ピーターバラカンさんへの慕情

 イギリスに「ピーターバラ」という都市がある。このうちの「バラ」なる部分は日本語ではカタカナ2文字に過ぎないが、現地英語表記ではboroughというめんどくさいスペルになっている。もともと中世からの城塞都市にはこのように「バラ」という語尾がくっ付くことがあるようだ。同じようにエジンバラ(burgh)やドイツのハンブルグ(hamburg)など、このような語源を持つ都市はヨーロッパでそれぞれのスペルと発音で多様化していったものと見受けられる。英ミドルスブラや南アのヨハネスブルグ、ロシアのセントエテルブルグやあるいはトルコのイスタンブールなども関連がありそうだ。これらは早い話が日本で言う所の「城」起源というわけであり、「壁に囲まれた」という意味では進撃の巨人がそもそものモチーフとした背景でもある。 
 何故このようなことに興味を抱いたのかというと、ピーターバラカンさんは、もしかしてピーターバラの出身なのだろうか?ということだった。カンという接尾詞には「どこそこから」の語源が含まれていないか?
 ピーターバラカンさんは、先日、高知行きの飛行機に乗って得体のしれない高知の田舎でDJ業務に勤しんでいたという。これは私の妻からのタレコミで、彼女の高知人脈がそれを楽しみにして実際に参加したのだという。しかし、何故に高知の田舎でDJを?一体どんな曲を掛ければ高知人の耳に合うのだ。またピーターさんはどうして高知にまで足を延ばしてでもDJをやる必要があったのだろうか?
 ピーターバラカンさんとの縁が私は深い。新潟の田舎から上京していきなり六本木に出勤するはめになった私の前を都立大学駅まで午前9時25分に歩くのは、いつだってピーターバラカンさんだった。目黒区八雲にお住まいだったことは間違いない。ピーターバラカンさんはなんのためにどこに毎日通っていくのだろう。普通にお声掛けをして「うわ、ピーターバラカンさんですよね!?」などと言うことも、もしかしてできたかもしれない。だが、しがない水吞み百姓の私には「高貴な英国紳士がいつも目の前を歩いていやがるぜ」とヤンキーメンタルでやり過ごすしかなかった。
 その後私はそこそこ有名な洋楽音楽業界人となり、理論的にはピーターバラカンさんとも近しい距離にはなったものの、ついぞご本人にお会いする機会はなかった。今なら周辺からとりなしてもらい、ピーターバラカンさんに聞いてみたかったことを思いっきり聞けるかもしれない。積年の恨みを晴らすようにではなく、自然とお話出来る年齢にも達したと思う。
 しかし、そのようなことはしない。私は実在存命人物の名前をウィキ等で検索することは下衆の所業と考えており、地理オタクとしてピーターバラに辿り着きはしたものの、もしかしてピーターバラと彼が劇的な関係があったにせよ、色々な謎めきは直接聞くだの調べるだのの野暮はしまい。心静かにピーターバラカンさんのことをあれこれと考えていたいのだ。

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高知の「カミネコ」。祠の中に住んでいるという。


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