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常識の押し付け/すり合わせ

「常識の押し付け」は、自分を守るための武器。

常識というのは、自分が誰に何をされて傷ついてきたか、を脳がまとめてパターン化したものだと思う。だから、そこを基準に愛情を測ったり、憎悪をキャッチしてしまったりするのではないだろうか。

「そんなに食べて太らないの?」

  1. たくさん食べても太らないのなんでだろう、秘訣とかあるのかな?

  2. 太りやすい体質と太りにくい体質があるって聞いたけど、本当に存在するのかな?

  3. 毎回これだけ食べてるのだろうか、それとも、この一食だけなのかな?

などなど、質問の「意図」は十人十色なのだ。

しかし、あなたの持っている常識はこの文を、私を傷つけたいのか否かにだけ注目してしまう。

元々悪意など存在しなかったはずの発言に、「悪意アリ」としてハンコを押してしまうのは「私の常識から外れているか。」どうかがポイントだ。

ここで、「本当に悪意があるのかな…?」と確認しなければ、一生言われた言葉を引きずり、あったのかなかったのか分からない悪意に悩まされる羽目になる。

それを解決する魔法の一言がこちら。
「なんでそう思うのー?」だ。

素晴らしい、極めて簡潔で、相手の真意を聞くためだけの洗練された文だ。
そしてこれこそがコミュニケーションだ。
聞かなければいけない、聞きにくいことを、きちんと聞く勇気がコミュニケーションなんじゃないかなと個人的には思う。

もしも相手が特に理由もなく聞いてきたなどの脳死な回答をしてきた場合は、こいつは悪意も何も無神経な人なのだなと無神経カテゴリーに入れてしまえば良い。

そもそも対話相手に悪意があろうがなかろうがどうでも良い場合は無理に聞く必要はない。「なんででしょうね」で終わりである。

常識を互いに押し付け合い、常識が違えば喧嘩し、常識がかけ離れている場合は他人のままで、違う常識持ち同士が愛し合い共存したい時は擦り合わせをしていく。

たぶん、こんな感じだろうな。








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