戻る感情

恋草を萌やすという歳でもないのかもしれない。
年齢なんか気にしないで好きに恋なんかすればいいというのもわかる。
 
情動に踊らされる自分を客観的に見てしまうと小恥ずかしい気持ちになる、言い訳として年齢を持ってきた。
何度か経験した、何も手に付かなくなる期間。頭の中にかかった靄を意識しないために、ほとんど行っていなかったジムに行っている。体を動かしている間は気が紛れる。いや、気になるあの子に触発されたのだろうか。
 
その言葉を言ってしまったら、今までの関係ではなくなってしまうという状況が怖くもあり、今までの関係のその先にいきたが故に発したい主張でもある。
ここ数年心を大きく動かされるような事が無かった。
平穏といえばそうでもあるが、ある意味では退屈そのものだったのかもしれない。しかし此処に来ての恋との邂逅にかなりの戸惑いと、青さを感じることになった。神に祈る人の気持ちも少しわかるような気持ちになった。
いつも粋を心掛けていたのに、その人の目には自分がさもしく映っていないかとても心配になった。
自分のふるまい一つに相手のリアクションが気になる。
嗚呼、自分は今目の前の人を慕っているんだと感じた。
 
ジムからの帰り道、高校生だろうかコート姿の男の子がポケットに手を入れながら歩いていた。その後ろから女の子が追いかけるように来て、男の子の右手を左の甲で叩いた。意図を察した男の子がポケットから手を出して、女の子の手を握った。
言葉は無いが二人ともすごく嬉しそうだ、その様にとても青春を感じてしまった。
 
自分にも学生時代の青春があったし、その時には気が付かなかった貴さがきっとあったのであろう。あれから随分と時間がっ立ったように思う。打算や妥協が男女関係形成でも先行してしまっていたと思う。感情はそのあとの話だった。
しかし、今回のように情動に激しく動かされるということもまだあるのだと改めて気が付かされた。
 
師走の風が火照った心を冷やすのにちょうど心地よい。

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