たっきーの自伝 22

施工管理
防水の会社に入社した。29歳。周りはそこそこの役についている人も多かったので、この転職は不安もあった。
なんだかんだで営業の仕事を7年以上やっていたので、他の仕事をするのは勇気が必要だった。
まして防水の工事のことなど少しもわからなかった。

入社した時は、職人や現場の管理この業界でいうところの番頭として入社したのだが、入社半年で施工管理を現場常駐でさせられることになった。
ほとんどフォローもないまま現場を任されたが、全くうまくいかない。職人からの質問にも答えられなかった。ものすごく勉強が必要だと痛感した。

現場では日々問題が起きていった。それを迅速かつすべてに対応し、施主や住民・テナント利用者に説明しなければいけないのだが、何せわからない。誰も教えてくれない。躁鬱激しい先輩にかなり振り回される場面もあった。いわゆる昭和のヤンキー文化みたいなものが好きな会社だったので、飲みの席などでは目上の酒の作り方、気の配り方みたいなものに重点を置いたりしていた。職人も40代中心の人が多かったので、それでよかったのかもしれないが、俺には最初から合わなかった。

長期現場に半ば出向のような形で入ることになり、そこではなかなかの経験になった。渉外、交渉、積算、見積、計画、管理等々施工管理の仕事はかなり多岐にわたることがだんだんと分かっていき、得意を生かせる仕事だと思った。向いてはいるが好きではないというような感じだったが、今までと比べたらそこそこの給料は貰えていたし、会社の車も自由に使わせてもらえたので、大体のものは我慢ができた。

本当に給与の金額は大事だと思う。そこでいやいやながらも働きながら、徐々に債務整理を片付けていき、5年掛かった債務整理も終わった。32歳になっていた。

すぐに債務整理をしたわけではなかったので、長かった。ほんとに長かった。安心感が生まれた。そんなタイミングだったので、自分の可能性についても考えるようになれた。今の職場でなくても施工管理の仕事はできるのではないか。漠然と考えるようになっていった。

同僚の結婚式に呼ばれた。夕方からだったので、仕事終わりに車で行くことにした。正直な話、まったく行きたくはなかったが仕事の都合上行かざるを得なかった。そこで祝いの席で酒が出ることがわかっているのに車で来たことを当時の社長に叱責された。意味が全く理解できなかった。祝う気持ちと飲酒に何の因果があるのか。正直、この一件でこの会社をいつまでも続けるのは辞めようと思った。

給与で考えるとそんなに悪いわけではなかったので、より貰えるところがすぐに見つかるか不安もあったが、意外とすぐに見つかった。そこで何度か面接をして採用になった。

退社の意向を伝えに会社に退職願を持って行く時、頭の中で何度も反芻しながら、行った。人柄だけでいえばとてもいい社長さんだったと思う。人望も周りからある人だった。退社の意向は社長以外の社員がいなくなるタイミングを狙っていった。会社に着くと丁度社長しかいなかった。かなり緊張しながら言ったが、さすがに同じような場面を何度か見てきているのだろう、特に何も言わずにしょうがないなとだけ言って、退職願を受け取った。3年半短い付き合いだったが、その会社はさることにした。


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