あるげんての星

精神保健福祉士/社会福祉士/公認心理師/相談支援事業所/石川県/アセスメント力向上BO…

あるげんての星

精神保健福祉士/社会福祉士/公認心理師/相談支援事業所/石川県/アセスメント力向上BOOK: 「アセスメント見える化ツール」/ 生きづらさを抱えたきら星のように光る才能やギフトであふれた人たちがたくさんあるげんて。そんな人たちがつながって生きやすい町になっていけー。

最近の記事

無人化社会と今の福祉

仕事の仕方が変わってきている。 少し前までは仕事は属人化しており、その人に聞かないとわからなかったり、できなかったことが多かった。 そういう人が出世して上司になり、時に部下を叱咤激励や飲みにつれていき、仕事の育成から派生して全人的なかかわりにまで言及する。 部下はそれをよしとしていた。 今は、仕事はなるべく仕組化される方向。 マニュアルが整備されていることがマストで、その人に聞かないとわからないことやできないことは、非効率的とされる。  定時で帰ったり有休や育休を取りや

    • 余白の人と一緒にいる幸せ

      何かにとりかかる時や特定の時間を過ごしたい時、何か目的があってその時間を過ごしたい時に、「この人といたい」という人がいる。例えば一緒に映画を見に行くなら「この人」、仕事をするなら「この人」、飲み会なら、悩みごとを打ち明けるなら、おしゃべりをしたいなら、にそれぞれ「この人」がある。 過ごしたい時間と人とが呼応していて、それぞれで充実した時間を過ごす。 最近は特にコロナで人づきあいが制限されたこともあって、お付き合いでの人間関係はだいぶ清算された。  好きな人や相性の合う人と

      • 悪はない。そこに光がないだけ。

        昨夜、寝しなに布団の中で悪について考えた。そもそも、いつも寝しなに悪と戦う妄想をして楽しむ習慣がある。 これはもう物心ついたときからか、40年くらい続いている。 それが、昨日、ふと悪について考えたのだ。 悪というものはないんじゃないか、と。 もちろん、行為としての悪はある。実存の話。 メラニークラインの対象関係論というのがある。 聞きかじりだけど、赤ちゃんがお腹がすいて泣くんだけど、その時赤ちゃんは何が欲しくないているのかわからない。 おっぱいをもらって初めておっぱいが

        • あなたはあなたのままでいい、の功罪

          よく、あなたのままでいいというアドバイスを受ける。それは耳障りがよかったり、言っているほうも間違ったことを言ってない当たり障りのない言葉なので、つい言ってしまうのだ。 しかし、実際にそのアドバイスを受けて、つまり、どういうこと?と戸惑うことも多い。 なぜなら、あなたのままでいいと言われても、あれにしようかこれにしようか迷っている状態で決められなくて困っているからだ。選択の一方に、無理してそれをしようとして、そのままだと自身がつぶれてしまうというときに、無理しなくていいんじゃ

        無人化社会と今の福祉

          家族が縦軸、横軸で紡ぐ物語を言語化するのが家族支援

          虐待通報されている夫婦がいる。 田舎から出てきた20代夫婦と子どもの三人生活。 妻が育児のストレスから子を叩いてしまっているとのこと。 児童相談所や関係機関が協議して、子を保護したり、面談を繰り返す中、 今後の対策が練られる。   自分も相談支援専門員として妻側の支援者で呼ばれた。 妻と何度か面談をしている。 妻の出身家族のことを聞いた。 妻の父は暴力を振るってきたことが話された。 早く家から出たかったのもあり、男性に頼りたい気持ちもあったことから、高校生の時から付き合

          家族が縦軸、横軸で紡ぐ物語を言語化するのが家族支援

          その人が新たな人に出会う力や機会を、支援の枠の中で操作できると思ってはならない。#相談支援専門員

          ある人から言われた。あるげんてさんが利用者にかかわると、その利用者があるげんてさんに担当を変えてほしいという。支援にあるげんてさんの色がでているから、誰もあるげんてさんのようにできない。それがいいのかわるいのかわからない、と。  正直、がっかりした。誰がかかわっても均一なサービスを提供することはできない。対人援助の仕事なら特にそうだと思っている。  もちろん、ルールやコンプラを破って接しているわけではない。現担当をないがしろにもしていないつもりだ。理論に基づいて、根拠のある

          その人が新たな人に出会う力や機会を、支援の枠の中で操作できると思ってはならない。#相談支援専門員

          解放されたときの自分を体験する①備忘録

          最近、講師依頼がたくさん来る。秋口は研修ラッシュの時期だ。主に傾聴についての研修と家族支援についての支援の内容のことが多い。どれも共生社会を目指す取り組みに必要なキーワードを含んでいる。長い間自分が障がいを持つ人と接する中で必要だと感じ、仲間と勉強してきた分野で学んだことをお伝えできる機会があることは、とてもありがたいことだが、地元で「先生」と呼ばれるといろいろとやりにくいこともある。  講義の時間は先生だが、現場では関係機関の連携先だったり、利用者だったり家族だったりする。

          解放されたときの自分を体験する①備忘録

          10万回「ありがとう」言った。何か起きないかなと期待しすぎているよこしまな自分にも、なにかしらある。

          とうとうありがとうを意識して言い始めて、10万回言った。何か起こるかなーと同じチャレンジをしている人の記事を見てドキドキしていたが、特別なにか大きなことがおきたわけではない。しかし気分がいいのが続いている。 休みあけ前の憂鬱な気分も減ってきている気がするのでそれはそれでありがたい。 一週間前から妻が喉を涸らしており、風邪症状が出始めていた。 そのうちうちの娘(6)もなんだか「喉がいたい」とかいいだして、熱が上がったり下がったりしている。 しかし、 自分はなんともない! い

          10万回「ありがとう」言った。何か起きないかなと期待しすぎているよこしまな自分にも、なにかしらある。

          ありがとう7万回。瞑想時間確保の優しいシンクロお膳立て現象。

          「ありがとう」をひたすら言って7万回突入。回数はカウンターで記録し、主に車内で行っている。現状報告をしたいと思います。 まず、気分はいいのは続いている。精神状態は良い。これだけでも効果としては良いかな。 あと、起きる現象から受けるメッセージについて考えるようになった。 これは、ありがとうとたくさん言うことでなにか起きるのではないかと実験している気持ちでいるから気が付くのかもしれないが、それでもよく何か、あれ?ということが起こる。 たとえば、仕事で次の訪問先にて30分程時

          ありがとう7万回。瞑想時間確保の優しいシンクロお膳立て現象。

          ありがとうをただただ3万回言ってみた。

          いろんなブログやnoteでありがとうをたくさん言ってみることでどんな変化が起きるのかを試している記事を見る。 小林正観さんの書いた本に影響を受けて実験的に行っている人たちの記事だが、劇的な変化が書かれているものもあれば、そんな変化は見えないけど気分がいいなど、やらなきゃよかったということは書いてない。 それで、僕も試しにしてみることにした。 100円ショップで買った指で押すカウンターで、車を運転しながらありがとうといったらカウントしていく。幸い車を運転する機会が多いので1日

          ありがとうをただただ3万回言ってみた。

          常にパラレルワールドの分岐点にいて、至上とつながる自分が望む世界。

          おそらく今は人生の分岐点。50歳も過ぎるといろいろ考える。頭の中でいろいろと考えすぎている自分をリセットするための瞑想。早朝、めんどくさくてやらない日もある。 今日もやらなかったわー・・・罪悪感を感じる位なら、やらないほうがいいのではないかと思うときもある。 だけど、呼吸とイメージがうまく重なるときがある。体内が温かくなり光が満ちる。 今日の瞑想では自分が菩薩のイメージでずっとそこに座っていた感覚だった。 余韻を味わっていると、自分の努力や頑張りはあまり関係なく、常に菩薩(イ

          常にパラレルワールドの分岐点にいて、至上とつながる自分が望む世界。

          未熟者が、自分を保ちながら助言を受け入れる姿勢

          ある人から、働いている同僚からの助言がきつい、と相談があった。 自分に必要なことを言ってくれているのはわかるが、何を言われているのかオブラートに包まれすぎてわからないという。  その人からの助言は、半分愚痴みたいなものも含まれている。 話を聞いていて、そこには人の批判も入っていて、助言という形をとっているが、傷ついた自己を癒す行為でもあることがわかった。 伝えたいことと吐き出したいことが含まれていて、わかりづらいのだ。  基本的には無視すればいいが、その助言を受けるかどうか

          未熟者が、自分を保ちながら助言を受け入れる姿勢

          怒っている人の心を、言葉で射るとは。

          怒り心頭の方への電話対応。 すこし被害的な妄想もあり事実とは違うことに戸惑う。 ずっと怒りを出し続けているのを聞いているとこちらもアドレナリンが出ているせいか集中しているが妙に冷静になってきたりする。 10分くらい怒り続けた後、だんだんとクールダウンしてきたことに気づき、きっかけになったエピソードを再度想起させ、怒りの燃料を継ぎ足している。 まるで怒り花火の後の静けさで、我に返るのを恐れるように。  途中、無茶な質問をしてきたので、わからないと伝えるとその返答が気に入らな

          怒っている人の心を、言葉で射るとは。

          便利さは人を遠ざけることを可能にしたけど、幸せは歩いてこない。

          自分が見える範囲でしか物事はとらえられない。本当は違うかもしれないのに、そこだけで判断してしまう。 昔は病気や不幸やいろんなものは神様にお願いし、祈ったり命がけでお参りしたり、ありがたいお経やお守りを受け取りにいくことで解決を目指してきた。やれることはやったという気持ちの収め方だったのかもしれないが、そういう、 よろず神様ワンストップの時代 から、 さまざまな分野で科学が台頭し、神頼みの神社は都会では高層ビル群の中にある、 「逆ぽつんと一軒家」状態 になってしまった

          便利さは人を遠ざけることを可能にしたけど、幸せは歩いてこない。

          <助けて人口>が<助けたい人口>を上回る日

          「あなたは街中で困っているときに助けてと言えますか?」 この質問をすると会場の約3分の1くらいの人がおそるおそる手を挙げる。 では、 「あなたは街中で困っている人がいて助けてくださいと言われたら話を聞きますか?」 この質問で3分の2くらいの人が手を挙げる。 助けを求められたら応じる人のほうが多く、助けてと言える人は少ないのだ。 つまり、 助けてと言えたら、周りが動いて何とかなる可能性が高いということだ。 たしかに、傾聴や援助の研修はある。しかし、助けを求める研修と

          <助けて人口>が<助けたい人口>を上回る日

          つながりのシンクロ現象

          自分を律するには理性が必要。こころをノーマルな状態にしておくことを意識して、開いていないとそれは入ってこない。理とはことわりと書く。秩序やルール、法則。その性質を知っている知の性質が理性。 今日昼間ふと思いをよぎった人が、夕方めったにのらない電車に突然乗ってきて「!?」と焦った。軽く挨拶だけして終わったが、偶然会うなんて。 切に会いたいと思った人にはなかなか会えないが、ふと思い出した人には会う。たまに思い出したかどうかわからないが、なんでここに?という人にも会う。 シンク

          つながりのシンクロ現象