9/4 読書日記

今日は『エフェクチュエーション』第6章「エフェクチュエーションを成果に結びつける」です。

今日はお昼に起きて、とりあえず読書
夕方から、新しく始めるフルリモートのバイトのテレカン
そのあとそのバイトして、本読んで、もう夜…
早い

雷すごかったなぁ
京都に集中的に落ちてたみたい
建物も低いし山ではないし、ちょっと意外

それではまとめます

「ほとんどの企業は失敗する」vs「失敗という選択肢はない」

前者は起業家研究者、後者は熟達した起業家の主張である。
この間を取り持つことを考える。2つの可能性がある。
1. 自信過剰バイアス
2. エフェクチュエーションの論理

そもそも、"企業の成功/失敗"と"起業家の成功/失敗"は産業組織論、ポピュレーション・エコロジー、労働ミクロ経済学、企業家研究の4分野で常に混同されてきた。

また、失敗した企業や失敗した起業家のデータを集めるのは困難である。(企業が消えればデータも消えるし、起業に失敗した人はそれを自称しない)
そこで、連続起業家が調査の鍵になる。

連続起業家は起業を学習プロセスと捉えている。
つまり、"一時点におけるポートフォリオ"に対して、"時間的ポートフォリオ"を考えるということである。

これに関して以下のことが言える。
・一時点におけるポートフォリオの多様化は、事前にかなりの投資金額を必要とするが、連続的起業はほぼゼロの投資でも始めることができる
・一時点におけるポートフォリオが可能とすることはリスクの低減でしかないが、それに対して連続的起業は、起業家が学びを積み重ねることを可能とし、リスクの低減とリターンの増加を同時にもたらす
・時間的平均と全体的平均は等価ではない

ポートフォリオマネージャーは異質性(多様化)を用いることで、企業の失敗から受ける損失を平準化することができるが、連続起業家はその選択肢を持っていない。
その代わり、連続は"影響のプロセス"を通じて異質性によるメリットを達成できる。(これは同じ統計効果をもたらすことが頻繁にある)

(見出しの対立は、「ほとんどの企業は失敗する」とは一時点におけるポートフォリオの話であり、「失敗という選択肢はない」とは時間的ポートフォリオの話である、と結論してもいいかもしれない。が、結局時間的ポートフォリオにおいて起業家的学習がどのように起こり、影響のプロセスを通じて成果(企業の成果と起業家の成果を分けて)に結びつくのかをこれから論じることになる。)
その前にエフェクチュエーションが(熟達に対して)心理的資質であるかを見ていく。

エフェクチュエーションは資質か?

資質とは「ある人に中期的に備わっている属性であり、一定期間、その人の中に何度も見ることができる能力やふるまいの一貫している側面」である

心理学者は世界を「コーゼーションに基づく個人」と「エフェクチュエーションに基づく個人」に分けて考えようとする衝動に駆られる。

しかし、次のような事実がある。
・シンク・アラウド法による発話プロトコル分析の実験では、63%以上の熟達した起業家は73%以上の確率でコーゼーションのアプローチよりエフェクチュエーションのアプローチを好んだが、実験の中の後期の段階における企業経営や株式公開時の、いくつかの課題を解決するために、コーゼーションを論理を完璧に使うことができた。
・エフェクチュエーションの授業の中の学生たちは、コーゼーションとエフェクチュエーションの両方の道具箱を使いながら学習し、どのような状況でどちらを使うか、どのような結果になるかを判断した。

ここで資質の側面と熟達の側面の双方の立場を考慮に入れて次の仮説を導く。(見出しの問いには結局二者択一ではないと結論する感じかな)
・エフェクチュエーションの論理とコーゼーションの論理を、経験の浅い起業家がいかに使うかは個人差があるが、経験豊富になるにつれて、新しいベンチャーの黎明期には、エフェクチュエーションがより好まれるようになる。
・経験の浅い起業家は、熟達に伴い、エフェクチュエーションのアプローチを好む傾向が増加する前に、新しいベンチャーの成長フェーズを通じて、両方の論理のバランスを取ることを学習する。
・経験の浅い起業家にとって、より多くのリソースが利用可能であればあるほど、その行為はコーゼーションに基づくものになる。熟達した起業家の場合は、リソースの利用可能性は、高度にエフェクチュアルな行為の利用に対して影響を及ぼさない。
・成功した企業は、エフェクチュエーションの論理を通して始められ、企業規模が拡大し、長期にわたって存続する際には、コーゼーションによるアプローチで成長していく傾向がある。
・経験豊かな起業家のうち、ごく一部のみが、起業家的企業から大企業への移行ができる。(できなくて潰すことが多い)
・長期にわたって存続する企業のうち、ごく一部のみが、創業者によって経営され続ける。(コーゼーションのプロフェッショナルに移譲することが多い)

失敗の可能性と失敗のコスト

起業家的起業における、エフェクチュエーション/コーゼーションの論理の利用と、リソースの利用について、より詳しく見ていく。

創業時にコーゼーションが用いられた場合:予測可能性と投資に正の相関
創業時にエフェクチュエーションが用いられた場合:予測可能性と投資に負の相関、アライアンスの量と質に正の相関
と考えると、
・コーゼーションは予測可能な範囲において失敗の可能性を下げるかもしれないが、失敗のコストが大きくなる。(結局ギャンブルであるのと、時間的ポートフォリオとの相性は悪い)
・エフェクチュエーションは予測不可能な範囲において、失敗の可能性については何も言えないが、失敗のコストを下げることができる。また、機会が大規模になる場合投資が十分でなくて競合に取って代わられる場合がある。

これを時間的ポートフォリオと合わせて考えると
・エフェクチュアルな起業家はコーゼーションに基づく起業家よりも多くの機会を探索できる。(大当たりを狙える)
・エフェクチュアルな起業家は長く生き残る。途中の短距離走で破れたとしても、長距離走で勝利することができる。
・エフェクチュアルな起業家は、より自分に合った機会を探索しようとする。そして、自身にとってより好ましい経路依存を活用する。

(この議論は結局起業家的学習の外観になっている。次の話はその中身にあるメカニズムである。)


推定エンジンとしてではなく制御エンジンとしてのベイズ主義

まずベイズ主義とは、データを変数、パラメータを定数とする頻度主義に対して、データを定数、パラメータを変数とする考え方である。
"条件付きの仮定"によって世界を主観的に解釈する。また、これによって現実から信念を修正する"推定エンジン"として利用する。

推定エンジン(予測: 条件付きの仮定に従う)として使う例をマーケットリサーチみたいなものとするなら、制御エンジンとして使う例は"条件付きの仮定を制御する行為"と言える。

どのような行為かというと、具体的には、第2章で述べられていたような、「熟達した起業家はマーケットリサーチを信用しない」ことに代替する、「マーケットリサーチをする前の段階であっても販売・実行戦略を行う、またパートナー/ネットワークを探す」ようなものである。

つまり、これを抽象的に理解すると、まず条件付きの仮定に従う前に、事象を次のように分類する。
・一部の事象は、完全に確率が決まっており、意思決定者のコントロール外にある。
・他の事象確率は、自由か、もしくは、完全に意思決定者のコントロール下にある。
・しかし中には、特定の状況下であれば、ある程度、まだ確率が決まっていないか、コントロールできるような事象もある。

そして、行為の結果/起業家的学習によって最後者を見つけ、また、その確率を制御する。
これが、条件付きの仮定に従うためにベイズの公式を使うのではなく、条件付きの仮定を制御するためにベイズの公式を使う、という考え方である。
(例えば肥満クリニックを創業したいと考えている場合、「体重を減らし、維持することができる者は20%以下である」という事実に対して、"予測に従う"考え方では諦めるが、"仮定を制御する"考え方では「30%に上げることができればかなりの競争優位になる」と考え継続する、という全く逆の結論を導く)

この違いはどのように生まれるのか。エフェクチュアルな起業家は、予測推論の背景にある前提を以下のように否定する。
1. 私は、事象空間の計算対象となった行為者の母集団には属していない。
2. 事象空間は、私の行為から独立したものではない。
3. 信念は必ずしも行為を決定づけるものではなく、行為に先立つものですらない。
そしてこれらを、自信過剰バイアスというより「あくまで推定を利用している」と解釈することができるのである。

1点目は、特に先に述べた研究における企業と起業家の成功の混同から、現時点で企業の失敗確率から起業家の失敗確率を推定することは軽率であると言える点で、そもそも起業家の成功確率を推定することは現状できないとすら言える。

2点目は、事象空間において起業家は「人の行為は事象空間に介入し、変容をもたらす潜在力を持っている」と仮定している。
ここでの主張は、結果が起業家の行為に内在している、というものではなく、事象空間そのものが起業家の行為に内在している、というものである。
(これは非適応的な考え方そのものであり、自然科学や社会科学にはない"人工物の科学"の側面である。つまり、「企業や市場は"自然"か"人工物"か」であれば後者と考えている。)

3点目は、「肥満をなくす」という信念が行為を決定するか、また、ベイズ主義によって「肥満はなくせない」と信念が修正された場合、行為が変更されるかという問題である。
また、スターバックス社のスペシャルティ・コーヒー市場は、「完璧なコーヒーを作る」というロマンの副産物だったのかもしれない。

信念が優先されることについて主張する人は、「何をするべきか知らずに、どうやって行為をするのか?どこに行くかを学ばずに、どうやって辿りつけるのか?」を問う。

一方、熟達した起業家は、詩人のTheodore Roethkeがいうように

私は行かなければならないところに行くことによって、学ぶ(Theodore Roethke)

と答えるのである。


成功/失敗はブール変数ではない

最後にエフェクチュエーションにおける成功と失敗の考え方について。

「失敗という選択肢はない」は「成功は、失敗しないことではないこと」また「失敗は、成功しないことを意味するとは限らないこと」を意味する。
つまり、エフェクチュエーションの世界では成功/失敗は0か1かの変数としてはモデル化できない。(「ほとんどの企業は失敗する」という命題は成功/失敗をブール変数として扱っている)


まとめ

そもそも難しかったし、ところどころ「成果に結びつける」の解釈自体を複雑にするので、軽くまとめたい。

・【前提】企業の成功と起業家の成功を分ける
・【前提】成果を一時点におけるポートフォリオではなく時間的ポートフォリオ上に考える
・【前提】失敗/成功を0/1で考えないようにする
・【エフェクチュエーションを身に着け、使う】心理的資質として"使うのを好む"という側面と、熟達として"うまく使え、またコーゼーションと使い分けられる"という側面があるので、資質がありかつ熟達している場合でも、コーゼーションへの移行やコーゼーションのプロフェッショナルへの委譲を考える必要がある
・【エフェクチュエーションがどう成果に結びつくか】起業家の成功に限定し、時間的ポートフォリオ上で考えると、事象が予測不可能であるほどコーゼーションを排除する可能性が高く、失敗コストを下げることで仮に失敗可能性が高くても試行回数を増やすことができ、長期的に生き残ることで起業家は成功する。
・【エフェクチュエーションをどう成果に結びつけるか】制御できる条件付きの仮定を行為/熟達によって見つけ、仮定を制御することで事象空間を変容させることでエフェクチュエーションが成果に結びつく

この章、話があっち行ったりこっち行ったりしてる印象だったけど、墨付かっこの中の解釈で(合ってれば)多少わかりやすい議論になるかな…
ならないか…


終わり

明日の派遣、早朝だと思ってたらまさかの夕方〜深夜!
家出るのは昼過ぎだけど

というわけで、ちょっと夜更かしが続いておりますね
明後日こそ早朝から活動することになると思う

昔から生活リズムなんてないので、効率的に動き続けられてるなら朝だろうが夜だろうがいいんですけどね

話戻して、明日の現場は高槻にある某でっかい板チョコなんですよ
超楽しみ
阪急の車窓から見えるアレです
(派遣って、普通のバイトより内容の話はばかられるのでとりあえずいつも伏せてる)

あと、フルリモートってすごいですね
意外と隙間時間でどんどん進められる
紹介者に感謝

それではおやすみなさい

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