当事者として活動するという事の考え方の変化に関して




10代後半から当事者というカテゴリーを与えられて、一里子であった若者として少し活動した。
当時は社会のシステムも誰がどんなことをして政策を作ったり、運用したりしているのかも知らない青臭い若者だった。
しかしながらこの世の中は絶対に間違っている。こんなに辛い思いをする子どもがこんなに沢山るなんておかしい。そんな風に感じていた。
一人称でしかものを捉えられなかったので、家庭という複雑なものを想像する力がなかった。
反骨心から必死になって、不条理に対する怒りのようなものもありながら活動を続けていたんじゃないかと思う。
しかしながら、最近になって思う。怒りとは無理解に近いのではないか。

社会に議員さんたちに実親に里親に児相に色んな方面に怒りがあった。
実際に現場の議員さんや、メディアの人、虐待をした親、色んな里親や施設職員と話をして段々と理解ができるようになった。
若かりし頃の私は何にそんなに情念を燃やしていたのだろうかと、無知であったと思い知らされた。

私は活動の活力を社会に対する怒りで保っていたのかもしれない。
歯牙が取れたような気になってしまった。

目の前に確かに子どもに対する問題は山積しているが、色んな方が色んなアプローチをしていることも知れた。
そこに必ずしも自分がいる必要はないと思うようになっていった。
そう思ったときに初めて自分自身の人生ときちんと向き合えたように思う。

この先結婚するのだろうか、どんな家庭をどう築いていくのだろうか。
どんな仕事をして、どう評価されたいと思っているのか。
それまではなるようになると、何処かで考えていた節がある。

自分の人生の優先度を下げてまで社会に貢献しなくてもいいと思っている。
余裕のある方は自由にしていいと思うが、若者を見ていて自身の活動が人生の枷になっている様に感じる方も正直多く見えた。
活動自体は確かにやりがいもあるし、楽しい部分もある。自身の人生にとってメリットとなる部分も多い。
ただ、必修では決してないし、変革は時代が移ろうにつれて、大きな社会の一種の恒常性の様なものでそれなりの位置に落ち着いて行くとも考える。
もちろんそこには多くの人の努力が必要だが、自分で革命を起こさずとも革命が起きた時の一賛同者でも良いのではないか。

何かが憑いていたような気もするし、自分が活動していた中で志半ば亡くなった方たちの意向を社会に向けてと考えてもいた。
使命感を無理やり作ろうとしていたのかもしれない。理由が欲しかったのかもしれない。自分が活動する理由に故人を語るのも、今は違う気がする。

緩やかに確実に子どもたちに関する考え方は、社会は良い様に変革していっていると思う。
ここは楽観しよう、未来は大丈夫だと。
そして、今は自分の人生を考える時間にあてていこうと思う。

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