当事者として活動するという事の考え方の変化に関して
10代後半から当事者というカテゴリーを与えられて、一里子であった若者として少し活動した。
当時は社会のシステムも誰がどんなことをして政策を作ったり、運用したりしているのかも知らない青臭い若者だった。
しかしながらこの世の中は絶対に間違っている。こんなに辛い思いをする子どもがこんなに沢山るなんておかしい。そんな風に感じていた。
一人称でしかものを捉えられなかったので、家庭という複雑なものを想像する力がなかった。
反骨心から必死になって、不条理に対する怒りのようなものもありながら