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高校英語の在り方から考える自分達の未来

チャットGPTやAIによるビッグデータの普及により、ますます人間同士での会話がなくなっていくこの時代。

私たち教員が高校生に養うべき力とは?

高校の教師の価値とは?

否、人間の価値とは?


話は変わるが、私はいつも授業において気をつけていることがある。「英語を教える先生にならない」ことである。

英語教師が述べることでもないかもしれないが、授業において生徒が養うべき力は単語や文法、発音といった英語の言語知識は当然であるが、この時代にそんなものは非常に価値の少ないものである。

にもかかわらず、日本の英語教育における単語帳神話は消えない。
「単語テストするから、○○ページ〜〇〇ページの単語覚えてきなさい。」

正直な話、教員未経験者ですらこの程度の指導ならできる。

付け加えるなら、1867年に明治維新以降、急速にニーズが加速した外国語の学び方と同様の学び方である。

つまり150年以上進化のない学び、あるいは「教え」とも言えるかもしれない。

コンテンツの伝達にフォーカスせずに、文法正誤問題に偏重した言語学習・言語教育もまた同様である

確かに暗記や文法も大切であるが、そこばかり重要視されて本当に日本の英語力は国際的な競争力を高めているのだろうか?

進化なき日本の英語教育が、過去30年間でどれほど日本の国際競争力を衰退させたか英語教員は自覚した方が良いかもしれない。

以下の表は、平成元年(1989年)と平成31年(2019年)の株価世界ランキングである。左右を見比べると、30年間に起こった変化に身震いすら覚える。

平成元年時にトップ50社のうち32社あったものが、30年後にはなんとトヨタ自動車の1社のみである。

もちろん、これは英語教育のみの責任ではないにしろ、世界競争力の基盤である英語におけるコミュニケーション能力の習得はもはやグローバル・スタンダードである。つまり英語教育が担う役割は大きい。

日本の国際競争力の衝撃的な衰退とは反対に、30年前には1社もなかった中国ブランドや韓国ブランドも台頭しているのは、日本の英語教育のみならず、日本の大学教育、大学入試システム、またそれを目指す多くの高校教育自体の失敗を物語っている。(小中学校の教育は、経済活動を基盤とする専門教育を行う機会が少ないことから、考慮しないものとする。)

東大や早慶といった私立のトップ大学で教育を受けた学生たちはこぞって日本のトップ企業を目指した。しかし結果として世界では通用しなかったという事実が、教育方法や教育の目指すべき方向に改革が必要だと証明する何よりの証拠である。

教育と経済活動は離して考えるべきだと主張する人もいるだろう。
しかし果たして本当にそうだろうか。

豊かな経済活動が国民に豊かな暮らしを生むのはこれは揺るぎのない事実である。日本国民が様々な職業において高度な技術や専門知識を培うには教育の責任は大きい。

つまり、学校教育こそ国の経済活動の基盤なのである。

もちろんお金を儲けさせることが教育のゴールではない。

しかし、VUCAと言われる変化の激しく先の見えないこの時代に、国際社会で活躍する人材を養い、国際競争力の高い国作りをする上では教育の質の向上時代に応じた変化は欠かせない。

そしてそれは一教員として学校現場で働いている私自身の成長が欠かせないということである。

今一度、問いたい。

私たち教員が高校生に養うべき力とは?

高校の教師の価値とは?

否、人間の価値とは?

そこを求めることに教育の目指すべき先があるのかもしれない。

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