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万葉集が好きな、作業員です

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墨子

墨子 目次  今週から墨子の現代語訳を全編紹介します。全体として目次と最後に軍事用語説明のものを入れて53回に渡って紹介します。本来の墨子は53編ですが、解説の関係上、経編上下と経説編上下とを読解便宜を図るために経編経説上と経編経説下に組み替えで51編、これに目次と個人的にまとめた軍事用語解説を加えて、全体で53回の掲載となります。 目次;HP「諸氏百家 中国哲学書電子化計画」に示す区分及び篇名に従います。 巻一 親士、修身、所染、法儀、七患、辭過、三辯 巻二 尚賢上、尚賢

    • 職業人としての柿本人麻呂

      柿本朝臣人麻呂の家族と祭祀 柿本人麻呂と人丸神社  柿本人麻呂神社は日本全国に人丸神社や人麻呂神社などの名称で多く存在します。この人麻呂(人丸)神社の性格を見てみますと人麻呂神社には四形態があるようです。その、四形態の分類とは、 1. 和歌の聖としての柿本人麻呂神社 2. 鍛冶や火事の人丸神社 3. 客死(事故死)した人麻呂を鎮魂する人丸神社 4. 祖神としての人麻呂神社 です。  最初の「和歌の聖としての柿本人麻呂神社」の代表は兵庫県明石市に

      • 職業人としての柿本人麻呂

        柿本朝臣人麻呂の家族と祭祀 柿本朝臣人麻呂の妻たち 依羅の妻  万葉集に載る集歌一四〇や集歌二二四などの歌で知られる依羅娘子は「ヨサミノヲトメ」と訓むのが習わしです。これは河内での地名「ヨサチ」を「依綱」と表記していたのが、ある時代から「依羅」へと変化した。ただ、地名の訓みは旧来のままであったことに由来するようです。また、古語の「ヨサチ」は中世の「ヨサミ」に相当します。これが「ヨサミノヲトメ」の訓みの由来とされています。なお、奈良県葛城市の柿本神社や大和高田市の八幡神社の伝承

        • 職業人としての柿本人麻呂

          第三章 柿本朝臣人麻呂の家族と祭祀 柿本朝臣人麻呂の妻たち 引手山の妻  万葉集 巻二に載る集歌二一〇の歌などから、所謂、「引手山の妻」が人麻呂の嫡妻であったとの推定が可能と考えます。そこで、その集歌二一〇の歌から始まる挽歌群を紹介します。なお、歌は西本願寺本に準拠し、校本万葉集でのものではありません。その為、歌で原文表記が違うところがありますが、その違いが論拠のキーポイントになりますので、ご了承ください。 集歌二一〇 原文 打蝉等 念之時尓 取持而 吾二人見之 走出之

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          柿本朝臣人麻呂の家族と祭祀 柿本朝臣人麻呂の妻たち 石見国の妻  現在、「石見の妻」は島根県益田市戸田の戸田柿本神社の神主一族の祖、訳語綾部家の娘女が、その人だと考えられています。なお、明治末から昭和時代には、依羅娘子と同一人物だと推定され、石見国那賀郡恵良郷(島根県江津市二宮町神主付近)の里の娘ではないか、などの案が提案されていました。なお、「石見の妻」と「依羅娘子」とは別々な女性と考えるのが相当と考え、ここでは対象としません。  さらに、従来から問題にされる「石見の妻」

          職業人としての柿本人麻呂

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          柿本朝臣人麻呂の家族と祭祀 柿本朝臣人麻呂の妻たち  前節では歴史に残る柿本朝臣の姓を持つ人々から人麻呂の身分とその子孫について考察をしました。本節では人麻呂の妻子について考察をしています。当然、人麻呂は日本書紀や続日本紀などの正史に記録を残しません。手掛かりは万葉集に載る歌のみとなります。従いまして、人麻呂の妻子の考察は、ある種、人麻呂の歌の鑑賞となることを御了解下さい。  人麻呂の妻、または愛人として有名な軽里の妻(あるいは隠れ妻)から考察をしますが、他にも人麻呂には

          職業人としての柿本人麻呂

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          柿本朝臣人麻呂の家族と祭祀 柿本朝臣と柿本朝臣佐留の子孫  柿本朝臣人麻呂は、古今和歌集の仮名序で「おほきみつのくらゐ」、真名序では「柿本大夫」と呼ばれています。ここから、「おほきみつのくらゐ」の意味する「正三位」はさて置き、古今和歌集が編纂された当時の認識は「柿本大夫」の表現から殿上人たる「従五位下」以上の官位を持つ官僚であったと推測されます。なお、時代が下るにつれ「大夫」は「五位」に限定するように解釈が変化しますが、ここでは奈良時代の「大夫(だいぶ)」の意味として解釈

          職業人としての柿本人麻呂

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          職業人としての柿本人麻呂 官人柿本朝臣人麻呂の職務と官位  ここで、大宝から慶雲年間ころの人麻呂の官職について一つの可能性を提示します。それは、人麻呂は死亡時には長門守だったのではないかです。  さて、和銅年間より少し前の大宝二年(七〇二)正月に、従四位上の大神朝臣高市麻呂が長門守に任じられました。そのときの歌が万葉集にあります。 大神大夫任長門守時、集三輪河邊宴謌二首 標訓 大神(おほみわ)大夫(まえつきみ)の長門守に任(ま)けらえし時に、三輪川の辺(ほとり)に集ひて

          職業人としての柿本人麻呂

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          第二章 職業人としての柿本人麻呂 人麻呂と長門国の銅鉱山  少し、歴史の中から銅銭など銅に関係する話題を紹介したいと思います。  日本書紀の天武十一年(六八二)四月の記事に「筑紫大宰丹比真人嶋等、大きなる鐘を貢れり」と云うものがあります。この記事では新羅や百済からの貢物とは記されていませんから、この「大きな鐘」は国産と思われます。つまり、天武天皇の時代、中期から後期に大宰府で銅製品の鋳造が行われるようになったことがわかります。また、天武十二年(六八三)四月の記事、「今より以

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          職業人としての柿本人麻呂

          職業人としての柿本人麻呂 柿本人麻呂と三神社縁起  柿本臣一族について、その祀る神について考察しました。そして、その祀る神から類推して、『万葉集』の歌から柿本人麻呂は、青春時代、鉱山技師であった可能性を見出しました。一方、その柿本人麻呂自身も祭神となり、現在、多くの人に祀られています。ここでは祀られる神となった背景を探ることから柿本人麻呂の姿を考察してみたいと思います。  ほぼ、神として祀られる柿本人麻呂を確実に平安期以前まで遡れる縁起は、石見国美濃郡益田の戸田柿本神社縁起

          職業人としての柿本人麻呂

          職業人としての柿本人麻呂

          第二章 職業人としての柿本人麻呂 若き柿本朝臣人麻呂の行動域  ここまでの説明からすると、柿本臣は金属の製錬や加工を行う氏族であったと考えても良いようです。古代が氏族社会であり人々はその所属する氏族に縛られるとすると、その柿本臣の姓を持つ柿本朝臣人麻呂もまた氏族社会に縛られた一員です。ここでは、その視線から職業人としての柿本朝臣人麻呂を考察していきます。  ここまでの考察で、人麻呂はその柿本臣の姓から金属製錬・鋳造に関わる氏族の一員です。一方、壮年期以降の柿本朝臣としての人

          職業人としての柿本人麻呂

          職業人としての柿本人麻呂

          第一章 氏族社会の和珥族と柿本臣 飛鳥池遺跡群から奈良大仏へ  先の考察から柿本臣は金属鋳造に関係する氏族であるとの仮定の下、奈良時代から歴史を遡ってみます。  近年の飛鳥地方の遺跡調査によると、古代の鉱山採掘跡や鋳造残滓の残る三輪山やそれを取り巻く巻向・穴師地域に近接する飛鳥浄御原宮のすぐ近傍に銅及び銀製品の鋳造を行ったと思われる工場やガラス・銀・金等の材料を使用した宝飾工房の遺跡が出土しています。これらの遺跡発掘の事例から、飛鳥時代の当時、明日香、三輪、巻向・穴師地

          職業人としての柿本人麻呂

          職業人としての柿本人麻呂

          第一章 氏族社会の和珥族と柿本臣 柿本人麻呂の氏族を考える  人麻呂が生きた時代は、家族・一族・係累が互いに助け合い生活していた氏族社会と規定し、個人が自由に住居地を定め、また、個人の意思で職業を選べる時代ではなかったと規定します。その時代、皇族・王族・豪族などの有力者の子弟だけが特別に教育を受ける機会があり、その才能によって天武天皇の時代以降に始まった律令規定の社会環境でのみ選抜を受けて官途に就ける、そのような氏族社会と考えます。  人麻呂の生涯と職業を考える上で、手

          職業人としての柿本人麻呂

          職業人としての柿本人麻呂 第一章 氏族社会の和珥族と柿本臣

          職業人としての柿本人麻呂を考えるにあたって  この覚書は、万葉集と云う日本最古の詩歌集の中で重要な位置を占め、また、その後の和歌の発展に大きな影響を与えた柿本朝臣人麻呂の人物像を考察するものです。  巻頭「はじめに」でも紹介しましたが、今日においても万葉歌人、柿本人麻呂の人物像は定まっていません。そのために人麻呂歌を鑑賞する立場により、その人物像は変化します。職業を例としますと、遊女を伴う旅の遊行詩人を生業とする一族の一人ではないかとする説、石見国の下級官吏ではないかとする説

          職業人としての柿本人麻呂 第一章 氏族社会の和珥族と柿本臣

          職業人としての柿本人麻呂

          NOTEのために  今回、以前に面白半分に自費出版した『職業人としての柿本人麻呂』を、内容を修正した上でNOTEに載せさせていただきます。この文章は万葉歌人として有名な柿本人麻呂をその和歌歌人から見たものではなく、飛鳥時代から奈良時代を生きた人間・柿本人麻呂を生活・社会面から考察したものです。まず、標準の文学の世界からのものではありません。そのようなものとして扱って下さい。なお、『職業人としての柿本人麻呂』は自費出版として流通10部で出版していますからひょっとすると検索には当

          職業人としての柿本人麻呂

          長屋王を再評価する

           以前に「万葉時代の北宮を考える」と言うテーマで、奈良時代の長屋王の大王(太政大臣)就任説を紹介しました。また、「日本書紀の基礎 日本紀私記序(弘仁私記序)を読む」と言うテーマで現在に伝わる日本書紀や続日本紀が桓武天皇や嵯峨天皇の時代以外の人にとって、それが正しい正史であるかどうかは不明であることも紹介しました。ここではおさらいになりますが、もう一度、「万葉時代の北宮を考える」と言うテーマについておさらいをして見ます。  昭和五十年(1975)に奈良市尼ヶ辻町の郵便局予定地か

          長屋王を再評価する