人でも使う。
ムニュムニュ、モチモチ、ポニョポニョ・・、外国ではこのような言葉はどのように表現したり感受してるのだろう…🙄
雨が降っている表現だって数え切れない。
しとしと、ザァザァ、ポツポツ、パラパラ・・・
外国にはここまでのバリエーションはあるのだろうか。そもそも感受し、表現しているのだろうか。
自然界の音を言語化できる感性は日本人の特性で、明らかに突出している✨感受性が豊かな人種であることは言うまでもない。
角田博士いわく、9歳頃までに日本語が母語で育った人でないと、虫の声は聴こえないらしい。なぜなら、日本語で育てば自然界の音(母音)は左脳で処理するから言葉に変換できるのだ。日本語以外で育てばそうはいかないらしいのだ😃。
「無意識脳」や「音楽脳」と呼ばれる右脳で処理するから雑音として意識から外れてしまう。
嗚呼、不思議🙄
つまりツクツクボウシやヒグラシの声は雑音に紛れる。。。日本人からすると、「虫の声が聴こえない」なんて未だに信じられない・・・。
🐦…
さらにもう一つ、、日本語の話。
「間(ま)」の概念ってとっても素敵だと思う。
「居間」「仏間」「束の間」「絶え間」「昼間」…
「間が悪い」「間を持たす」「間を置く」・・・
“空間”や“時間”のあいだを一字で表す。
“間”って物理現象を説明しているのではなくて「何もない空間」を表している。日本語を創った昔の人はそーゆー何もないところに“何かある”ことを元来知っていたのだ。科学で証明される前から直観的に分かっていたからこそ😌
さすが最古の言語はすごいなー。
*
「空間」には新たにエネルギーが入る。
だから私たちは家(箱)の中に住む。
箱の中は、外より“圧”が高まるから。
箱の中はできれば「何もない」ほうがいい。物を置いたりすると、途端に物がエネルギーを奪う。
「空間(=空っぽの間)」がいちばんエネルギーが高い。
この「空っぽ理論」は何にでも当てはまるらしい。
カラダに置き換えて考えてみる。
風邪とか手術後とかでぐったりしている時、絶食して胃や腸の中を空っぽにして体力回復を試みる。「何もない」からこそエネルギーが入り、自然と回復が促される。カラダの自然治癒力。
次はあたま🧠✨。
思考をやめ、あたまを空っぽにすると直感が降りてくる。悶々と思考を巡らせている間は、アチラの世界と繋がることはできない。
あたま🧠もカラダも例外ではなく、何もないところ(=空間)に新たなエネルギーは入ってくる。
人生においても。
家、仕事、財産…、、失ったらそこにはエネルギーが入る。だから必ず救われる。そーゆーしくみだ。
喪失感は勿論あるけど、その後はもう、“上昇”しかない。これは失った経験、ゼロになった経験者にしか分からない感覚。
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目に見えない領域だけど確かに在る。
「間」とは、素晴らしく明快な表現だ。
日本人の高い感受性の源は「日本語」。
「音」「言霊」…、宇宙の万物すべては「周波数」に集約される。
日本語を操ること自体が高い感受性を発揮した状態。日本に生まれて得した気分✌️♡
日本語バンザイ٩( ᐛ )و
Ayumi☽