まさみ

自由気ままな30代社会的養護経験者

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最近の記事

マルチ その2

マルチ商法とは その2 一つ先に注意してほしいのが、私の体験は東日本大震災が起きたすぐあと当たりから3年ほどの経験なのでこの10年でコロナもあり、事情は大きく変わっている可能性がある。 マルチをやる人  私がやっていたものを書くので色んなものがあると先に言っておきたい。さらに言えば個人的バイアスが多分にかかっているので、偏見にあふれている箇所も多くなると思います。 そのうえでどんな人がマルチをやっているか。普通の若者がやっている印象が強かったです。ただ傾向としては

    • マルチ商法 #1

      マルチ商法とは  問題の渦中にいるときは目の前のことしか見えていないという状況が多いように感じる。冷静になれない、また次の問題が発生し、その対処に苦慮する。第三者的にその様子を見ていると、もっとこうすればいいのにとなることは多いと思う。 20代半ばのころマルチ商法をやっていた。その時に借金もあった。それでもやっていたがもう今はやっていない。 マルチ商法自体は悪い事ではないと今でも思っている。 大前提としてマルチレベルマーケティング商法やネットワークビジネス

      • マイスモールランドを見て

        マイスモールランド 凱旋上映 見てまいりました。 難民と聞いても、正直自分の生活や人生とはどこか遠いところの話のような気がしています。 事実として日本が世界的にみると難民認定をしないとは聞いたりしてそれが問題になっていることは知っていましたが、自分の実生活とはどこか遠いところの話のような気がしています。 この映画の内容とは関係ありませんが、学生時代ビル清掃のアルバイトをしていた時に同僚に中国の方と残留孤児の2世の方がいました。中国の方は10年以上日本にいる方で日本語

        • 戻る感情

          恋草を萌やすという歳でもないのかもしれない。 年齢なんか気にしないで好きに恋なんかすればいいというのもわかる。 情動に踊らされる自分を客観的に見てしまうと小恥ずかしい気持ちになる、言い訳として年齢を持ってきた。 何度か経験した、何も手に付かなくなる期間。頭の中にかかった靄を意識しないために、ほとんど行っていなかったジムに行っている。体を動かしている間は気が紛れる。いや、気になるあの子に触発されたのだろうか。 その言葉を言ってしまったら、今までの関係ではなくなってしまう

        マルチ その2

          当事者として活動するという事の考え方の変化に関して

          10代後半から当事者というカテゴリーを与えられて、一里子であった若者として少し活動した。 当時は社会のシステムも誰がどんなことをして政策を作ったり、運用したりしているのかも知らない青臭い若者だった。 しかしながらこの世の中は絶対に間違っている。こんなに辛い思いをする子どもがこんなに沢山るなんておかしい。そんな風に感じていた。 一人称でしかものを捉えられなかったので、家庭という複雑なものを想像する力がなかった。 反骨心から必死になって、不条理に対する怒りのようなものもありながら

          当事者として活動するという事の考え方の変化に関して

          ~俺が見た東京の夜~ 第三夜

          風俗の広告営業マンをして1年ほど経った頃、当時まだ社長もプレイヤーとして活躍していたのだが、事業拡大の方に注力したいとお客さんを徐々に引き継いでいった。この頃に事務所を移転して隣の駅の少し広いきれいなスペースに引っ越した。 会社には内緒だったが、すぐ近くのバイク置場を月極で借りていた。おそらく当時は誰も気が付いていなかったと思う。 目が回るような忙しさだと感じた。週に一度の休みはあったが、何しろ平日がとてもきつかった。8時半に出社し大体23時ごろに終礼、週に2回ほどその後

          ~俺が見た東京の夜~ 第三夜

          ~俺が見た東京の夜~第ニ夜

          今まで経験してこなかった夜の東京。 風俗店が何をしているところなのかも知らずに入った業界。 まず、風俗店相手の広告代理店が風俗店に提案するのは大きく二つ 営業広告と呼ばれるものと求人広告。 営業広告はデリヘルやホテヘルは看板が出せないので、必然的に広告から自分の店舗の電話やホームページに繋げる必要がある。 なので、インターネットや雑誌、新聞などにお店の情報を掲載して新規顧客を取り続けるというのが通常の手法だ。 デリバリーヘルスとは性風俗関連特殊営業法という法律で無店舗型と

          ~俺が見た東京の夜~第ニ夜

          ~俺が見た東京の夜~第一夜

          大学の単位が足りずに大学4年の3月で休学。 6月までは学生時代からずるずると続けていたビル清掃のアルバイトを辞めて正社員になった。 2009年4月から5月まで足立区の北千住にあるハローワークに通った。正直、なりたい職業なんてなかったけど、営業という自分の里親がしていた職業が身近だったのかもしれない。営業職に行こうと漠然と色んな求人を見ていた。ただ求人情報の見方もよくわからなかったし、福利厚生の意味も知らなかった。 広告代理店というのがかっこいい感じがして、仕事内容は全然予想が

          ~俺が見た東京の夜~第一夜

          たっきーの自伝 22

          施工管理 防水の会社に入社した。29歳。周りはそこそこの役についている人も多かったので、この転職は不安もあった。 なんだかんだで営業の仕事を7年以上やっていたので、他の仕事をするのは勇気が必要だった。 まして防水の工事のことなど少しもわからなかった。 入社した時は、職人や現場の管理この業界でいうところの番頭として入社したのだが、入社半年で施工管理を現場常駐でさせられることになった。 ほとんどフォローもないまま現場を任されたが、全くうまくいかない。職人からの質問にも答えられな

          たっきーの自伝 22

          10代~20代当事者活動をやってみて

          2009年当事者活動を始めて5年ぐらいの頃、まだ大学出たばっかりで生活もカツカツのきつい中、それでも自分でやってた会を知ってもらいたかったし、里子の不遇を訴えていきたかった。仕事を休んで講演に向かい、人前でしゃべる事なんかホントはしたくないのに1時間一生懸命喋った。主催の方からもらった謝礼2000円。仕事を休まないで講演の機会を失してしまうことが怖かった。誰かほかにやってくれる人はいないのかともどかしかった。イベントをする側の人も正直当事者をなめてんのかって思ってた。仲間内で

          10代~20代当事者活動をやってみて

          恋愛と生活苦の狭間で

          同棲生活はあこがれだと夢想していた。 社会人になって彼女ができたら一緒に住もうと思っていた。幸か不幸か彼女はすぐにできた。 結婚という心持ではなかったが、とりあえず一人暮らししていた彼女と同棲というところまで2人での話が進んだ。 まだ結婚という段ではないが、一応筋として向こうの親御さんに挨拶はしてくべきだと思ったので、場を設けてもらった。 挨拶の当日、普段から営業職をしていたのでそんなに緊張はしなかった。 相手の実家に行くと相手の母がお茶を振舞ってくれた。一階でお茶屋さんを

          恋愛と生活苦の狭間で

          たっきーの自伝 21

          体を使った仕事 地元の設備の会社に職人として入った。 衛生関係の設備といっても詳しい人以外はピンとこないだろう。ようは配管工事だ。 新築の上下水道の配管、衛生器具(キッチン・トイレ等)の取り付けなどをする仕事だった。職人なんて全くの未経験だったので、最初は体がついていかなかった。まず、朝が早い。6:30に集合してから現場に車でみんなで向かう。現場が終わるのは大体17時ごろ。そこから帰って次の日の積み込みといった感じだった。帰るのは大体19時過ぎぐらい。日曜しか休みがなかった

          たっきーの自伝 21

          たっきーの自伝 20

          2社目の会社に勤め里親の家にも帰ったが、マルチもやっていたので全然生活は安定しなかった。 本気でビジネスを成功させようという気がなかったんだと思う。 会社では与えられたことをただ何となくこなしていたので、成績も悪かった。 そんな中、借金が依然として全然減らないので、債務整理をすることにした。相談料は50万高いのか安いのかも分からなかった。 結果気持ち的にはだいぶ楽になった。 周りに自己破産を選んだ人は何人かいたが、債務整理(任意整理)を選んだ人はいなかった。 NPOから借りた

          たっきーの自伝 20

          僕の声

          社会的養護の当事者活動を見続けて17年余り。 色んな当事者の方に触れてきた。 本当に色んな話を聞いたとは思う。 でも、この社会の問題の本質的なところは実は全然分からない。 当事者の声がとても強いんだと言われた時。 僕の持つストーリーは本当に大した事ないと思う。 この人生、大した事も起こらず、のらりくらりとやって来れたし。 産んだ親が育てなかったというのは、今はとても幸せな事だと思う。 子どもの時に金に困ったこともなければ、行くところがなかったことも無い。 自分で人生を選

          たっきーの自伝 19

          2011年はかなり生活に変化のあった年だった。 明けて2012年、里親の家に来て、マルチ商法をやってみて気が付いたのは。本当に自分の今の勤め先が異常だという事。休みが極端に少なく、拘束時間が長く、給料も高くない。国民健康保険で国民年金で住民税も自分で払いとなると余計に状況が悪かった。いや、悪いという事に気が付いてきた。 ただ、一方で転職活動ってどうすればいいのかわからなかったので、色んなサイトを毎日見ていた。色んな求人サイトで職務経歴や対外的な営業成績表の作り方を見よう見まね

          たっきーの自伝 19

          たっきーの自伝 その18

          借金は依然として減っていかない状況が続き、何とかかんとかじり貧で生活を続けていた。 彼女の方は結婚の願望が強かったのは気が付いていたが、とてもこの状況で結婚ができると思えなかった。 もうこれ以上一緒にいられなくなるんだろうなと薄々感じながらも、過ぎていく日々であった。新居に引っ越してからは以前よりは彼女の病状も落ち着いたように感じた。 以前から社会的養護の子たちが措置解除になる時に何かお祝いをという事で門出を祝う会というのを化粧品メーカーと一緒になってやっていた。数年前に私が

          たっきーの自伝 その18