たっきーの自伝 19

2011年はかなり生活に変化のあった年だった。
明けて2012年、里親の家に来て、マルチ商法をやってみて気が付いたのは。本当に自分の今の勤め先が異常だという事。休みが極端に少なく、拘束時間が長く、給料も高くない。国民健康保険で国民年金で住民税も自分で払いとなると余計に状況が悪かった。いや、悪いという事に気が付いてきた。
ただ、一方で転職活動ってどうすればいいのかわからなかったので、色んなサイトを毎日見ていた。色んな求人サイトで職務経歴や対外的な営業成績表の作り方を見よう見まねで作って応募してみた。
応募は20社ほど、面接は5社ほど。すべて広告代理店以外の営業を選んだ。
気が付いた事があった。3年営業をやったからと言って、全然営業のスキルなどはなかったと思う。そもそも営業に向いているとは思えなかった。ただ、営業という職業しか知らなかった。他の職という選択肢が浮かばなかった。
結果、3社ほどから内定をもらい家から一番近かった会社を選んだ。
パチンコ屋さんの設備を開発してるメーカーと言ってもあまり聞きなじみがないであろうとは思う。私もまったく知らない業界だったし、そもそもパチンコが嫌いだったので、パチンコ屋にもトイレを借りる以外でほとんど行ったことがなかった。
まずはパチンコ及び業界の事を勉強した。
会社は毎朝、朝礼をやり、予定や今後につながるような情報の共有などをしていた。
正直、かなり前時代的な会社だなと正直感じた。
今までは代理店営業だったので、商材は沢山売ることができたが、今回はメーカー営業なので、販売代理店に売ってもらえるように営業に行ったり、自社でも直接営業をかけたりするのが大きな違いだった。
特殊な商材のため、取付をする自社の職人が数名いたりした。契約して取り付けて適正運用を指導してメンテナンスをしてという感じのフローをこなしていかなくてはいけなかったので、覚えなければいけないことはとても多かった。
初めの数ヶ月は同行して、見積を作ってという業務をしていた。
今まで営業をやっていたが、まともにドキュメントを作ったり、きちんとした見積を作成してこなかったのでやっと営業的な事務作業を覚えることになった。
会社での事務作業は嫌いではなかったが、外で商談をしている方が楽しかった。
偏屈な職人さんたちが多かったので、なかなか頼むのが大変なところも多かったのと、営業は無理を言ってくるという感覚が中々強かったようだ。
全国に顧客がいたので、西日本にも営業所があった。東北にも以前営業所があったようだが今は埼玉から出張ベースでカバーしているとのことだった。
仕事が変わり、夜勤なども時々あったが、全体的には時間ができるようになった。入社して半年ぐらいたった頃から徐々にマルチの方の熱も冷めていった。確かにビジネスで成功したいという気持ちはあったのだが、時間の優先順位的に今の仕事と当事者活動の方に時間を注ぎたいと思っていた。この頃から、今までやっていた当事者活動とは別で講演などをすることも増えてきた。
社用車を使って勝手に海まで行き釣りをするようになっていた。
テトラポットの間にブラクリと呼ばれる仕掛けを入れ根魚などを狙う、いわゆる穴釣りというところから釣りを始めた。手軽で釣れる釣りだった。

釣りは良かった。魚とのやりとり。
あのアタリ、引きというのは何ともいいがたい良さがあった。この辺からどっぷりと釣りの世界にもハマって行くことになってしまった。

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