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不安の操り(短編・恋愛小説)

悠太はいつまで経っても帰ってこない。もう夜中の1時を過ぎているのに。

麻耶と悠太は、だいたい1年3ヶ月前から同棲して付き合っている。最初の六、七ヶ月は朝も夜も2人で楽しく生活していたのであるがここ最近、摩耶は悠太に愛想をつかされてしまったように感じている。
その2人の同棲生活というものは、まるで子供かネックになっていて離婚できない夫婦のようである。
たとえば、悠太は麻耶が作った朝ごはんもろくに食べず、会社へ向かう。お弁当も忘れていくことが多々あり、しかもそれはわざとに思えるのだ。家事は全くもってしない。夜もダブルベッドの中、互いに背中を向けて寝ている。
すっかりお互いに熱が冷めてしまい、しかも、その熱が戻らないかのように見えた。唯一の救いは、二人はまだ入籍前であり割と簡単に別れようと思えばそうできることであった。

悠太は最新、会社帰りに酒を飲んでくるようになった。家に居ても楽しくないからである。大抵は1杯、多くても3杯飲む。それでも家に帰るのは21時頃になるかならないか。麻耶には決まって、残業だと嘘をついているが、残念ながら、その嘘はお見通しだった。彼は異常に酒臭くなるのである。たとえ見た目がスラリとしたハンサムボーイであっても臭いというもの、その人の美しい容姿のイメージをほとんどをかき消すらしい。

そんな悠太が今日はまだ帰ってきていない。もう夜中の1時をとっくに過ぎている。ふたりの関係が冷めきっているといえども、麻耶は悠太が心配になる。いつもは21時に帰るがいくら残業といえども1時に帰ってきたことは今までにない。

悠太に電話をかけようか、かけまいかと迷う。飲み会中であったら、相手様に笑われてしまうのではないか。それに、もし私と違う女といたら………互いに燃えて求めている時に電話をかけてしまうのも気が引ける。いや、別の女と寝ているのなら、普通電話をして、男と相手をたじろかせるのが常であるが麻耶にはその図太い神経がない。そして不思議なことに嫉妬心も湧きでなかった。
ただ、悠太が無事でいてくれたらいいのだ。一人の人間の存在そのものを心配している。そう彼女は考えると、結局まだ彼に想いがあるのではないかということに気がつき思わず笑ってしまった。

あと15分したら電話をかけよう。そう心に決めて、それまでの時間今ハマっている本を読むことにした。が、本の内容が入らない。15分ということだけが頭の中をグルグルとまわる。
あと何分だろう、時計をみてもあれから1分しか経っていない。カウントダウンする時の時間の流れはなんと遅いのだろうか。
その時、ふと麻耶にメールが届いた。少し気になっている男からであった。
『今日駅で見かけたよ。今度久しぶりにゆっくりお茶でもしたいな。』

嬉しかった。悠太が帰ってこないこと、ふたりの関係の行方などたくさんの張り裂けそうな不安の中でこのようなメールが来ると、何かに包まれる気がする。いや、この場合ハグされている感情に近いと言った方が良いのかもしれない。たった2文のメールから、ハグのような、あの温かさ、人の温もりを感じほっと一息安心できる。

なんて返事をしようかしら、どこで会おう、悠太と別れてひょっとして……なんてつまらない妄想を繰り広げるうちに悠太に電話しようと思っていた時間を過ぎていた。
少し慌てて電話をした。 
ルルルルルルルルルル……
「もしもし。今日は飲み会だから遅くなるって言わなかったっけ。今からもう1軒行くんだ。」
ふーん。麻耶は素っ気ない返事をした。今は私に興味が薄れている男なんかより、メールをくれた男の方がよっぽど良いんだ。

私はいつでも空いてるから、早く会いたいです。そんなような返事を書いた。
冷えた関係の2人がひとつ屋根の下に暮らすことには限界があった。このような関係の場合、子供の有無は大きいのだなと麻耶は感じた。
 
さっきまでの不安が、気になる男からのメールでころっと消えてしまうことに麻耶は驚きを隠せなかった。

麻耶と男とのメールは続き、時刻は1時30分をとっくに超えていた。男の方から、夜遅いので寝ますと言われ、互いにおやすみなさいと言い合った。なんと素敵なんだろう……おやすみなさいという言葉を久しく使わない生活をしていた麻耶だが、今日数ヶ月ぶり、しかも男と交わしたのだ。それだけのことで、熱く火照る気がした。

画面の向こうに温かく包みこんでくれた彼がいる。麻耶はスマホを大切に抱えて布団に入った。

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