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叉鬼プロジェクトを始動します

叉鬼(マタギ)プロジェクトとは、マタギの生き方からこの時代を生きるヒントを得ようとするプロジェクトです。様々な活動を行っていきます


マタギとは

東北地方の山間に居住する古い伝統を持った狩人の群。
(『広辞苑 第七版』より)

マタギは昔ながらの伝承に生きるからこそマタギなのである。でなければ、鉄砲撃ちやハンターと中身が何ら変わりない。
(『白神山地マタギ伝 鈴木忠勝の生涯』より)

「マタギであると認められるのはどんな条件を満たしている場合ですか」
「それはですね、自分たちが受け継いできたマタギとしての生き方、掟というものを守り、決して自分勝手な振る舞いをしないこと。そしてですね、受け継いできたものをきちんと伝えていく、それがマタギではないでしょうか」
(『完本 マタギ 矛盾なき労働と食文化』より)

このように、マタギの明確な定義はありません。
私は、マタギは職業というよりも生き方のようなものだと思っています。

マタギのリアルな生活については、先日私がお世話になったマタギの益田光さんのnoteやX(旧Twitter)が分かりやすいです。

はじめに

このプロジェクトは、納谷翼(なやたすく、以下私)が「生きるとはどういうことか」という問いをマタギを通して考えようとしたことに始まります。どうしてそういうことになったのかは後で説明しますが、マタギの生き方に表れている、生態系の中で自分を捉える考え方などがこの時代に求められていると思います。そういうことを仲間を増やしながら共に考え、実践していくことがこのプロジェクトを通してやりたいことです。

何をするのか

私はマタギを題材とした実写もしくはアニメーションなどの映像や漫画を制作することを通して、生き方を眺めたいと考えています。また、当事者としてマタギを深く理解するため、マタギになろうと思っています。
そして、その中で考えたことをnoteやX(旧Twitter)で共有していきます。
いずれは狩猟や農耕のある生活の中で制作するためのスタジオを阿仁(秋田にあるマタギの里)につくり、マタギを題材とした長編映画の制作・公開もしようと思っています。
私はこのプロジェクトのあり方はそれだけじゃないと思っています。多くの人と共に、生命としての人間の生き方を模索し、実践したいです。

経緯

2023年の夏に私は「生命とは何か」「生きるとはどういうことか」ということを考えながら、アメリカを旅していました。その頃から私は、宮沢賢治、西田幾多郎、鈴木大拙らがその問いに最も近づいた人たちだと直感していました(渡米の直前に秋田の古書店で『賢治・幾多郎・大拙 大地の文学』という本に出会い、その本の中で東北の風土と繋げてその3人の思想が紐づけられていたことから、自分の直感は確信に近いものに変わっていました)。彼らの考え方はマタギに共通するものがあるので、いずれ紹介します。

その旅で訪れたニューメキシコ州の町サンタフェで、ネイティブアメリカンは自然や生命に対する非常に深い尊敬と縁を感じながら生きていると気づきました。それに気づけたのはその時期に『気流の鳴る音-交響するコミューン』を読んでいたことも大きいと思います。そして、地元である秋田にもそのような生き方をしている人たちがいることを思い出しました。それがマタギです。自分がこれまで彼らに目を向けていなかったことに驚きつつ、向き合おうと決めました。

さらに遡ると、私は今、大学で経済学を専攻しているのですが、経済は人の豊かさを捉えられていないと感じています。私は友達と星空を眺めているとき、豊かだなと感じますが、そのとき私は何も生産していないので、世の中には何も価値が生み出されていないことになります。
現在の人類は「生命とは何か」「生きるとはどういうことか」という根本的な問いを蔑ろにしたまま、欲求ベースの仕組みで生きています。それでは心や自然が貧しくなるのも仕方ないと思います。この問題意識が、アメリカでの旅、そして叉鬼プロジェクトに繋がっています。

また、最近、虚構が現実よりもかなり強くなっているのを感じています。かつて人間は共通幻想の中で生きていて、それが近代で崩壊し、今では幻想を取り戻そうとしているのではないかと思っています。現代の虚構である漫画やアニメ、ゲームなどは、共同幻想を作り出しているかもしれませんが、その性質上、一人でいる時間をどんどん増やしています。それによって、人のつながりは薄れ、生きづらさを感じる人が増えています。虚構と現実、そして現代における幻想のあり方についても、このプロジェクトを通して考えていきたいです。

先日、阿仁で叉鬼山刀(マタギナガサ)を作っていた方の奥様に伺った話がとても印象的でした。彼女は、マタギ文化が結ぶ人のつながりが大好きだったそうです。そして現代の人の距離感を、とても憂いていました。叉鬼山刀は、獲物を捌くときなどに使いますが、彼女は人を守るための刃物だと言っていました。山刀には一つ一つ魂が込められていて、マタギだけではなく様々な人が買うそうです。そんな山刀を通してできるつながりを、皆とても大切にしていたそうです。

そんな豊かな自然や人の心を、千代に渡って引き継いでいくために、マタギから学びたいのです。

この時代

そして、現代で喫緊の問題はAI Alignmentだと思っています。
AIをどう扱うか、どう調整するかという問題は、全人類に関わります。しかし、それを考えるのは多くがテクノロジーや人文学を専門とする人で、マタギのような生き方はおそらく視野に入っていません。測り得ないものを、AIはどのように捉えることができるのでしょうか。

この時代に向き合うために、自然や師弟関係、そして死に向きあっているマタギの生き方から学べることは多いと思います。
これからこのプロジェクトを、どうぞよろしくお願いします。

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