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<助けて人口>が<助けたい人口>を上回る日
「あなたは街中で困っているときに助けてと言えますか?」
この質問をすると会場の約3分の1くらいの人がおそるおそる手を挙げる。
では、
「あなたは街中で困っている人がいて助けてくださいと言われたら話を聞きますか?」
この質問で3分の2くらいの人が手を挙げる。
助けを求められたら応じる人のほうが多く、助けてと言える人は少ないのだ。
つまり、
助けてと言えたら、周りが動いて何とかなる可能性が高いということだ。
たしかに、傾聴や援助の研修はある。しかし、助けを求める研修というのはあまりない。
せいぜい避難訓練くらい。まあ、あるのかもしれないけど自分は知らない。
だけど、学ばなくてもできるほど助けを求めることって、たやすいことだろうか。
助けを求めるときに、障害になるのはプライドだ。
僕だって助けを求めるときは、紳士的に助けを求めたい。
「もし、よろしければ、靴を探していただけないかな?」と凍った雪道で派手に転んだ後、半笑いで写メと撮っている人たちにさりげなく言いたい。
あるいは、
「すみません、もう少しで届かなくなるので、船を引っ張ってもらえませんか?」
と、船からおりるタイミングを間違えて岸に足を、船に手を引っかけてかろうじて「一」の字で耐えているところの横を通る人にさりげなく状況説明をして救いの手を伸ばしていただきたい。(いずれも実際の話である・・・)
救急車のサイレンけたたましく呼ばれた日には、「こんな私なんぞに大騒ぎさせてしまい、すみません」という気持ちで、骨折していても歩いて帰りそう。
そういうアクシデント系のヘルプの出し方ではなくても、生活上困ったこと、スマホの使い方や手続き系でわからないことは何となく聞けても、人間関係や家庭の問題の場合は、なかなか助けてと言えない。
自分が悪いから、とか、自分がなんとかすべき立場なので大丈夫、といい、外に言わない、言えない。
そんなことを考えていたら、やはり助けてもらうことについて学ぶ場がいるのではないかと思う。セルフケアの手法ではなく、他人に助けてもらう考え方や技法。
助けてもらうことについての抵抗を減らし、技法を学ぶ。「助けて」をいうことについての抵抗が圧になり、泣いたり怒りをぶつけたり、あるいは、精神症状が出てしまい、言わずにはいられない状態になってから言ったり。
助けを求めたからと言って、正しく求めているものが手に入るとも限らないし、相手が重いと感じたら去っていくかもしれない。その時に裏切られたと思い、二度と人は信用しないと思う人もいる。
また、助けの出す際に、人を傷つけてしまう人もいる。そんな人をなぜ助けないといけないのか、放っておけと周囲は思う。専門家のアドバイスも必要になることもある。
助けて、という言葉を発することはやはり大変だ。
未熟な人が未熟な人を助けるのだから仕方ない。
それでも、対話することをあきらめない。
大変になっている要因をすこしでも減らしていけたらいいなあ。
昔から、「人に迷惑をかけてはいけません」とか、弱さの開示が「情けない」と判断されたりとか、そういう価値観があって教育もされてきた。助ける、助けられる、を一方向のものだととらえている。
一方で、世間は助ける、助けられるの双方向関係を目指している。
「おたがいさま」の循環だ。
人は助けられながら助ける。
ケアされて満たされているから、人の役に立ちたいと思う。人の役にたっている自分が、そのことでまたケアされていく。
そう言う人が増えていく社会。
助けてと言える人が増えると、きっと世の中はよくなる。
その最初の一歩として、あなたができること、まずはいろいろと大変だけど、「助けて」と言ってみよう。
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