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「サイゼデート」と日本のリアル

Yahooニュースで「サイゼデート」の可否を問う内容を見た。簡単に言えば「イタリアンレストランチェーンのサイゼリヤで食事をするデートはアリかナシか」というものだ。くだらないとは思いつつも、気になる話題だったので見てしまった。

個人的には「サイゼリヤ」が大好きだ。中学2年生で初めて利用してから、何度お世話になったかわからない。ワイワイ食事をしたことも、1人でゆっくり食事をしたことも、デートで利用したことも、勉強や作業に利用したこともある。ある意味では思い出の場所かもしれない。

私は親しい友人にはいつも言っていることがあるが、それは「自分がどんだけお金持ちになってもサイゼリヤは利用する」というものだ。私は安いからという理由のみで利用しているわけではなく、安くて美味しい料理が食べられると本気で思っている。気張らずに安く美味しく食事ができることは「良さ」でしかない。

だが、一方で確かにサイゼリヤには「安かろう悪かろう」というイメージがあることは否定できない。それは漫才コンビミルクボーイのネタを観るとよくわかる。

「サイゼのお客さんはいたずらに時間を費やしに来てんねん」「(ネズミ講は)サイゼは安すぎて騙せへんらしい」などと表される。

ここでまず客観的にみた「サイゼリヤ」について考えたい。あまり「階層」「勝ち組・負け組」などという言葉は使いたくないが、基本的には「安い店」「安い場所」には様々な階層の人が訪れる。お金がある人は安い店にも高級な店にも出入りすることができるが、お金があまりない人は高級な店(もしくは一定以上の値のお店)には行くことができない。そしてサイゼリヤは誰が見ても「安い」部類に入る。

そうすると、サイゼリヤには他のファストフードのように「お金があまりない人」「安く済ませたいと考えている人」の客層の傾向が高くなる。例えばサイゼリヤはお金の無い学生にも手が出しやすいので、他の飲食店よりは学生客の割合が多くなる。また他の飲食店と違い、サイゼリヤには「ドリンクバー」が設置されているので、長居する理由付けが起りやすい。そういったことで店内が賑やかになるという事実は否めない。


そして、本題の「サイゼデート」についてであるが、個人的にはこれは「いつものデート」なのか「初デート」なのかによって大きく変わると思う。色々な料理が食べられるという事実はいったん置いておいて、本日は少し経済的な面から「サイゼデート」を考えてみたい。

確かに「初デート」でサイゼリヤが選ばれてしまうのには寂しい感じもする。やはり、初デートでは「店選び」という努力の姿勢が暗に測られているからだ。初デートでサイゼリヤが選ばれてガッカリするのは、そういった努力の姿勢が確認できないからだと考えられる。まだ会ったこともない人、会って間もない人はどうしても判断する手掛かりがないので、そういった姿勢が評価されるのだと思う。

また、単純にガヤガヤしている店内ではなくて静かな落ち着いたところで会話を楽しみたいという思いもあるだろう。そういったことを考えると、初デートにサイゼを選んでしまうのはもったいないかもしれない。


だが、いつものデート、いつもの人とのデートならばサイゼリヤは多いにありだろう。サイゼリヤは各メニューの価格設定が300円~500円代と安価だ。いくつか組み合わせて注文したとしても、1000円あれば足りるという人も多いのではないだろうか。特に女性は食べる量が、男性に比べると少ないのでそれこそ500円以内で収まってしまうかもしれない。

何を言っても最大の魅力はこの「価格」にあると思われる。少し現実的な話をすると、日本の給与所得者の令和2年の平均給与は433万だ。(国税庁の統計データより) これをどうとらえるかは人によって大きく異なると思う。

だが、これはあくまで平均であって、2000万円を超える給与所得がある人もいる。加えてこの平均給与の平均年齢は46.8歳だ。婚前のデートをする人たち、主に10代、20代の人たち、の給与はこの平均よりも低い。そして実際に年齢階層別の平均給与を見てみると「10代が115万円」「20代が242万円」となっている。

そう考えると、悲しくも今の日本の給与や物価からすると、「サイゼリヤ」は給与水準としてはかなり適当な外食チェーンだと考えられる。もちろん実家暮らしや一人暮らしなど条件は異なるであろうが、そんなに数千円もする外食やデートを繰り返すほどの余裕がないことは統計から明らかだ。

つまり何が言いたいかというと、「サイゼデート」を批判する人が誰なのかはわからないが、「サイゼデート」は極めて合理的で賢明な選択なのである。サイゼデートを批判する人は「運よく高収入を得ている人」「そもそも自分でお金を出さない人」「理想が高い人」「プライドが高い人」「美食家気取りな人」らへんだと個人的に思う。

消去法的に選んでいるとまでは言わないが、「サイゼデート」が候補に自然に入るくらい実は低い給与水準がある。そして、「サイゼデート」をする彼ら彼女らはそれを理解し、自分の稼ぎの中から選択肢を選び出しているのだ。そういった賢明な判断を外野の人がとやかく言うこのニュースには心底驚いた。そういう人に限ってしっかりマクドナルドには行っているのであろう。


また、「時代は変わった」とも考えられる。もちろんそれは「お金」の面だけでなく社会的な価値観や雰囲気を含めてだ。昔は「クルマが無いと女をオトせない」「デートはすべて男が払う」「恋人はステータス」などという価値観や考えが実際に存在していた。そういった時代に生きた人やその時代の価値観を共有する人たちには、「サイゼデート」は考えられない選択肢なのだろう。

だが、そういった時代と今は違う。バブルだかなんだか知らないが浮かれた空気感を察知することが無い。日々のニュースでは「値上げ」「社会保障の不安」が叫ばれ、稼いだお金やモノを買うたびに多額の「税金」を取られる。そして、残ったお金で「どんなデートができるだろうか?」と考えた時に、サイゼリヤは至極自然な選択肢になりうるのだ。

「時代が違う」「価値観が違う」というのは詭弁だと思う人がいるかもしれない。それでもサイゼリヤでデートしてはいけないと言う人もいるだろう。だが、そういった余裕を見せていられるのも今だけかもしれない。サイゼリヤのミラノ風ドリアを泣いて喜びながら食べる日が来る可能性は大いにある。それくらい羽振りのよい世の中ではなくなってきている。

逆に言えば「サイゼデート」を強いられるくらい今の「日本のリアル」いや「若年層のリアル」は切迫していると25歳の私の肌には感じられる。「サイゼデート」を批判する前に、彼ら彼女らの給与を上げてあげて欲しい。そして「年金」だとか「iDeCo」だとか「つみたてNISA」のことばかり考えなくてもいいような世の中を整えてあげて欲しい。


決してサイゼリヤが劣っているだとか、下流だとは思わないが、カップルがサイゼデートを楽しむ理由の1つにはそんな悲しいリアルもあるということを思わずにはいられない。


サイゼでも楽しめる!



【参考】

国税庁「令和2年民間給与実態統計調査」



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