クレーム・シャンティイって、なんだ?[クリーム編vol.1]
ショートケーキのクリームにまつわる少し面白いお話です。
今回のテーマはクレーム・シャンティイ 。
見習いパティシエ、真白けいと共に楽しんでいきましょう。
Crème chantillyって、なんだ?
まずは、フランス語からわかりやすく変換します。
実は、ただ泡立てただけでなく、定義として砂糖も含まれているようです。
では、加糖しない、ただ泡立てただけのものはなんと呼ぶか、別の名前があります。
ふえって。ふえって。なんだかシャンティイよりもいかにもふわっとした名前ですね。
どっちも同じ生クリームじゃん!
と思いましたか?
なんと、この両者、似ているようで全然違う役割を持つみたいです。
クレーム・フエッテとクレーム・シャンティイ姉妹
まずは使われる状況を比べてみます。
雰囲気で伝わってくれるといいのですが、ざっくりとクレーム・シャンティイは主役、クレーム・フエッテは脇役のようです。
甘いか、甘くないかで使い分けられるのもありますが、これには砂糖の持つ別の役割が大きく関わってきています。
小難し〜い話になるので、詳しくは別記事の[親水性]をご覧ください。
素材としての生クリームや、離水についてはこちらで詳しくお勉強しています!
ということで、
そう思っていただいても全然間違いではありません。
生クリームはあくまで材料の名前である所に差がありますね。
…でも、そんなことをいちいち指摘するのも野暮ですかね。
続いては、クレーム・シャンティイが生まれるまでのエピソードを調べて来たので、良かったら見ていってください。
3つほど説がありました。
クレーム・シャンティイの由来[説①]
ミルクの雪!言い得て妙です。
そして、このお話には但し書きがあります。
エニシダの、枝…?
(↓こちらがエニシダです。)
「宮廷なのに泡立て器使わない?!もしやその方が美味しく泡立てられるのでは?!」
皆さんそう思ったことでしょう。
しかし当時泡立て器を使わなかったのには1つ確実な理由があります。
それは、その時代には泡立て器は存在しなかったからです。
実は、泡立て器が世の中に普及したのは18世紀後半と比較的最近みたいです。
なので、当時の菓子職人は相当な労力を費やして泡立てていたことが想像に難くありません。
それでも現代までこの食文化を伝えてくださった全ての先人菓子職人に敬意を表しましょう。
泡立て器を開発してくれた偉大な先人に賞賛を送りながら、僕達は大人しく泡立て器でがんばりましょう。
クレーム・シャンティイの由来[説②]
「シャンティイ」という言葉が出てきました…!
※メトル・ドテルとは、宮廷の宴会プロデューサーのような役割。
全然違う2つの説です。
よっぽど弟子が正確に外部に伝えようとしない限り、ドタバタの厨房の中で起きていた事を正確に知る事は難しく、ましてヴァテールの頭の中の事など、彼が伝えてくれない限り知る由もありません。残念なことに…。
さらに、ヴァテールはこの国王を迎えた大宴会でクレーム・シャンティイとは全く関係なく、しかもそれどころじゃない大事件を起こしています。
それはまた別の記事に書くとして。
太陽王ルイ14世を招き、1000人をもてなした3日間にわたる大宴会です。それはそれは世間の注目を集めたことでしょう。さらにそこで起こったヴァテールの悲劇、シャンティイ城、これだけのワードが人々の口から口へ渡り歩き、逸話として想像を膨らませ、尾ひれがついただけなのかもしれません。
ただ、このクリームとシャンティイ城の繋がりは[説③]にも出てきます。
クレーム・シャンティイの由来[説③]
なるほど…。ようやく少し繋がってきました。
すっごく食べてみたい!
今回の由来を思い出しながら味わってみたいなぁ…!
いつになるやら…。見習いに先は遠いです。
というわけでここまでの大きく分けて3つエピソードを整理してみます。
由来の結論と妄想
ほぼ確定と言って良い事をまとめます。
まずは
この2つは今までの説を見る限り確定です。
特に(Ⅱ)はヴァテールが名付けたとされている参考文献もありましたが[説③]から考えると、まだ名前がなかった、あるいは確定していなかったと考えるのが妥当です。
これは泡立て器の発明と普及を考慮してみました。泡立て器の発明以前は植物やフォークを使っていたと考えられています。それ専用器具である泡立て器とは性能が天と地ほどの差です。
完全に同じもの、と捉えるのはやはり難しいでしょう。
以上を踏まえ、ここからは、想像力で足りない部分を補って流れを作ってみたいと思います。
僕は、ここまで来て、「初めて」や、「発明」にこだわらなければ[説①〜③]は矛盾しないと思いました。
[想像]イタリアにて、生クリームを撹拌すると濃度がつき、パンなどと共に食べられることがわかっていた
↓
[史実]1533年、カトリーヌ・ド・メディシスによってフランスへと伝わる
↓
[想像]1世紀半の間に、パリ周辺でそれとなく知られるようになる
↓
[史実]パリ製菓職人のもとでヴァテールが修行を積む
↓
[史実]1671年、大コンデ公とルイ14世の大宴会で砂糖を加えムース状に泡立てたクリームを提供
↓
[想像]シャンティイ城内でその製法が伝わり、また泡立て器の普及によってより簡単に作れるようになる
↓
[史実]1784年、HAMEAUで提供されたクリームが男爵夫人に褒められる
↓
[想像]ヴァテールの悲劇のエピソードとともにシャンティイ名物として広まる
↓
[想像]いつのまにか「クレーム・シャンティイ」と呼ばれ始め、定着する
(区別するためにクレーム・シャンティイ以前からあったクレーム・フエッテも定義づけられた)
いかがでしょうか!あり得る流れなのかなと思います!!
「クレーム・シャンティイ」という名前は、色々な呼び方をされていたクリームを、印象的な出来事から当時の人々が呼び始めたんじゃないかなーという僕なりの結論です。
つまり時代ごとの職人たちの手を経て徐々に形作られていったものが、ある土地で親しまれ、後から名前を授かった、と。
現代でも、好き勝手な呼び方をされていたものがある時から一つの名前に統合されていくことって、スパンは短いかもしれませんが、あるような気がしませんか?
もちろん都合のいい解釈をしている部分もあります!!
ただこうして人々の気持ちを想像し、史実と史実の間に想いを馳せるのは、とってもロマンがあると思いませんか?!
あなたも自分なりの考察をしてみてください!
次回のテーマは…
「クレーム・パティシエール」
※この記事で紹介している内容は上記の参考文献をもとに作成したものです。諸説あるものは一部のみ紹介しています。
いつも応援ありがとうございます!ぜひ、オススメしてください!みんなにお菓子のこと、もっと知って欲しい!!