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『”常識”とは18歳までに身に付けた偏見のコレクションでしかない』を少し掘ってみた~そもそも常識なんて無い~

今日も1日お疲れ様です‼
早速note始めて行きたいと思います(^^♪

今回はやや突飛な考えに着地するかもしれませんが、
是非最後までお読みください(^-^;

”常識”とは18歳までに身に付けた偏見のコレクションでしかない

これは、アインシュタイン氏の言葉として有名な言葉。

常識と言われているものは、
18年生きた中で培われる。
とのことです。

これは常識でしょーーーー!と思うことも、
実は18歳まで生きた経験で身に付けた”偏見”であると。
マジョリティの意見であると。

ただ、マジョリティもあくまで”人間の集団”の中で多数というだけで、
その多数の意見に従っているということで、
”偏見”なのかもしれません。
人類70億人の中では、きっとマイノリティなので”偏見”でしょう。

偏見しかない

常識がマジョリティの意見だとしたら、
それは、どの集団を基準にするかという無意識的な設定があると思うんです。

そして、自分の中で常識があったとしたら、
それをどこかの誰かもそうすべきと思う気持ちも、
きっと偏見なんだと思っています。

聞いたはなしでは、
日本人の時間に正確な国民性は、
海外の人たちから見たら”異常”なんだそうです。
日本では1分電車が遅れるとアナウンスがかかりますもんね。
でもそれは日本では”常識”
海外から見ると”異常”や”非常識”という解釈に分かれます。

きっと地球全体から見ても”異常”なんでしょうね(^^♪笑

自分の常識はどの範囲まで通用する?

普段自分が常識と思っていることも、
自分の周りの生活圏だったり、
自分の知り合い界隈だったり・・・
その手の届く範囲の中では通用するものだと思っています。

その基準を、世代、国、宗教、
少しだけ変えてみるときっと”偏見”になるのでしょう。

アメリカでのチップ文化はアメリカでは常識で、
ホテルのベルマンに部屋まで荷物を運んでもらったあと、
そのまま素通りしてしまったら”非常識”だと思われるでしょう。
もしくは”サービスに不満がある”と思われるそう。

そもそも常識というモノは無い

と、
アインシュタインさんの意見を飲み込まずに、
自分の意見を書いてみたいと思いますが、
そもそも常識というものは無いと・・・
思っています。

常識というのは、
人間がある特定の現象、状況をたくさん経験して、
その中で学習した認識
であって、
それが何を意味するかはその人の解釈です。

挨拶をするのは常識。
それは、挨拶をするという状況に、
自分自身が特別の意味を見出したということだと思うんですね。

特定の環境に育って、そこで受けた特定の経験に対する印象や行動を
あたかも違う地域、国の人たちも同様であると錯覚してしまう
からこそ、
常識というモノが頭の中で育ってしまうのだと思いますが、

きっと世界・・・身近な地域でももっと思っているよりも多様な文化が広がっていて、

自分という存在、自分が知っている地域、分かっている地域というものは、思っているよりもずっとちっぽけなんだということに気づくと、
そもそも常識なんてないんじゃないか・・・と思っています(^^

今回は『「”常識”とは18歳までに身に付けた偏見のコレクションでしかない」を少し掘ってみた~そもそも常識なんて無い~』について書かせていただきました。

また、あしたね(^^)/~~~

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