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愛しの丸元淑生先生(1)オーバービュー

分子栄養学を日本に紹介したのは丸元淑生(まるもとやすお)先生(1934年 - 2008年))だ。糖尿病と診断されて随分苦しんだ時期に出会い暗記するぐらい読んだ。そうして彼の本が生活の指針となった。

2015年以来のスタディにおいて、多くの事を学んだ。分子栄養学はもちろん、「生命科学」を学んだ。自分の食事を見つけるためである。

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日本で、何らかの栄養学活動をしているヒト(医師、栄養士、サプリメーカー、レシピ作家、研究者)は、彼の影響を直接間接に受けている。もちろん僕もである(笑)。

今という時代

残念ながら、丸元先生の活躍した時代(1985年〜2007年)は今と違う。

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多くの人が「病因」のない「症状」に苦しんでいる。
生活習慣病やその後に続く「合併症と言われる臓器不全」、指定難病・膠原病と言われる全身各所に起きる炎症。リュウマチ・骨粗鬆症と言われる骨生成と破壊のアンバランス。ガン・自己免疫疾患と呼ばれる免疫系のサボタージュと暴走。それらを役人は「病」と呼んで「レセプトという錬金術」で医師に富を与えているが、その治療は破壊するだけで決して回復させはしない。患者は「多重投薬や同じ様な手術を繰り返して」10年苦しんでやがてミイラのようになって孤独に死ぬのだ。
そして「分子標的型のクスリ」は実によく効く。あらゆる検査値はあっという間に標準値へと変わる。
ウツや統合失調症というような心の病もよく治る(検査値が標準になる)のである。検査値というのは機器で測定するものだけではない。見た目や行動でわかるもの(顔色、肥満・ウツや統合失調症:他人と違う振る舞い)もそれになる。検査値というのは環境に対しての身体の当たり前な反応であって、病の原因ではない。しかし医療のアウトカムとしては実に良いものだ。そして医師自身もこの道を通って辛い人生の終わりに直面する。

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1980年代を分水嶺に「家庭というシェルター」が消えて、生活習慣病が1997年に法律用語になった時代である。そして先生は僕の親の世代である。

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オーバービュー

著作から先生の活躍の分野を見ていくと分かる。wikiからいただきました

『いま、家庭料理をとりもどすには』中央公論社 1985
僕の今の到達点でもあります。食事の「商品化」が進み「利益重視の売られている食事」があたしたちの健康を害していると考えるのです。
僕自身が1980年を分水嶺と考えているように、先生の最初の著作です。この主題は繰り返し書かれます。かなり秀逸なノウハウ本であったり、綺麗にまとめられたレシピ本であったりします。
『生命の鎖』飛鳥新社 1992
この本が凄い。僕はグローバリズムを原因と見ているのですが、もうこ本の中に皆書かれています。まだ遺伝子組み換えだとか世界の経済システムに組み込まれた問題などは顕著化していない時代なのですが、この本は抑えたほうが良い。
社会と食事の関係を見つめています。
残念なことにまだ「格差・パブリック」と言った問題は出てきていないのです。僕は今の僕が見つめている「格差やパブリック」の問題をお話してきいてみたい。
『キッチン・バイブル 料理革命を起こす「台所の道具」』講談社 1996
なんだかんだ言っても、『調理』というのは、実際の作業です。そしてその作業は厨房で行われます。道具がなけりゃ料理はできない。おそらく、家庭というシェルターが吹き飛んで、親の世代が大事にしてきた道具を捨て去った世代が生まれ始めた頃です。
先進的なツールの紹介や冷蔵庫の紹介なども有ったと思う。食洗機はどうだったろうか?
『豊かさの栄養学』新潮文庫 1986〜3部作
この三部作は「分子矯正栄養学(ライナス・ポーリング博士)」の知識を紹介しています。かなり影響を受けました。息子さんもアメリカで栄養学を学ばれて共著も有ったと思う。
残念ながら、「マイクロバイオーム」「オートファジー」「サーチェス遺伝子」はこの後に出てくる知見である
まだ、DNAが身体というコロニー全体の遺伝子であると考えられている(今もそうであるが)。しかし、ここで書かれていることは為になる。
「必須栄養素の栄養学」と言える。

先生の足跡をたどることが、今僕らが直面している問題に向き合うことになると思っている。

どこがゴールなのだろうか

自分らしく生きたいのだ。今や食べ物も生き方も全て「行政:専門家のご指導」に従っている。病気にかかることも許されない。

「政治的に正しい栄養学=行政の権威」は、「家庭というシェルター」が見事に吹き飛んだ後に入り込んだ「権威」である。自然は真空を嫌う。そしてそれは金を生む。

では絶対的な悪かと言うとそうでもないのだ。僕らが望んでいる「魂の拠り所」を行政が委託されて「専門家」が指し示す。それは中世の神学やエジプトの占星術の様に私達を苦しめる。

栄養学は「DNAと言う設計図でヒトは作られている」から病気になるのは運転手の責任だと考える。疾病の自己責任と言う考え方は宗教の基本である。神の示す道以外は災厄を呼ぶのだ。LGBTQに対しての嫌悪や否定は「正しい」ヒトのあり方を想定しているからだ。医学や生命科学もそう考えている。

DNAを考案してノーベル賞をうけた「ワトソン博士」はDNAの中に「白人が優秀である秘密が書かれている」と発言して全ての栄誉を剥奪された。

DNAドグマは恐ろしく強い。そして、ヒトはみな違う。「政治的に正しいヒトの姿」などはないのだ。マイクロバイオームの「棲家としての生命論」はそれを考えている。「種」の境界線さえもあやふやなものなのだ。ウマと炉ばの「アイノコ」はラバであるし、ライオンとヒョウの「アイノコ」はレオポンである。接ぎ木をすれば枝は、根と異なった花を咲かせる。

生命を決まったものと考える医学は都合のいいものしか見えない。そして、理性が肉体をコントロールすると思い込む。知識がない馬鹿だからデブになると思うのだ。盛り場で酒のんでコロナに感染すると思うから、ワクチンを強制する。専門家の脅しに怯え、「死ぬこともいとわず」に医療を受ける。多くの人が気が付き始めている。コロナは良いことをした。

僕は間違えていると思う。

やがて、僕も年をとって食事を作れなくなるだろう。施設で死なねばならない運命かもしれない。しかし、その時に「食事」は「僕にとっての価値のあるもの」であってもらいたい。そんな食事作りを見つけられるだろうか?

僕は父に最後まで食事を作った。僕の愚かさから、父を苦しめて、お別れした。今も辛い。

「権威」とは恐ろしいものだ。批判するには「専門家」以上に学ばなければならない。かつて、「教育も、介護も、罪も罰も、生も死も、食事も、愛も憎しみもセックスも」家族と言う『シェルターである欲望の檻』の内にあった。彼等の言いなりに生きるのは牢獄にいるようなものだ。

セクハラやパワハラもいじめも『職場であり、人生を生きるステージであった「家族」と言うコミュニティ』のうちにあったのだ。今や「家族」は失われ、社会化されてしまったのだ。しかし、悲しむばかりではない。種は蒔かれた土地で根を伸ばす。私達もどんなに苦しくともそこで根を持つことが出来ると信じている。

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そして家族はすでに失われたものなのである。懐かしんでも悔やんでもでも仕方がない。毎日食事を作りながら、父と母を思い出す。II型糖尿病の僕は、おいしい食事を毎日作らねば辛い死に方をする。そんな死に方はまっぴらごめんだ。

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厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。