谷口 将史 / まさにぃ

旅に出ないと日記が書けない。

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一人卒業旅行・3日目

疲れた。車降りるときにフラついて頭打った。たんこぶできた。 朝、熊野本宮大社にもう一回お参り。 生憎の雨。2日目朝、3日目朝、3日目夜と、神社から離れるときは必ず雨が降ってる。お参りするときは必ず雨降ってない。 お参りのあと朝ご飯とコーヒー買って10時くらいに熊野本宮大社出発。 熊野川に沿って40分くらい行くと新宮に着く。 熊野速玉大社、通称「新宮」 後で調べて知ったが、新宮の「新しい」とは本宮に対してではなく神倉神社に対してらしい。神倉神社が「元宮」 昨日ゲストハ

    • 一人卒業旅行・2日目

      なう。熊野寮産ではない。 (熊野寮では酒を密造していません。知らんけど) 今朝はもう一回外宮に参拝。6時半くらいに起きて7時半くらいにホテルの朝食食べて、多分8時くらい。 平日、朝、雨という誰もいない写真を撮るためには最高のシチュエーション。 その後御朱印帳を買ってそこにもう一回御朱印をもらった。この後内宮行くんで2ページ目にくださいというのは、普通に通じた。 内宮。 誰もいない宇治橋はさらにレアかもしれない。やっぱり朝来て良かった。 朝の雰囲気。そこまで早朝

      • 一人卒業旅行・1日目

        あ、卒業します。 というわけで、卒業旅行に来ました。一人で。 旅行とか不謹慎なんですかね?一応ほとんど人と接触しません。 「学生はいいなぁ〜」という声がどこからともなく聞こえてきますが、最後に旅行に行ったのは4回生なのでセーフ。 むしろ行ってない方だと思う。が、コロナ禍なので、どうだろう。どうでもいいか。 16時ごろホテルにチェックインするなり速攻でシャワーを浴びて地ビールをオープンし、酔っ払いながら数年ぶりのnoteを書いています。 です・ます調とだ・である調を混ぜ混

        • 『法の哲学』の「理性国家」と環境問題

           現在、グローバルな環境に及ぶ人間の活動が地球システムに及ぼす影響が、自然の諸力に匹敵するようになっている。地球の有限性は資源の枯渇、環境の変化、動植物の絶滅など、ありとあらゆるところで示されている(地球温暖化や気候変動のように、人間の活動と環境変化の因果関係に様々な意見があるものにあえて触れる必要はなく、確実に影響を及ぼせる例があることが重要である)。そして、その影響が人口に比例するなら、増大するのは確実である。無限と思われた豊かな自然は、有限の守るべきエコロジーに変わった

        一人卒業旅行・3日目

        マガジン

        • 一人卒業旅行
          3本
        • 哲学のエッセイ
          9本
        • 夏の読書
          6本
        • バングラ旅の記録
          12本

        記事

          朱子学・陽明学と明治維新

           このnoteでは、朱子学と陽明学が日本の明治維新において果たした役割・意義について考察する。明治維新は、一般的には日本が江戸幕府による封建的支配体制から欧米的な近代国家への変革と捉えられる。では、維新志士たちは社会契約説などの西洋哲学を学んで近代国家建設を志したのだろうか。少なくとも前半の維新志士の中心的思想ではなさそうだ。また、民間の信仰に目を向けると、江戸幕府では檀家制度により民衆は全て仏教徒ということになっていたが、明治新政府では神仏分離令、廃仏毀釈を経て神道中心の方

          朱子学・陽明学と明治維新

          「労働の競争」と「表現の承認」

          少し前にクラウドファンディングでお金を集めるのがなぜ正当化されるかについて考えていた。もしくは、NPOに対する寄付文化が根付くとしたら、どんな価値観なんだろうと。 熱烈に批判したいわけではなく、応援したい意味も込めて単純に説明したかったのだ。 それは労働によって人々の"価値"(と言っても「貧困をなくす」とかではなく、主に"快楽"だ)を作り、その中で競争するという理屈では説明できない。 だから、その理屈の中で批判を受けるのかもしれないと思った。 つまり、事業の費用を事業の利

          「労働の競争」と「表現の承認」

          朱子学

          南宋の朱熹(1130〜1200年)が儒教 Confucianismを再構築したものが朱子学 Neo-Confucianismである。科挙や江戸幕府で重要視された。朱熹は『大学』『論語』『孟子』『中庸』を「四書」として重要視した。 修己治人儒教が"徳治主義的なリーダーの哲学"のように理解されるように、 朱子学の目標は根本思想である「修己治人」(己を修めて人を治む)を、「理」の把握によって実現することである。 「理」とは形而上の諸法則である。この「理」は社会と宇宙を貫いている

          お正月に人と共有したい動画

          ※いっぱい動画を埋め込んでるので、Wi-Fiのあるところで見てね 明けましておめでとうございます。 お正月ですね。 お正月はみなさん何をされてるんですかね。 忙しくされてる方も多いみたいです。 あと、Twitter見てるとテレビの話題が多いみたいですね。 (実はスマホからTwitterアプリ消してしまって見る頻度がかなり下がってしまったのですが) 一方僕はというと、寮でテレビを見ないので… Youtube見てるか読書してるか勉強してるかです。(多分長い順に) 学業の方

          お正月に人と共有したい動画

          自由を捨てる日

          現代社会は、いま歴史上の大きな曲がり角にさしかかっている。現代資本主義は、まず地球を消費し尽くそうとしており、また、人間社会が近代にいたってようやく自覚し確保しようと試みてきた「人間的自由」を、再び奪い去ってしまうかもしれない。 (『哲学は資本主義を変えらえるか ヘーゲル的哲学再考』 竹田青嗣) 資本主義では未来世代の資源を消費し尽くすことになるかもしれない。少なくとも、必要な資源がその状況にさしかかれば、価値は高騰し、実質的に一般の人々はその資源を失い、省資源化が推進さ

          二律背反 Antinomie

          二律背反とは正命題と反命題のどちらともが証明できる矛盾・パラドックスである。 カントの哲学では特別な意味がある。 証明不可能なことの証明になる。 正命題と反命題のどちらもの証明を試みたことがあるだろうか。 実は今そういうゲームをしている。 カントの言う極限の問いほどの問いは扱っていないが、とにかくディベートで両張りの準備を25題分している。 最初は「ディベートなんて」という意見をよく聞いていて、自分もそう感じてしまうときがあった。 アンチノミーの記述に出会うまでは「相

          徳への道と富への道

          富裕な人びと、有力な人びとに感嘆し、ほとんど崇拝し、そして、貧乏でいやしい状態にある人びとを、軽蔑し、すくなくとも無視するという、この性向は、諸身分の区別と社会の秩序を確立するのにも、ともに必要であるとはいえ、同時にわれわれの道徳諸感情の腐敗の、大きな、そしてもっとも普遍的な、原因である。 われわれはしばしば、世間の尊敬にみちた注目が、英知あるもの、徳のあるものに向かってよりも、富裕なもの、地位あるものに向かって、強く向けられるのを見る。われわれはしばしば、有力者の悪徳と愚

          徳への道と富への道

          インセルと自己責任論、そして格差原理

          インセル(英語: incel)は、"involuntary celibate"(「不本意の禁欲主義者」、「非自発的独身者」)の2語を組合せた混成語である。望んでいるにも拘わらず、恋愛やセックスのパートナーを持つことができず、自身に性的な経験がない原因は対象である相手の側にあると考えるインターネット上のサブカル系コミュニティのメンバーを指す。 インセルは、セックスや性的魅力をめぐる競争は生まれたときから公正ではなく、それを認識しているのは自分たちだけだという、「レッドピル(赤

          インセルと自己責任論、そして格差原理

          永遠平和

          国際法において一国家は、自然的自由の状態において、したがってまた永続する戦争状態において他の国に対立する一道徳的人格と見なされる。 連合体がもたざるをえないのは、(市民体制におけるような)主権という権力ではなく、同等な者の関係(同盟関係)だけである。この連合体はいつでも解消可能であり、したがってそのつど更新されなくてはならない。 ところが諸人民からなるそのような国家があまりに広大に拡張されすぎると、この国家の統治は、したがってまた個々の成員の保護は、結局は不可能とならざる

          9/12 読書日記

          かなり間があいてしまった まぁ読みたいときに読んで、書きたいときに書いていきます 今日は(というか今日までに)『エフェクチュエーション』第9章「エフェクチュエーションに基づく経済学の哲学と方法論」、第10章「人々の希望の中に存在する市場」、第11章「エフェクチュエーションを教える」を読んだ チョコレート工場での派遣で13時間労働中8時間くらいは寝たり本読んでたりしたので、9/12はそこそこ読む時間があったという それではまとめていく 第9章 エフェクチュエーションに

          9/5 読書日記

          9/5は『エフェクチュエーション』第7章"「人工物の科学」としてのアントレプレナーシップ"、第8章「競争優位と起業家的機会」、第9章「エフェクチュエーションに基づく経済学の哲学と方法論」の半分くらい、を読んだ。 午前中から昼過ぎまでリモートのバイト、昼過ぎに寮出発して17時から23時までチョコレート工場で働いて、0時帰宅 チョコレート工場、全然ファンシーじゃなかった(勝手な先入感)笑 ガーナから来た1m×2mくらいのパンパンにカカオ豆が入った麻袋から、カカオ豆をひたすらザ

          9/4 読書日記

          今日は『エフェクチュエーション』第6章「エフェクチュエーションを成果に結びつける」です。 今日はお昼に起きて、とりあえず読書 夕方から、新しく始めるフルリモートのバイトのテレカン そのあとそのバイトして、本読んで、もう夜… 早い 雷すごかったなぁ 京都に集中的に落ちてたみたい 建物も低いし山ではないし、ちょっと意外 それではまとめます 「ほとんどの企業は失敗する」vs「失敗という選択肢はない」前者は起業家研究者、後者は熟達した起業家の主張である。 この間を取り持つこと