記事一覧
デヴィッド・ボウイ〜間借り人はどこに間借りしていたのか?〜
映画の中盤、調和が極まった『サウンド・アンド・ビジョン』のイントロが、様々なコラージュ・フラシュに乗って、左右のスピーカーからまるで物質のような感じで出現してくる。これがもう白眉。
この曲を生み出せたからボウイは死なずに済んだのだな。そう心から祝福したくなる歓喜のサウンド。架空の宇宙人ではなく、この世界の肉体と魂が享受できるサウンドとビジョン。彼の生涯をも定義するこのキーワードの発明は、こちら
「リリカOD」のその後と、お詫び
私は昨年9月に「皮膚病にはリリカが効く」なんぞと書いた。ところがこれはとんでもない間違いだった。その後私の皮膚病はまさに重篤化し、リリカでは治らないどころか、手足にも酷い発疹が増殖して、要介護状態になってしまった。このサイトの更新が半年も遅れたのはそのせいだ。訳の分からない皮膚の病気に悩まされている人に誤情報を与えたことをここに訂正し、お詫びしなければならない。
当初、圧倒的にリリカが効くと感
〜謎の皮膚病、あるいはお医者さんという人たち〜③ 重鎮が来た!
落ち着き払ったその重鎮は、またも電子顕微鏡のごときを試行したのち、私の目を覗き込んでこう言った。
「この症状が出る前に海外で性風俗を体験していますか?」
「ないです」
「聞きにくいことですが同性としてお聞きします」
「そうですか。でもありません」
どうやら新種の性病を疑われているらしい。私は性に対する探求心は旺盛だが、実際には弱い方で、殊にお金などが絡むと萎えてしまうのだが、それを800字程度
〜謎の皮膚病、あるいはお医者さんという人たち〜② 医者は現代でも人格者か?
そもそもの始まりは6年前の11月に首元の中央部に直径3センチほどの赤みが出たことだった。特に苦痛でもないので乾燥肌の薬やニベアみたいなのを薬局で相談して処方されたままテキトーにしておいたら、これが2月に入って背中じゅうに出て、私は悶絶した。速攻時々お世話になる皮膚科に駆け付けたが、そこには私が信頼する医師は既にいなかった。詳しいことはわからない。どうやら医院ごと新しい医師に売ってしまって引退した
もっとみる〜謎の皮膚病、あるいはお医者さんという人たち〜① 「リリカOD」とは何だ?
私が何故にこのnoteをやろうとしたかと言えば、誰かの役に立ちたいと思ったからである。私の原稿は大昔から、役に立つかどうかを基準にして書かれている。でも今回は音楽やロックとはまるで違うテーマ。人生観や生き方を変えるとか、アングルを見直すとか、そうした目論見もない。ただ老人の侘しい現状とやがて誰にでも訪れる災厄の準備をしてくれればいいと思って書く。
それが例えば、私の様に謎の慢性皮膚病に悩んでい
ヒロシの異郷の駅前食堂が好きだ
一週間で一番楽しみな番組は何かと問われたら、躊躇うことなく「ヒロシの駅前異郷食堂」だと答える人が国民の大多数だと思う。それほどにこの番組は優れており、民放のひな壇芸人のろくでもないやり取りが心底鼻につく勢力にとってはもはや神輿的なシンボルともなっている。有吉だのマツコだの坂上だのの、ただのあしらい上手を見る暇なんぞないと唾棄する人は、もはや朝鮮民主主義人民共和国の現在生存総人口よりも多いかもしれ
もっとみる音楽評論家としての真実は人生に一回だけ
気持ち悪いので自分では書いたことはおろか、見たことさえないのが自分のウィキだ。周りからの情報によれば私はそれによると「音楽評論家」になっているようだ。ちょっと前なら「いや自分はもともと編集者なんですよ」とか思っていたものだが、もうどうでも良くなった。てか、編集者だなどと思っているより、そっちの方がいいわ。
その理由についてここでつらつらと考えたところで、そんなものを読まされる読者にとっては一円
妻に関する根源的な違和
1)疑惑の発端
一昨年の正月、私は妻のご両親に会うために甲府に向かっていた。婚姻を前提にした同居を許可して頂くのが主たる目的だ。しかし私はもう60歳。妻は48歳。相手は80歳。どのツラをさげて「同棲をご理解ください」などと言ったらいいのか、その塩梅は自分ですらまるでわからない。
甲府行きの車中で妻が言うには「父は一風変わっているから気を付けて」とのこと。一風変わっているとは何だ?と質問しても彼
ピーターバラカンさんへの慕情
イギリスに「ピーターバラ」という都市がある。このうちの「バラ」なる部分は日本語ではカタカナ2文字に過ぎないが、現地英語表記ではboroughというめんどくさいスペルになっている。もともと中世からの城塞都市にはこのように「バラ」という語尾がくっ付くことがあるようだ。同じようにエジンバラ(burgh)やドイツのハンブルグ(hamburg)など、このような語源を持つ都市はヨーロッパでそれぞれのスペルと
もっとみる大久保青志を断固粉砕する市民の会
大久保さんという先輩がいる。不遇な事件によってサラリーマン人生が終わった私には大久保さんが今でも唯一の先輩だ。フリーランスとなった私に何のわだかまりもなく声を掛けてくれたのは本当にこの大久保さん、ただ一人だけだ。
声を掛けると言っても、特に仕事や健康を案ずるでも気遣うでもなく、私のマンション前の開発問題に時々情報提供してくれて、実際に現場を見に来てくれたこともあるくらいのことだったけれども、彼