9/12 読書日記

かなり間があいてしまった

まぁ読みたいときに読んで、書きたいときに書いていきます

今日は(というか今日までに)『エフェクチュエーション』第9章「エフェクチュエーションに基づく経済学の哲学と方法論」、第10章「人々の希望の中に存在する市場」、第11章「エフェクチュエーションを教える」を読んだ

チョコレート工場での派遣で13時間労働中8時間くらいは寝たり本読んでたりしたので、9/12はそこそこ読む時間があったという

それではまとめていく

第9章 エフェクチュエーションに基づく経済学の哲学と方法論

科学と哲学

「論理は哲学の本質だ」と言われた時代から、ウィトゲンシュタインの『哲学探求』によってそれがぶち壊され、「論理は常に不十分なものであり、全ての論理には哲学が必要だ」とされている。

「人は科学を哲学的に、哲学を科学的に行わねばならない」

では、どんな哲学が"エフェクチュエーションの論理"、もしくは"アントレプレナーシップにおける人工物の科学"を支えるのだろうか。

サラスバシーは、それはプラグマティズムであると主張する。

プラグマティズム

プラグマティズムを定義するのは容易ではない。(パースとジェームズで合意が取れてなかったり)

ただ、「プラグマティズムは定義できない。プラグマティズムを限られた言葉で定義しようとすることは、もっともプラグマティズムに反することだ」と言われているので、あまり気にしないで進もう

プラグマティストは物事が「本質的にどうであるか」よりも、それが「どのように機能するのか」に興味を持つ。

また、本質主義や理想主義的でなく、実践的で用具的である。

例えば、環境問題と大型SUVに対する嗜好の対立も、プラグマティストはどちらが理想かという見方ではなく、燃費の問題や代替燃料の問題にする。(折衷案や妥協案がプラグマティズムであると言いたいのではなく、理想をただ用具として見ているという例である)

何が「実行可能」で「実行する価値のあるもの」かが大事なのである。

あらゆる理想主義者(マルクス主義者も自由主義者も、技術主義者も反技術主義者も、環境保護や動物愛護も)は現実世界Aの一側面aを排除した、理想の世界Bを持っており、Bを実現したいがためにaと戦う。

それに対してプラグマティストは現実世界Aを様々な新しい可能性bに変容させる。

as ifとeven if

普通の説明的モデルおよび予測的モデルの主張の形式は
B if A: AであればB
である。

よりプラグマティックなモデルとして
B as if A: Aであるかのように考えてBとする
がある。

これは実証的経済学が受ける批判に対して主張したモデルである。つまり、Aが実際には真実ではなかったとしても、その主張はBを説明するために適切だ、ということである。

として、エフェクチュエーションでは
B even if not-A: AでなかったとしてもB
を用いる。
つまりB if AのAを一般化する(無意味とは言わない)試みである。

例えば
・資源が十分になかったとしても、あなたは「許容可能な損失」を使ってベンチャーを始めることができる。
・市場が存在しなかったとしても、十分な数の自発的な関与者と価値を創造する企業を作ることができる。
・「自分自身が何を求めているのか」が明確にわからなかったとしても、あなたは価値ある目的を生み出すために行為することができる。
・あなたが始めた会社を失敗したとしても、あなたは成功した起業家になることができる
などである。これらはB if Aの条件Aを否定するものではなく、一般化しようとしているのである。これらは、具体化されるか、あるいは反証されるべき、エフェクチュアルな仮説である。

終わり

時間がないのでこれで終わり笑

でも、10章と11章はめちゃくちゃ面白かったのでどっかでまたまとめます。

10章はソーシャルビジネスが好きな人ならめちゃくちゃ興味ある内容だと思う。主役はムハマド・ユヌスさんです。サラスバシー先生、ユヌス先生にあってるんです。

11章は「エフェクチュエーションではないもの」についてはっきりさせることでよりわかりやすくしています。「エフェクチュエーションはなんでもありのことじゃないよー」とか

それではごきげんよう
今日はこれから飲みます

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