たっきーの自伝 20
2社目の会社に勤め里親の家にも帰ったが、マルチもやっていたので全然生活は安定しなかった。
本気でビジネスを成功させようという気がなかったんだと思う。
会社では与えられたことをただ何となくこなしていたので、成績も悪かった。
そんな中、借金が依然として全然減らないので、債務整理をすることにした。相談料は50万高いのか安いのかも分からなかった。
結果気持ち的にはだいぶ楽になった。
周りに自己破産を選んだ人は何人かいたが、債務整理(任意整理)を選んだ人はいなかった。
NPOから借りたお金は整理しなかったので、待ってもらったりした。
この時知ったのは未納の税金はどうしようもなく、絶対に払わなければいけないということ。
最後に金を借りて支払いをすれば良かったと少し後悔した。
債務整理中も相変わらず馬鹿みたいな金の使い方をしていたので、貯金はなかった。
仕事の方は東北地域を任されることになり、北海道や東北に月に2回ほど出張ベースで2年ほど行っていた。
ちょうど岩手を舞台としたあまちゃんがやっていて、ホテルで朝見たりしていた。
北海道といってもほとんど札幌だったが、何度行っても札幌は楽しかった。
食べ物は美味しい、安い。カレー屋さんが多いのもカレー好きとしてはうれしかった。
冬の勝手は内地とは全く違うのも勉強になった。
東北にも言えるが、東京の人間は雪との戦いと言うと大袈裟なように感じたが、日常がまさに雪との戦いなんだと改めてその時目の当たりにした。
仕事はいっこうに楽しくならなかった。
ある日思いついたかのように上司に退職の旨を伝えた。
次も何も見つかってなかった。
思えば成績を上げられないのが辛かったのかもしれない。
唐突に無職になった。ハローワークで失業の旨を伝え、警備会社に面接に行き、休職期間の調整をしてから、旅に出た。
いざ、新潟へ。
新潟は実の母の故郷らしかった。
250ccのバイクに跨り、一路北へ。目的も何も無い旅が急に始まった。10日後までに東京に帰ってきてればいいかというような感じで出かけた。
旅の委細はいづれ書くかもしれない。
10日後
警備の研修が1週間始まり、配属先が決まった。1週間ほど配属先で働いたが、割に会わなすぎると思って辞めた。
諸々期待されていたようだが、耐えられなかった。直ぐに無職になってしまったので、地元の設備会社に拾ってもらった。
面接の際、大学いったやつは初めてだし、面接にスーツできたやつも初めてだと言われた。
設備の職人としての1年間が始まった。
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