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私のプライド。

私のリスナーは私の愛し方をよく知っているなと毎度思う。 中途半端な言葉を、誰も話さない。 中途半端なご機嫌取りをしない。 ただ、一個人として私を見ている。 冷静に、客観的に、私を見て、分析している。 それがどれだけ私を救うか。 時々、私の悪いところも良いところも全て見透かされているようなそんな気分になる。実際そうなのだと思う。 各々の視点で私を理解しようとしてくれる。 私の不安定さに気づき、静かに見守り 私の怒りに気づき、怒りすら愛し 私の目標を愛し、私の能力を信

    • オフ会の前後左右。

      今まで、誰かに好かれているのではないかと思うたびに、失敗してきた。 嫌われるようなことを言ってしまったり、 私の全てを受け止めてもらおうとし、精神的な重荷を相手に背負わせようとしたり。 何をどうするのが正しいのか分からなかった。 人に好かれるために努力をしていたつもりが、全て報われなかった。 今ならわかる。 他人に好かれようとしての行為は、相手の重荷になっていたのだ。 「こんなに優しくしたから、貢いだから、君のこと考えてあげたから、好きになってくれるよね?」 私の脳

      • 「思うより大したことないんだ。」

        キッチンから戻ってきて、なんとなくまたベッドに寝転んだ。 昨日寝る前に読んだ、恋愛について説教を垂れる本に書いてあった。 私の大体の過去の恋愛はお粗末で、ただの依存で、今すぐやめるべきだったって。 なんだよ。 マッチングアプリは変な奴しかいないから使うなって言ってきた女友達。結婚相談所は売れ残りがいくところだと書き込んでいたインターネットに住み着いてる男。出会いは引き寄せればいいといってきた胡散臭い手相占い師。 なんだよ、なんなんだよ。みんな。 じゃあ、私はどうしたら正

        • 苦労と言葉。

          私は、言語を教える仕事をしている。 言語を教える仕事をしていると、当然のことのようにニュアンスについての説明が入る。そして、そのニュアンスは無意識のうちに選ばれるものである。 二年前の私は人間の無意識を把握することで相手を100%理解でき、その無意識は相手の言語センスに顕著に現れるものだと信じていたが、真剣に言語と向き合うようになって、そうではないケースもあるのだと知った。 簡単な例で言えば、「青」と「藍色」。 生まれてこの方「藍色」という言葉を聞いたことがない人はなんで

        私のプライド。

          自身の感情への愛情。

          本物の強さは自分の弱さと向き合い、受け止めることだと常々思う。 世の中の当たり前は当たり前ではないことが多い。 ストレス発散のために物に当たったり、怒りを物理的に表現することは、怒りを倍増させるという研究結果が出ているにも関わらず、無知な人間はまだその怒りをモチベーションにしろ等という。 怒りはモチベーションにはならないし、してしまえば心の中で倍増してしまい、後で苦労をする。怒りは意識的に向き合わねばならないものだ。 そして、怒りを受け止め愛してやるために客観性は必要だ。

          自身の感情への愛情。

          配信から見える会話の癖。

          幸福に他者との関わりは、絶対不可欠だ。 社会の役に立っているのだという自信も大切だが。 他者に好かれるために自分を変えろとは言わないが、 他者に嫌われ続けてもいい場合にのみありのままの自分を愛したらいい。 私が距離を置く人間のほとんどは、他者を「自分を認識してくれる個人」としてしか扱わず、その他者も個人であるという認識がない。 配信をしていると、良い具体例に出会うことが多く、瞬間的に分類わけできるために揉め事が起こる前に排除ができ、とても助かる。 例えば、配信者が「今日

          配信から見える会話の癖。

          SNSと自己肯定感。

          自己肯定感という言葉は、SNSと比べずに自分の人生を自分らしく一生懸命生きていけるかどうか、という能力、マインドセットのことなのかなと思う。 そういう点で、私は自己肯定感は物凄く高い。しかし、気分によっては他人を羨ましく感じてしまうこともある。私の場合は、自身の容姿や社会的地位ではなく、恋人との関係性だ。 なぜSNSの幸せそうなカップルのようになれないのだ?と考えすぎてしまう。旦那が努力不足なのだろうか、自分が努力不足なのだろうか…などと、答えも出なければ害にしかならない

          SNSと自己肯定感。

          常識の押し付け/すり合わせ

          「常識の押し付け」は、自分を守るための武器。 常識というのは、自分が誰に何をされて傷ついてきたか、を脳がまとめてパターン化したものだと思う。だから、そこを基準に愛情を測ったり、憎悪をキャッチしてしまったりするのではないだろうか。 「そんなに食べて太らないの?」 たくさん食べても太らないのなんでだろう、秘訣とかあるのかな? 太りやすい体質と太りにくい体質があるって聞いたけど、本当に存在するのかな? 毎回これだけ食べてるのだろうか、それとも、この一食だけなのかな? な

          常識の押し付け/すり合わせ

          対話と配信。

          私はコミュニケーションが苦手だ。 コミュニケーションの定義が主観的すぎる。 楽しませるか楽しむか、自分がどちらを選ぶかという話だからだ。 伝わった気になって気持ちよく話して片方が会話を楽しんでいても、片方は楽しんでいないことなど当たり前にあるだろう。 そして気づいたら嫌われ疎遠になられた、という人も少なくないのではないだろうか。 会話の比率が 自分:相手=2:8 であればコミュニケーションミッション、大成功だ。相手の対話という定義に沿った会話ができている。花丸である。

          対話と配信。

          偽善。

          私のなかの偽善の定義は、「相手の幸せを願っているふりをして、実は自分への見返りを求めている。」である。 その場の気持ちを口にして気が変わってしまったからといって、嘘つきではないと思う。変化は事実であるのだから、自分が発した言葉に囚われに行く必要もない。むしろ「一途」であることに固執したりすると、自分が一生成長しない。 好きだと相手に伝えても、翌日嫌いになっていることもある。 それが悪いことだとも思わない。人の気持ちは移り変わる。 私がそれをされたら寂しいが、仕方のないこ

          毒親。

          今日みた映画で、少しフラバしたから書き出す。 毒親って言葉が好きじゃない。 毒親っていうよりシンプルに加害者。 親とも呼びたくない。 何も知らない人が、「親だから」とか「親にそんなこと言うなよ」とか簡単に言うけど、私は親を親とも呼びたくないし、頻繁に見る悪夢ではいまだに父親(以下Aと呼ぶ)から逃げてる。早く死ね、消えろ、と目を見ながら何度も夢で叫んでる。 見てみぬ振りをした母親(以下B)も同罪だ。 小さなことで私はいまだにパニックになる。 子供を叱る親を見るだけで、血の

          16/12/23

          何歳になっても、自分らしさを見つけたような気になって翌週には失くしてるんだけど、今日出た結論は「自分がなりたい自分を目指す限り、私は私らしい」ってことだった。 先生としての私は、いつも安定しているから、先生をしている間は自分らしくとか考えなくて済む。目の前にいる生徒のポテンシャルのことだけ考えて、自我を無に持っていくのが先生だから。なりたい自分などそこにはない。生徒の脳みそを第一に考えればいい。 でも、配信とか、他人とありのままで関わるときが怖い。 毎日、誰にどう思われて

          ふん。

          やっぱりどんなに笑っても、どんなに楽しくても、 悲しかったことを無かったことには出来ないんだな。 配信で悲しいことあったら、配信で楽しいこと足して マイナスからプラスにできれば良いのかなって思ってたけど そうじゃないし。 じゃ、今回嫌なことあったから配信もオフ会も全部やめにして 無かったことにして、楽しい現実に帰るって言うのもなんか違う。 悲しいし、恥ずかしいし、全部無かったことにしたいと思わなくはない。ワクワクした気持ちも消えたし、逆にもう不安しかないし。情けないな

          嫌いになるのが嫌だから、ブロックする。

          人を好きなまま死にたい人間だから、 あんまり関わんないリスナーに、許せない地雷踏まれて、一晩寝て朝になってまだ気になっちゃってたらブロックしてる。 そしたら関わらなくて済むし、視界にも入らないから。好きなままでいられる。 相手からしてみたらイラつくかもしれないけど、今なら、あいつは気分屋なんだな〜。くらいで済むと思う。大人気ないな〜とかでもいいよ。笑 無駄に長く関わって拗れて相手の発言に私がイライラして怒るくらいなら、別々の幸せを見つけるのが効率良いと思うから! 私の視界に

          嫌いになるのが嫌だから、ブロックする。

          "物申すこと"について。

          Twitterのおすすめにさ、たくさん流れてくるのよ。笑 歳の差結婚だったり、親への感謝がない子供の発言だったり、外見主義の方々の整形批判だったりさ。 いや良いんだよ!物申すことって脳の活性化に繋がるし、余計なことを言うことって暇つぶしにもなれば、お手軽な言ってやったぜ的なアドレナリンも出ると思うし。 ただ、ただね、 歳の差結婚はもう本人らの話だから違法じゃないんならそれで良いだろうし、 子供が親への感謝がないのは親の行動に原因があるかもしれないし、 外見主義なのはシンプ

          "物申すこと"について。

          相手を労るということ。

          他人が使う言葉は重く受け止めるくせに、自分の使う言葉は全て軽かったりしない? 現実的に考えて、自分が発した言葉全て暗記して、約束守るのも難しい時だってある。だって人は、成長して変化していくものだし、相当暇人じゃない限り、他のことに気を取られたりもあるだろうしさ。 そもそも、その時に発した言葉の解釈自体が、感情や時間と共に変化しちゃうよね。 小さな約束、破られると悲しいよね。 好きってあんなに言ってたじゃんって思うよね。 私もそう思ってたよ! でも、私もその人たちへの愛

          相手を労るということ。