自身の感情への愛情。

本物の強さは自分の弱さと向き合い、受け止めることだと常々思う。

世の中の当たり前は当たり前ではないことが多い。
ストレス発散のために物に当たったり、怒りを物理的に表現することは、怒りを倍増させるという研究結果が出ているにも関わらず、無知な人間はまだその怒りをモチベーションにしろ等という。
怒りはモチベーションにはならないし、してしまえば心の中で倍増してしまい、後で苦労をする。怒りは意識的に向き合わねばならないものだ。

そして、怒りを受け止め愛してやるために客観性は必要だ。存在し得ないものとして向き合わないのであれば、それはそれで一つの生き方ではあるが、おすすめはしない。それを選択するならば、人を傷つけ続け、孤独の中で死ぬ。私はそう感じる。

無意識下の怒りに支配されている悲しきモンスターは、指摘された際に私を感情的な人間だと決めつけ、自身が上だと"わからせる"ために口を滑らせ続ける。
感情的になりその感情に自身をコントロールさせることと、感情的になりその感情をも愛し説明し続ける客観性を持つこと、この二つの選択が存在することを知らない人ほど自分が上に立ったと勘違いをし続ける。

「自分を愛せなければ、他人を愛すことはできない。」

まさにこれだ。
自分の感情を愛せないのなら、他人の苦悩を受け止める器はない。
自分の苦悩を受け止めてあげられないなら、他人からの愛情を受ける器はない。

自分を愛する方法は、他人から諭されて簡単に身につくものではないと私は思う。提案はできるが解決策の提示は私にもできない。
君と私は違うから軽率な言葉をここに書くことは避けたい。
ただ一つ絶対に必要なスキルは客観性である。

頑張って欲しい。
私はこのしょうもないノートをここまで読んでくれた君が好きだ。
私は君をちゃんと見てるから、誰も気づいてくれないと思わないで。

君の努力は私に届いている。



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