オアシス原稿依頼が謎すぎた

 このnoteを始めてから、このサイト経由で初の原稿執筆の依頼が来た。私は原稿の注文が欲しくて書いているわけではないのだが、それでも評価に基づく何らかの反応を示されることは、喜びだ。儀礼としてもここは速攻返信した。Tなる会社の編集者高山さんという方からで、詳しくはメール返信にてと書かれている。
 私は期待した。このろくでもない、得体の知れない私のnoteからの注文ともなれば、個性的なアングルからの、予想も出来ない更にへんてこりんな注文を、多分熱意だけでごり押しするものであろう。それはそれで面白いし、ありがたい。
 ところがその返信の注文内容のメールを見て唖然とした。
 どうして唖然としたかと言えば、そのメールを全部掲載すれば読者には一目瞭然なのだが、さすがにそれこそ更に儀礼に反するので、以下の通りまとめてみる。
 「オエイススの96年のネブワース・ギグのドキュメンタリー映画が出来るのでそれに合わせて書いてほしい。」ここまではまだわかる。だがそのメール本文全体の基調には何の変哲もなく、ただ真面目で一通りの業務連絡が書いてあるだけだった。それ以上には特段の項目はない。私が注目したのは、実はこの特段の項目が無いところだった。
 どうして私のnote経由で申し込んできたのか?往時の私の希少なファンであって懐かしいとかそんなことも書いてないし、私ならではのことを書いて欲しいとの編集者の熱烈な要望もなく、つまりは私でなければ書けない特殊原稿でもない。注文は丁寧であり決して乱暴ではなかったけれど、驚くべきはその原稿料で、5000字書いてギャラが15000円だという。12.5枚も書いて俺この年でそれかよ。
 私もさすがに洋楽とか音楽原稿の最近の相場は知っており、私が雑誌編集長の時に、完全な素人の投稿を掲載する際に一枚6000円払って、当時の評論家なるものを見下してやれと野心を露わにしていた時期とはまるで異なることや、いわゆるウェブライターが現在幾ばくも無い賃金で働かせられていることも理解している。そうしてまた私こそが往時のオアイススを誰よりも詳しく知っており、このネブワースギグが英国人の復活祭とでもいうべき記念碑だったことも書けるだろうことも承知してはいる。
 熱意もない、感情もない、困難で例外的な依頼を無理を承知で懇願するでもない。あえて言えば、その上で馬鹿に安い執筆依頼とは何を理由にしているのか。私をもしかして生活困窮者と見做して同情してくれたのか?あるいは増井など知らんが、編集長あたりが「やんごとなき期待の新人!」などとのコピーでもって私に昔、騙されたとの過去を恨んで今こそその悪夢を晴らしてやるとの怨念から部下に命じたはいいものの、肝心の部下はそのような経緯も思い出もないものだから、ただただ無機質な命令を、「だるいな」「うざいな」と感じつつ、一応連絡してきたのだろうか。
 ここに至って飛騨高山君の魂胆への推測は困難を極めたので、直接電話をしてみることにした。私とてこのような面倒臭いことは本来すべきでないと思うし、これが私の体質と見做されて他の出版社からの注文も躊躇われるとなれば本意ではないのだが、他に彼とコミュニケートしてみる術はもう思い当たらない。
 私は先に書いたようにメール内容には相当に困惑しており、最初の返信にも電話でいいですよと添えたのに、このような訳の分からない注文が来て、はっきり言って腹を立ててもいたが、ここは一度感触を確かめたかったのだ。私から電話すれば断るにしてもその方が後味が悪くないだろう。冷静に愛想笑いを含んで切り出した。
 「さすがに今回はお断りしたいのですが」
 「わかりました。また次の機会がありましたら」
と飛騨高山君はすかさず答えたのだった。
 「さすがに」のところに皮肉や問題点を込めたつもりだったのに、おい、これで終わるってどうする。
 下手に追いかけることもできないから、話題を変えて食いつく。何故に俺なのか??
 すると彼は「最近はコラムとか書かない感じなんでしょうか?」ときたもんだ。現にここに下らない原稿を書いているのではないか、読んでもいねーかよおう!
 「あのう、これはネタじゃないかとすら思ったんですが、違いますよね?」
 「ネタですか」
 そう言ってしばらくして飛騨高山さんには、何の悪気もなく、意図もなく、恐らく次のライターを確保するための沈黙が訪れようとしていたので、仕方なくて電話を切ってしまった。虚しかった。高山さんには、もう一度どうして自分に連絡をくれたのか聞いてみたかったが、聞いたところで主だった理由などないのだろう。そんなものかと思うにとどめた。彼には本音とかそういうややこしいことは要らないものだったのだろうか。

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このギグの解説者として私が最適であるのは間違いないが、観ていない

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