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書くことが好き、ただそれだけ。

どうやら私は、常に何かを書いていないと落ち着かないらしい。逆に言えば、書いてさえいれば他には特に何もいらない。

媒体は本当になんでもいい。この頃更新頻度が下がっているのはレポートやらエントリーシートやらに追われているからなのだけれど、私はそれすらも楽しんで書いている。そいつらはそりゃもう言うまでもなくめんどくさい課題たちだ。それでも何かしらを考えて書くという行為そのものが、なんというか生きてるって感じがする。

だからnoteが書けなかった日も、なんだかんだで私の中の書きたい欲は満たされていた。それでも自由に書きたいものが書けるnoteに勝るものはないと思うけれど。(もしかして「書きたい欲」も「見える化」みたいに気持ち悪い日本語なのかしら、まあいいや)

さして興味のない内容のレポートも、自分と必死に向き合って企業様のご意向に沿ったものを書かねばならないエントリーシートも、文章を考え文字に起こすという行為が好きだからこそ楽しんで乗り越えられる。


生まれてこのかた書いてない時間の方が短かったのではないかと思うほど、私はとにかく書いて書いて書きまくる人生だった。今までに何度も話しているから割愛するけれど、物心ついた頃から絵本や漫画や小説なんかで常に何かを書き続けてきた。

そういえばみんなの嫌がる作文も好きだったし、私は文字さえ書いていればなんでもいい人間なんだろうな、とよく思う。

昔から口で話すよりも、絵や文字で表現する子供だった私。おかげで口下手は未だに引きずっている。就活、面接で落とされまくる気しかしない。本当に口で話せない。陰キャコミュ障ニート上等。

でも、それだけ書くことは私の生活から切り離せないものなんだと言える。言ってしまっていいと思う。


一生何かを書いて生きていきたい。それだけでいい。

いわば文字は右腕だ。もしそれを切り落とされる時が来たとしたら、私はさぞかし残酷な断末魔の叫びを上げることだろう。

書くことを生業にするということ。現実的に考えてみれば労力の割にたくさん稼げるわけではないし、世間から褒めそやされるような職業でもないかもしれない。だとしても、もしそうやって生きていけるなら幸せだなあと思える。

きっと、ここにはそんな人が少なくない。書くことが好きで好きでたまらない人たちが、このnoteというプラットフォームには溢れている。そういう人たちの文章を読むのも私は好きだ。自分には生み出せないような表現や発想にはいつも痺れるし、どうしてこの人がアマチュアなんだと思わされるような文章すらある。

noteを始めてからというもの、数え切れないほどの才能を目にしてきた。到底追いつけないと思うし、私はまだまだ未熟だということを知った。それでもなお、書くことが好きなんだと実感できたこと。これがこの半年で得た大きな収穫だ。

好きを仕事にすることには賛否両論ある。私は、仕事を通じて好きの酸いも甘いも両方知りたい。仕事だとしても、どうせなら楽しみたい。世間体とか親の理解とか、もし好きじゃなくなったらとか、切り抜けなければならないものは山ほどあるけれど。

それでも私は私のために生きたい。だって書くことが好きだから。


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