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移住して、マタギになって、起業して。

0704/益田さん (1)

はじめまして、Ko MASUDAです。

中身はただのマスダなんですが、表皮というか、自分が何をやっているヒトなのか説明すると面白いかもしれません。

X. マタギの持つ力を手に入れたくて

まず、私はマタギです。

皆さんはマタギをご存じでしょうか。Wikipediaで調べてみると、

『マタギは、日本の東北地方・北海道から北関東、甲信越地方にかけての山岳地帯で、古い方法を用いて集団で狩猟を行う者を指す。』

と書かれています。ちょっと変わった猟師、というイメージでしょうか。漫画、アニメで話題になっている『ゴールデンカムイ』(作:野田サトル)の中に登場する「谷垣 源次郎」というキャラクターもマタギです。マタギという名前だけは聞いたことがある、という方もいらっしゃるかもしれません。

私は、秋田県北秋田市の阿仁(あに)地区というところで一人暮らしをしています。この地区には昔から『阿仁マタギ』と呼ばれる人たちが暮らしています。私が住んでいる家は阿仁地区の中で最も山奥に位置する「打当(うっとう)」にほど近い場所にあり、阿仁マタギをさらに細分化して「打当マタギ」と呼ばれています。その筋では「三大阿仁マタギ」に数えられている「根子(ねっこ)」「比立内(ひたちない)」「打当」のうちの一角です。花の百名山や樹氷で有名な森吉山の南山麓に位置し、スギ人工林やブナ・イタヤカエデなどの落葉広葉樹林が自宅の目前にまで迫ります。四季が明瞭に変化し、特に冬季の積雪は2mを超える厳しい環境です。秋田県一の豪雪地帯とも言われ、雪慣れした秋田県民にさえ「冬場は阿仁に近づきたくない」と言われるほどです。

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そんな阿仁の山々には「山の神(ヤマノカミ)」がいらっしゃいます。言い伝えでは、山の神は女性の神様で、嫉妬深く、容姿もあまり優れない方のようです。マタギたちはこの山の神を信仰しており、山から得た物はすべて山の神からの「授かり物」と信じています。クマやウサギといった狩猟鳥獣、イワナやヤマメなどの川魚、タラの芽やマイタケなどの山の幸、すべて山の恵みで授かり物です。万が一、山の神のご機嫌を損ねてしまうと山の恵みを授かれなかったり、あるいは山の中で怪我をしてしまうかもしれません。そこで出猟前や獲物を授かったときなど、山の神に感謝する儀式を執り行います。人里で使う言葉は汚れていると考え、山の中では「マタギ言葉」を用いて会話します。現代ではあまり気にしませんが、厳しい時代は少しでも人里の言葉を山の中で話せば口の中を水で清められたと言います。その他にも、「口笛を吹いてはならない」、「山の中で女性の話をしてはいけない」など、現代まで引き継がれている多くの独自ルールが存在し、儀式と合わせてマタギという文化を形成してきました。

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マタギたちは一年を通して山の恵みを授かり生きています。子供の頃からそうだったので、山歩きの技術は超一流です。里ではトボトボ歩いているお爺ちゃんが、ひとたび山に入るとスタスタと歩きます。登山部に所属している大学生が70代の爺マタギについて行けず、ついには体力尽きて途中で下山してきたという話も聞いたことがあります。また、山の資源をどのようにして使うのか、という知恵の量も膨大です。例えば、ヤスの木(=サワグルミ)の樹皮を紐代わりにしたり、ガンピ(=ウダイカンバ、ダケカンバの樹皮)を火付けに使ったり、サシドリ(=オオイタドリ)の茎をトイレットペーパー代わりに使ったり、といった具合です。

私は常々、荘厳な森林と隣合わせの環境で平穏に暮らしたいと思っていました。私と同じように「自然の中で暮らしたい」と思う方は多いでしょうが、それはクマやヘビ、ブナやウダイカンバ、クモやヤブカ、そういった同じ自然の中で生きるヒト以外の構成員との闘いだと考えています。あるいは、豪雪や酷暑といった厳しい気候条件に淘汰されない強さを持つことだと考えています。そのように考えると、ヒトという種の脆弱さに気付きます。クマのような立派な牙や爪もなければ、ブナのように百何年も風雨に耐えうる身体もない。オオタカやアカショウビンのように空を飛ぶこともできないし、クモのようにお尻から糸を出すこともできない。ヒトが彼らと同じステージで競い、渡り歩いて生きていくためには何がしかの力が必要です。

その力を、マタギたちはすべて持っています。

私はそれを手に入れたい。体得したい。それを持って、生きていきたい。そういった想いで現・打当マタギのシカリ(マタギ言葉で「マタギを率いるリーダー、頭領」の意)である鈴木英雄氏に頼み、仲間に入れてもらいました。今年で3年目になります。当然、まだまだヒヨッコで学ぶことだらけ、失敗だらけですが、そういう経験が勉強になります。いつの日か、私が一流のマタギであると認めてもらえたとき、ようやく欲しかった力が私に宿ったということになるのでしょう。

クレジット入り

Y. 移住に導いてくれた2時間

さて、私は最初から阿仁に住んでいるわけではありません。広島県から移住してきました。厳密に言えば、当時通っていた東京農業大学のキャンパスがある東京都からの移住者ということになりますが、ただの通学だったので広島県からの移住者、ということにしています。

もともと、阿仁地区やマタギの存在を知ったのは大学2年生の時でした。ある日、父から「秋田県に行ってみないか」というメールを受け取りました。当時は塾講のバイトをしながら研究室通いをしていて、正直、そんな遊びに行く暇もないくらいに忙しかったのですが、秋田県は一度も行ったことがなく、一種の気分転換だということで誘いを受けました。

そうして2014年10月、私は初めて秋田県を訪れました。新幹線が大曲で突然逆方向に進み出したときは絶望しましたが、何とかたどり着きました。私たちを招いてくれたのは秋田市に住む父の仕事仲間のご夫妻でした。その方々は普段秋田市に住んでいるのですが、休日は北秋田市の合川地区にある別荘で趣味の自家農園を営んだりピアノを弾いて暮らしていました。我々もその別荘にお邪魔しました。美味しいワインとプロ級の手料理に舌鼓を打っていたとき、

「マスダくん、マタギに会ってみない?」

と言われました。何でも、ご夫婦は私が林学系の大学に通っていると父から聞いていたようで、それならば是非会って話をしてみると良いとのことでした。最初は、「え、マタギ?」と思いました。名前だけは知っていましたが、本当に存在していたのだとこの時初めて知りました。正直、会って話をするのは怖かったです。どこか厳しかったり、他人を寄せ付けないイメージがあったからです。それでも強く推されたもので、翌日車に乗って阿仁地区へ出かけました。そして、私は初めてマタギと対面することになったのです。

その方こそ、今の仕事にも繋がるクロモジ茶作りの師匠、鈴木忠義氏でした。10月なのに肌寒く、かまぼこ形の工房の中でダルマストーブをガンガンに炊いて私を待っていました。着いて早々、「じゃ、あとは二人でゆっくり話してね!」と言い、父とご夫婦は私を置いて近くの打当温泉に行きました。本当、マジで、勘弁してくれ、と思いました。初対面の上に相手はマタギ、川端康成みたいなギョロッとした目がこちらを伺っていて。とりあえず自己紹介から始めてみたものの、秋田弁の訛りが強くて何を言っているのか分からない!緊張を通りこしてパニックになりながらも、何とか2時間、父たちが戻ってくるまで会話を続けました。

最初こそ怖い印象だった師匠も、最後には朗らかな笑顔で私を送ってくださいました。東京へ帰るには秋田内陸線という素晴らしい電車があるというので、帰りはそれに乗って一人で帰りました。下の写真は、当時の私が内陸線の中から撮った写真です。

まさかこの時は、研究者になるという夢を諦め、師匠に秋田県へ移住したいという手紙を出し、林業をやるために秋田市へ移住して、自分もマタギの一員になるとは思っていませんでした。すべてはあの2時間の出会いから始まったのです。

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Z. 未来へのショウブ

私は個人事業を営んでいます。「もりごもり」という屋号です。名前の由来は「森に籠もって暮らしたい」という自分の勝手な願望から付けましたが、この事業には3つの企業理念があります。

1つ目は「本業マタギの復活」です。かつてマタギたちはクマやテン、ウサギなどの皮や肉を換金して収入を得ていました。特に、「クマの胆」と呼ばれるツキノワグマの胆嚢は金と同じ価格で取り引きされ、マタギたちの貴重な財源でした。それが今では肉も皮もクマの胆も需要がなくなり、法律的にも売買が難しくなりました。もともと農家や林業との掛け持ちで暮らしていたとはいえ、マタギでお金を得られなくなったことは相当なショックだったとでしょう。

現在では農家や林業、公務員や一般企業に就職して、土日などの休日にマタギの活動を行う人たちがほとんどです。私はこの形態を「兼業マタギ」と呼んでいます。この兼業マタギというライフスタイルは金銭的に安定はします。しかし、本職がある平日にはマタギとしての活動がほとんどできません。何を当たり前な、と思うでしょう。ですが、今現役のシカリや他のマタギたちの多くは70代前後で、すでに仕事をリタイアしています。そして、兼業マタギたちが本職に勤しんでいる間にも、猟場を歩いて山の状況を調べたり、有害駆除の檻を設置しに行ったり、人を募って山菜採りや狩猟に行っているのです。私のような新人が先輩たちからマタギを学べるのはこういう機会に一緒に付いて行って教えてもらえるからで、逆にここに参加できないのは大損失なわけです。兼業マタギというスタイルでは次の世代への継承に障害が生じると強く感じました。私は阿仁に移住した当初は林業事業体に就職しましたが、この問題を痛感して3ヶ月で辞めてしまいました。

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この問題を解決するためには、「仕事=マタギの修行」となるような新たなスタイルを構築しなければなりません。それも出来るだけ早期に。先にも言った通り、現役マタギの多くは70代前後です。私たちが現役たちから直接現場で学べる残り時間は、多く見積もったとしても、あと10年でしょう。私はもりごもりという事業を通して兼業マタギが抱える時間的乖離を解決し、マタギをやるための新たなライフスタイルの構築を走りながら実現していきます。究極的には、とうの昔に絶滅してしまったマタギだけで暮らしていける「本業マタギ」の復活を夢見ています。

2つ目に、「森業への挑戦」があります。森業は「しんぎょう」と私は読んでいます。似た言葉で林業があります。辞書的に異なるかもしれませんが、私は以下のように解釈しています。

林業:ある一定の区域に樹木を植え、育成後に伐採し加工・販売する業。
森業:ある一定の区域から、すでにある植物を採取して加工・販売する業。

つまり、人為的に樹木を植えて林をつくり収入を得るのが林業、森に生えている植物を採って収入を得るのが森業、ということです。

例えば人工林のなかを歩けば、スギやカラマツといった、いわゆる林業で収入を得るための植物の他に、イタヤカエデやオオバクロモジ、スミレサイシン、キクザキイチゲ、クサソテツ、ジュウモンジシダ、トチノキやホオノキたちの実生など、実にさまざまな種類の植物たちが生えています。しかし、これらの植物はしばしば、人工林を育てるうえで邪魔な存在として刈払機で綺麗に切られてしまいます。もはや捨ててしまっているだけの植物たち。実は、その植物たちこそ面白いのです。

この想いはもりごもりのロゴマークに表しています。6本の棒の中に1本だけ曲がったものがありますよね。曲がった棒を消して、6本すべてを同じものに統一したい気持ちもあるでしょう。ですが、私は1本だけ曲がっている棒の方に魅力を感じ、あえてスポットライトを当ててみたいと思いました。

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日本には樹木類だけで1000種を超える植物が自生しているといいます。草花やシダの仲間を入れると膨大な種数です。その一種一種に面白い特性があります。食べると美味しかったり、逆に毒を有していたり。枝葉をちぎると良い香りがしたり、触ると刺が刺さって痛かったり。マタギを含め、阿仁に暮らしている人々はそれらの特性を見極め、経験し、そして生活のなかで利用してきました。森業は新しい概念ではなく、山とともに暮らしてきた人たちから見れば当たり前のものでした。

森業で稼げるとなれば、先に記した「仕事=マタギの修行」というライフスタイルの確立にもつながります。植物を採取する森林はマタギの猟場でもあります。マタギたちが地元の山の地形を、まるで自分の庭のように歩けているのは四季を通じて山を歩いているためです。山を歩きながら商品になる植物を採取し猟場も見回る。これでビジネスになれば願ってもないことです。

もりごもりでは、阿仁に広がる広大な落葉広葉樹林を舞台に、昔から地域で利用されてきた植物、あるいは未知の可能性を秘めた植物たちにスポットライト当て、それらの植物を加工して魅力ある商品を生み出していきます。

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最後に、「局地的CRMの実践」です。CRMは「Cause Related Marketing(コーズリレーテッドマーケティング)」の略称です。  インターネットで用語を検索すると、

企業が商品やサービスの売上によって得た利益の一部をNGOや国連機関などの組織に寄付し、その社会奉仕活動と企業名を結びつけることによる訴求効果を狙うマーケティング・コミュニケーション手法。
(IT用語辞典|大塚商会:https://www.otsuka-shokai.co.jp/words/cause-related-marketing.htmlから一部引用)

と出てきます。利益の一部を社会貢献のために寄付しアピールする手法というわけです。

前述した森業について、一部の方は懸念しているかもしれません。つまり、「人ん家の山に生えている植物を採っちゃダメじゃない?」という点です。基本的に日本の森林には国であれ個人であれ、必ず所有者がいます。所有者以外の人がそこに生えている植物を勝手に持ち出すのはいかがなものかと思いますし、まして立木を無許可で伐採するのは盗伐です。

それでは、どのようにして森業を行うのか。結論から言えば、私の住む地域の人々に協力してもらい、発生した利益の一部を地元に還元するという方法を採ります。

私が住んでいる地区には60人足らずの住人しかいません。多くの方は60歳を超えており、典型的な限界集落の様相を呈しています。そんな状況で、よそ者である私を快く受け入れてくださりました。美味しい野菜やお米を分けて頂いたり、機械を持ち出して除雪を手伝ってくれたり、本当に頭が上がらないくらい助けられています。

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しかし、現実的な経営状況は厳しいものです。毎月2,000円ずつ出し合って自治会を運営していますが、いずれ限界を迎えるときが来るでしょう。

以前から、私が起業して森業をやりたいと地域の方々にはお話していました。すると、「せば、おらのところから採ればいい。なんも、結局刈るために捨てるんだ」とあっさり許可を頂きました。地域によっては信じられないかもしれませんが、私の地域ではスギやカラマツなどの造林樹種や、コナラやミズナラなど薪やキノコの原木になる樹種以外は思いっきり雑木扱いされます。キクザキイチゲやエンレイソウなど、貴重な春植物なども雑草扱いです。重要なのは売れる植物か、食べて美味しい植物か、という点です。山菜やキノコ狩りでも普通に人が入ってくることもありますし、逆に自分が採りに行くこともあります。そのため、森林内の植物を採取することに関してはお互いさまという雰囲気です。ゆるいなぁ、とも感じます。もちろん、日頃からの信頼関係があってこそですが。

それならば、森業で得た利益の一部を地元の自治会に寄付すれば良いじゃないか、と思いつきました。地元に生えていた何の変哲もない植物が現金収入になる。それができれば会社を維持するだけではなく、自治会、地域も使うお金ができる。何よりも、大変お世話になった地域のみんなや地元に貢献できるかもしれない。そのように考えました。

いわゆる世界平和のためだとか、人類遺産を守るためのCRMではありません。そんな力もないのですが、せめて大好きな地域の力になりたい。そのような想いから、もりごもりで得た利益の一部を自治会に還元することにしました。本当に局地的な活動なので、局地的CRMと呼んでいます。

現状だと、この局地的CRMはまだ実現していません。「その利益分のビールとかお菓子をお祭りのときに寄付してくれれば十分だ」と言われました。きっと遠慮してくださっているのでしょうが、現実的に現金が必要なときは必ず来ます。自治会を口説き落とすまで、クロモジバンクと名付けたお金をそっと寄せています…

XYZ. そんな自分が気になる方へ

さて、ここまで7000文字超えの長文を読んでくださいました読者の皆さま、ありがとうございます。目次で吹っ飛んで頂いた方にも感謝です。

どうでしょうか。中身はただのマスダなんですが、気になって頂けましたか?マタギやもりごもりのことなど、日頃あったことはTwitterで発信しています。もしよければ是非フォローして動向を観察してみてください。

また、もりごもりは森業の商品第一弾としてオオバクロモジを丸ごと粉砕・加工して作ったクロモジ茶を販売しています。現状では口コミ、秋田県や北秋田市のイベント、「打当温泉マタギの湯」で販売していますが、近いうちにネット販売も始めます。自作でホームページを作っていて、これがなかなか苦戦しておりますが、完成すればmorigomori.comで検索すれば出てくると思います。

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今回はじめてnoteを使って投稿してみたのですが、これは面白いですね。Twitterでは詳細に書けない出来事などはnoteで発信しようと思います。

それでは!

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