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永遠のワーキングクラス、ポール・ウェラー

 これは今からおよそ20年前、2004年に取材したもの。初のカバーアルバムの発表を機に来日した時の日本唯一のインタビューとなった。何故そうなったかと言えば、彼は前日の飲酒がたたってただの頑固な親父と化しており、増井の取材一本受けたのだからもう十分だろうと言い訳して、それで帰ってしまったのだ。当然次が順番だと準備して待ち構えていた他媒体に怒られ、いつもの様に私は逆恨みを買ったが、予見しようもなかったのだから仕方ない。 
 
 考えてみれば、ポールにインタビューした回数として私は日本最多だろう。しかし取り立てて仲良くも何ともなれず、日本利権の一部代行とか、版権管理の様な役得とか、未だのメール友達とか、親密な関係を全く築けずに今に至った。勿体無い。

 まぁジャーナリストとしてその分純粋だったし、その分ポールも時には緊張で乾いた唇を舐めながら答えていた。そういう下地があったので、この取材の頃には、無遠慮合戦のようになったのだった。


 18歳でデビューしてから、3年と間を置かずに出し続けたアルバムは、既に23枚。「中年のロール・モデル」は、常にそのような不変の若さを謳歌してきたかにみえる。
 しかし、モード・チェンジを繰り返しながら今も「創造の働き蜂」であり続けるとは、どのようなことなのか。
 老いへの抗いでもなく、常識的な円熟でもなく、ポールが自覚する「若さ」は全く別の位相にある。

俺は若々しくあろうだなんて、一度も考えたことはない。そんな事に気を配ってる余裕はない


 久々に会ったポール・ウェラーは、大幅に「親父」になっていた。
 次第に貫禄がついて分厚くなっていた上半身は特に、お腹の部分のみ、完全に出た。直情潔癖の象徴だったあの真っ直ぐで、つやのある髪の毛も、その光沢を失い、白いものが混じって、かってのボリュームはもうない。何よりも端正なお顔が、何故か、赤黒い。これは立派な英国パブ流酒焼けと見た。
 その代わり、単に「歳食いましたね〜」などとは絶対に言わせない「おっかなさ」が、「若くてセクシーならなんでもOK」の、アメリカ的ステイ・ヤングの潮流に真っ向から異を唱えて、デンとそこにかしましている。

「俺はね、大人になりきれない中年にはなりたくないんだよ!いつまでもガキのまんまなんて、なんの意味がある? 今更あの頃に戻ろうなんて不可能だし、戻ろうと四苦八苦してもしょうがない。自分自身であり続けさえすれば、それで結構だ。だいたい、俺は若々しくあろうだなんて、一度も考えたことはない。そんなことに気を配っている余裕なんかない。毎日生きていくだけでいっぱいいっぱいだよ。ただ、言えるのは、俺はいつも音楽を信じてきたし、音楽と一緒に生きてきたってこと。もし俺が若いってんなら、そこのところだろうな。音楽には生命エネルギーがある。音楽を演奏して、音楽を聴くって行為には、エネルギーの交歓を伴うからね」

 例えば、御歳57歳のデビッド・ボウイーが現在も1973年の「ダイアモンド・ドッグス」に扮してもたいした違和感がないのは驚異というほかないが、そうした宇宙人的な謎めきと、ポールは対極のまっとうさの中にいる。それはこうして、いっつも怒っているような、ともすればブチ切れんばかりのエネルギーの出し方と関連していて、音楽のエモーションが性的なものばかりであってたまるかという反発に根ざしたものともいえる。
 一方で、ほぼ同時期にデビューしたスティングやエルビス・コステロが、いかにも思慮深く頑張れば頑張るほど、むしろひなびていく姿ともまた、対照的だ。
「ブブブーッ(親指は真下に立ててます)!! あいつらと俺を一緒にすんなよな。まあ、俺はラッキーだっただけかもしれないけど、俺は連中のように音楽に対して疑いを持ったことはないから。あいつらは知らんよ(笑)。でも、俺はずっと、少なくとも音楽は信用してきたんだ」

―46歳になったこれからも、新しい情熱のもとで、高みに上っていけると考えているのか。
「うん、俺はそう考えてる。とにかく、ステージに立って演奏する。そうすることで、オーディエンスから、新しいエネルギーをもらうことができる。つい最近イギリスでやったライブは、もう、生涯でベストといえる出来だった。もう何百回、何千回ステージに立ったかわからないってのに、この歳でベスト・ライブをやったんだぜ! だからさ、俺はこれまでも前に進んできたし、これからも前進して行くことは可能だと信じてる。そうじゃなきゃだめなんだ。年金受給を楽しんで暮らすなんてのは、真っ平ごめんだし、退屈で死んでしまうだろうよ。俺にはキレイな歳の取り方なんていうのは、興味ないんだよ!」

「いつまでも若く」が、音楽には少々余計な資本主義の装飾であること。反対に、必ずしも「洗練と円熟」が音楽に生命を吹き込まないこと。このニつへのアンチの中で、ポールは正しくオヤジ化しているわけだ。

なんだか文字にしてしまうといつも取材子が怒られている様だし、ここに「ファッキン」だの「ブルシッ」だのが挿入されるから、本当におっかない親父に見えるかもしれないが、実際はそうでもない。リアクションの過剰な性急率直さと、直そうともしないコックニー誰りもどきはどうにかならんかと思うが、これが英国の典型的なワーキング・クラスの誇りだと思えば、こちらも気兼ねは要らない。

俺達はパンのために働いてなんぼの世界だぜ。そんなやつが、燃え尽きるだの、鬱病になるだの、考えていられないって


―そろそろ、引退は考えないのか。
「いつだって考えてる。デビューした頃から引退の事はずっと頭にあった。21歳の時には、絶対25歳になったら引退しようと考えていた。25歳の頃には、30になったら引退しようと思っていた。だから、45歳を過ぎた現時点では、まあ、50歳になったらミュージシャン稼業から足を洗おうと考えてる。だけどね、音楽は俺の人生そのものなんだ。ガキの頃からずっと音楽をやってきたんだし、いまさら、他の人生なんて想像もできない。今だって音楽を楽しめているし、たった四年後に情熱が冷めているとも考えにくい。そうするとおそらく、50歳の時に同じ質間をされたら、55歳で引退だ、と答えているんじゃないの(笑)」

―そもそも、30年近くに渡って、スタイル・カウンシル解散時の一時期を除けば、休むことなく突っ走ってきた。これほど長い間、不眠不休で突っ走ってきた人間は、そろそろ、更年期障害に悩ませられるはずだ。でなければ、鬱病になるとか。それが定説ってもんだ。自分の行く末に不安はないのか。
「(笑)いや、俺は、オールド・ファッションな労働者階級の出身だからな。ミツドライフ・クライシスなんてありっこない。俺達は、パンのために働いてなんぼの世界だぜ。自分が燃え尽きるだの、鬱病になるんじゃないかだの、気にしちゃいられんよ。だいたいさ、これが仕事なんだからしょうがないだろ! そりゃどんな仕事だっていいことばかりじゃないやね。マイナス面も必ずある。でも人間、生きていかにゃならんのだから、しょうがない。働き続けることで世間様に顔向けができるってもんなんだよ」

 これがイギリスにおけるポール・ウェラーの絶大な人気の秘密だ。
 英国における階級制は近年、所得の多寡によって、即逆転するような、緩やかなものになったといわれている。実際、ミック・ジャガーにも「ナイト」の称号が与えられて、それを本人がまんま受け取ったという話は、驚きだった。だが、例えば、膨大な金をかせぎまくるサッカーのデビッド・ベッカムが、何もかもを大事件に扱われながら、その報道スタンスにはどうしてほとんどバッシングの匂いが出てこないのか。妬みや、持ち上げたあとの反動を醸成している気配もない。例の不倫騒動の時、彼の親父が一言「ピッチですべての答えを出すのが男だ」ってなことを言ったら、誰ももう何も言えなくなってしまった。「パンのために働いてなんぼ」と公言するメンタリティーには実は、今でも奥深いシンパシーの底流があるのだろう。世代闘争のとりわけ激しい英国ロック・シーンで、ソロ・デビュー以降、ポール・ウェラーが、モッド・ファーザーと奉られこそすれ、若いミュージシャンやオーディエンスから、批判を食らっていないという希有な事実は、ここにその理由がある。

―一体あなたは、今、どの世代に訴えかけるアーティストなのだと思うか。
「俺の音楽を聴いてくれる人が、俺にとってのターゲットという言い方しかできないな。知ってるように、ずいぶん長いこと音楽をやってきたから、ライブにやってくるのも、幅広い年齢の客層だ。俺より年上のリスナーもいれば、最近のアルバムを聴いてファンになったキッズもいるし。俺は、今では、特定の世代だけにアピールするわけじゃなくて、あらゆる年代、あらゆる国籍のオーディエンスと親密な関係を築いていると思うね」

 では彼の国民的人気は、そうしたワーキング・クラス気質を、具体的にはどのように音楽化したものといえるのか。
 最大の特徴は、愚直なまでの、ライブ・ベースの活動だ。
 90年の暮れ、マンチェスター・ブームの嵐が訪れ、決定的な世代交代が行われた最中、ポールは場末のクラブから「毎朝、起きると、もう逃げてしまいたくなる」ようなツアーを開始した。スタイル・カウンシル解散前後の低迷からの脱却を彼はまず、現場に生身を晒して聴衆との相互作用を糧に、リハビリとしたのだ。
 それ以降、ソロ3作目にして、ナンバーワンのミリオンセラーに到達しても、ライブは継続している。前々作『ヒーリオセントリック』が、いつものように売れて全英二位になった後には、今度はギター1本によるツアーに出ている。『ヒーリオセントリック』は、かなり内省的なアルバムで、あれ以上考えこんで突き詰めようとすれば、おかしな方向に行きかねなかった。
 つまりここら辺の、弱った情動を取り戻そうとする「野生の力ン」というのは、ライブでの緊張感から得ていて、閉じこもって考えていても始まらないとする行動主義は、聴衆への信頼抜きには音楽もまた成立たないとするものだろう。
 しかし、ポールのライブというのは、7月に行われた「ロック・オデッセイ」でも明らかなように、過剰なショウマンシップをむしろ積極的に排除したものだ。全出演者の中で、ポールだけが、フェスらしくもない無愛想さで、ただ一生懸命、演奏していた。
 それは例えばエアロスミスのように、エンターテイメントを客に与えるという意識からは遠いから、そのことが英国以外でのセールスの、貧弱な原因になっているかもしれない。聴衆との見え透いた交流なども一切しない。だが、漫才じゃあるまいし、客受けを目的化してしまったら、自身の能動性は反対に押さえつけられていく。
 ポールのソロ以降の、アルバム・リリースは、ベスト盤とライブ盤を含めればこの12年間で10枚。まったく働き者だ。そうしたものがいつも鮮度を奇跡的に保っているのは、このような、観客への独自の信頼に根差す。
 今回の全部カヴァーの新作『スタジオ150』にしても、その「カン」は発揮されることになる。

歳をとるごとに新しい事をやるのは難しくなってくる。あれもやった、これもやったって。だったらもう、他人の曲をやっちまえって


「今回はただ楽しみたかった。そろそろアルバムを作るサイクルだからと、12曲新曲を書くという毎度の繰り返しから一休みしたかったんだな。ソング・ライティングから解き放たれて、シンガーに専念してみたかった。だって、何年も同じことをやっていると疲れちまうんだよ。明確なコンセプトも選曲基準もない。時代もバラバラだ。今回選んだ曲は本当に偶然でさ、別の日に選んでたら、全然違う12曲になっていたかもしれない」

 一見能天気に言うから、単に趣味に走ったかと思うがそれは違う。
「このアルバムでは、お気に入りの曲じゃなくて、あえて馴染みの薄い曲を選んだ。もし、細部まで知っているような好きな曲を選んだら、アレンジまで体に染みついているから、コピーになってしまう。だけど概ねの構成しか知らなければ、自分で補って再構築するしかない。ポール・ウェラーのアルバムと呼んでいいものになったと思うよ」

―だけれども、ボブ・ディランとジミヘンの「見張り塔からずっと」なんて、おっかなくて誰もやらんだろう。
「ああ、まったくだ。よく知らなかったからできた(笑)」

―一方、オアシスの「ワン・ウェイ・ロード」は、かわいそすぎまいか。ホントはこうやって歌うんだっていう嫌味丸出しだろう。
「そんなことねえって(笑)。俺はね、そんなに倣慢じゃないよ。あの曲には、ニューオーリンズっぽい雰囲気があって好きだったんだ」

―ノエル(ギャラガー、オアシスのリーダー)は聴いて何と言ってた?
「気に入ってたんじゃないの。でも、あいつは感情を表に出さないからなあ。『ふ〜ん、いいじゃん』くらいでさ。マンチェスター生まれの人間はみんなそうなんだよな」

―また、そのような暴論を。よく泣く奴だよ。泣いてたんじゃないのか。
「泣いてない、泣いてない」

―で、今、カヴァー・アルバムだったわけは?
「実はずいぶん新曲を書き溜めてあったんだ。ところが、どうしてもそれが新しい可能性を切り開いているように思えなくなってきてね。ああだこうだと思い悩んでみても、新しいソング・ライティングのスタイルを築くことできなかったんだよ。歳を取るごとに新しいことをやるのは難しくなってくる。あれもやった、これもやったって。だったらもう、いっそ、他人の曲をやっちまえって」

 この「ぶっちゃけ」を額面通りの、煮詰まりと見るか、思い切りのいい跳躍と見るかは、作品を聴いてもらえばいいと思う。

イギリスの民主主義は偽物のイカサマだ。アメリカとまったく同じ。爆弾を落したければ、気分次第でやってしまう


―あなたは常にエリック・クラプトンやエルトン・ジョン、ザ・フーやローリング・ストーンズの「自分リメイク」に批判的であり続けてきたが、彼らは自らのブランド・イメージを保つことによって、リスナーの期待に応えてきた。あなたは毎回イメージを更新することによって、最も信頼できるアーティストと称されながらも、最も売れるアーティストとはなっていない。この辺り、自分としては、音楽面・経済面での路線安定を考えることはないのか?
「もちろん考える。特に子供できてからは将来のこと、生活のことを真剣に考えるようになった。ただ、自由な音楽創造を犠牲にして生活の安定を求めたことは一度もないね。もっとも、だからといってエリックやエルトン、そして他のバンドがダメだとか、自分が他人より偉いとか言うつもりはないんだ。
 例えばザ・フーはもう30年以上、ずっと同じ曲を演奏してきたけど、相変わらず世界最高のロック・バンドだ。4ヶ月ぐらい前に彼らのライヴを見たけど、本当に素晴らしかったよ。ただ、俺には彼らと同じことはできない。毎晩同じ曲を演るなんて、これまた、退屈で死んでしまうからな」

―東洋の格言に「四十にして惑わず」という言い方があるが、新鮮な感動を糧に生きるってことは、いつも自分を不安の中に置いておくことと同じだ。それは大変ではないか。
「俺は40を過ぎても惑いっぱなしだよ。でも歳をとると物事そんなに簡単じゃないって気付いて、頭を抱えてしまうんだよな。だから、昔より今の方がよっぽど惑いっぱなしだし、不安だ(苦笑)。ただ、自分の子供、自分の家族を持ったことは、自分の人生にひとつ中の焦点をもたらすことになった。その点では惑わなくなったと言えるかもな」

―かつて、あるミュージシャンから「政治的にも覚醒しようとしないミュージシャンは未熟だ」と言われたことがある。あなたの盟友スティーブ・ホワイト(スタイル・カウンシルから現在も一緒に活動)だ。イギリスでのブレア以降の民主主義についてどう考えているか?
「イギリスの民主主義はニセモノのイカサマだ。アメリカとまったく同じでね。政治家たちは口先では民主主義とか言うけど、あんなものはたのリップサービスだよ。去年はイギリス、アメリカ、そして日本でも何百万人もの人々が戦争に反対したけど、意見はまったく聞き入れられなかった。政治家どもがイラクに爆弾を落としたければ、我々がどう言おうが、気分次第でやってしまう。そんな社会のどこに民主主義がある? まったくジョーク、まったくのくそったれインチキさ」

―最悪なのは何だ?
「まず最初にジョージ・ファッキン・ブッシュをお払い箱にしなきゃな。あんな頭のおかしな奴がアメリ力大統領だなんて、本当に怖い世の中だよ。ただ、去年世界中で行われた反戦運動は、ひとつのスタート地点じゃないかとも思えるんだ。我々は諦めちゃいけない。立ち上がって行動をとることによって、いつかマザーファッカーどもの手から民主主義を取り戻さねばならないんだ。いつかそんな日が来ると、オレは信じてるよ」

ーあなたは23歳のときにバンドを解散、29歳で思春期の終わりを実感して、31歳で木々と太陽に感謝するナチュラリストになるなど、一般の人々よりも早熟だ。どうしてか。
「早熟というか、他の人とちょっとズレてるのかもね。それは好むと好まざるとに関係なく、結果としてそうなってしまったんだ。毎日『他の人と違う人生を送ろう』と考えてるわけではないんだよ。誰かに指摘されて、ようやく気がつくんだろうな」

―ロックの持つ放蕩的な「若さ」への賛美を一貫して嫌悪してきたことが、そうさせたのではないか?
「ああ、俺にとって音楽はいつもシリアスなものだった。エンターテインメントであるのと同時に、もっと人生全般を潤す力ルチャーだったんだ。単にノリとかお楽しみだけを追求する姿勢もけっこうだけど、俺には耐えられない。それは俺が人生をクリアする方法ではない。もう少し頭を使ってみたらとどうだい? って提案したくなる」

―日本のリスナー始め多くの人が見落としがちな点だ。優れた表現というものは、ポジディヴな感情だけでは様式化してしまうので、どこかにネガティヴな部分、つまり敵意や悪意を内包していると思う。あなたの音楽の中にもそんなネガティヴな要素を感じるが。
「その通りだよ。オレは自分の人生、それを取り囲む社会の明るい面と暗い面、両方について歌ってきた。そうすることで音楽に起伏が生まれるんだ。いつもfun、fun、funなばかりじゃ退屈だし、その逆に暗いことばかり歌っていても平坦になってしまう。オレにとって音楽とは山も谷もある、人生そのものなんだ」

エネルギッシュでタフで正直な「親父」は、そう締めくくった。そういう彼の奏でる最新作でのギターは、かなり繊細でエロチックである。


階級は下なのに、一生働くつもりなし


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