あなたはあなたのままでいい、の功罪

よく、あなたのままでいいというアドバイスを受ける。それは耳障りがよかったり、言っているほうも間違ったことを言ってない当たり障りのない言葉なので、つい言ってしまうのだ。
 しかし、実際にそのアドバイスを受けて、つまり、どういうこと?と戸惑うことも多い。
なぜなら、あなたのままでいいと言われても、あれにしようかこれにしようか迷っている状態で決められなくて困っているからだ。選択の一方に、無理してそれをしようとして、そのままだと自身がつぶれてしまうというときに、無理しなくていいんじゃない、という意味で冒頭の言葉を使うことはある。しかし、あなたのままでいいという、あなたの範囲を超える基準はわからないままだ。

どこからどこまでが自分らしさの範囲なのか。
自己肯定感が普段から低い私からしたら、私らしい行動というのは、だいぶ狭い範囲になってくるのだが、自分が考えているその物差しで果たして良いのだろうか。
「今の自分のままでは苦しい。そこから脱したい」という気持ちはあなたのままでよいという言葉に反しないのか。

あなたのままでよい、という言葉には、あるがまま、という意味がある。
あるがまま、というのは、そこに在る、そのまま、ということ。良いとか悪いとか評価がない状態。
つまり、0の状態。
0の状態というのは自分で自分を評価せず捉えている瞑想の境地。
自分というものにとらわれない状態。自分や相手や世界に評価を加えない。加えないからその認知にも反応しない。
ということは、あなたはあなたのままでいいというのは、悩んでいる状態から少し離れて自分をみたらいいよ、というアドバイスになる。
あなたはあなたのままでいいよ、を突き詰めると、あなたはあなたにこだわらなくていいよ、ということになってくる。
あなたのままでいいというのは、あなたを否定も肯定もしなくていい、ということになるのだ。
スピリチュアル界隈でいうと差をとる、つまり0の地点というのは、悟りの世界になる。
一方、冒頭で話した、戸惑いは何だろうか?
誰かに認められたい、愛されたいという気持ちから、自分を変えたいと思っている人がいるとする。わたしのままでは愛されないと思っているのだ。そういう人に、あなたのままでいいというのは、愛されなくていいということになる。
この場合、この言葉を発する側の姿勢が問われる。「今のあなたを承認する」という姿勢が伝わるのかどうかがキーになる。あなたと私の関係性でこの言葉を言えるのかどうかを吟味する必要がある。
 人は安心な状態では、その安心要因については無自覚になる。一方、あたりまえが当たり前じゃなくなった時に違和感を意識し、私じゃなくなった「私」を自覚する。わたしはわたしでよい、が無自覚になるまで安心を願うが、そこは本来、良い悪いの評価も入らない、絶対の領域であることもわかっている必要がある。そのことをわからずにこの言葉を使うことは、たんなる気休めの常套句として認識されていくのではないかと思う。

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