Masa

某大で理論物理を研究しているしがない大学院生です。

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  • コンビニのハンバーガー

    日記です。

  • 草稿及び補遺

    文章の草稿や補遺、日本語についての備忘録。

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『肖像』(仮題) 冒頭部分

あらゆるものは僕を訪れ、重なり、そして流れていく。あるときはゆっくりと、そしてまたあるときは速く、とても留めきれないほどに速く。 あれから僕の中を過ぎ去った幾らかの時間は、僕の中に存在していた色々な記憶の断片を、どこかへ運んでいってしまった。それはまるで、もろい岩石が風に吹かれてだんだんと崩れていくように。僕の記憶もだんだんと輪郭を失い、おぼろげになっていった。あの頃の僕や、凛や、僕らにまつわる記憶たちは、もうほとんど完全に、どこか遠い国の、もしくは遠い海の、砂塵になってい

    • 動悸についての短い記憶(24/04/22)

      夜半に目が覚めた。強い動悸であった。ベッドが揺れているのではないかと錯覚するほど、心臓は音を立てていて、全身のあらゆる末端に、血が激っていた。耐えきれず、僕は跳ね起きた。強い動悸であった。 理由はわからない。最近でだしたお笑いコンビの、派手な方と早押しクイズをする夢を見ていたからかもしれないし、またはもっと曖昧な、最近の生活に関することかもしれない。 上体を起こしてからもまだ、心臓は早く、そして大きな音で振動していた。僕は側のケータイを勢いよく手に取った。拍子に、差しっぱな

      • キャンバスの外へ流れる景色、僕がモネを観るときは(24/03/01)

        一般的に言って、特定の物事を好きなことに理由はなく、逆に嫌いなことには理由がある。だから、もしも僕という存在を、身の回りの物事を列挙するという仕方で表現するのなら、並べるべきものは好きなものではなく、むしろ嫌いなものであるべきだ。 そういう意味で、モネの作品は、僕が自分を解釈するのに向いている。言い換えれば、僕はモネが苦手だった。 そんな僕が立て続けに2度も彼の連作の展覧会に赴いたのには、やはり、僕という人間が、どのようにして絵画と向き合っているかということが、彼の作品群を通

        • ある長くて短い夢の話(23/01/31)

          全くもって、やはり夢というのは不思議だ。物語はどこまでも仔細で、それに鮮やかな色彩を帯びている。さらには、とうの昔に忘れてしまっていたはずの人やものが、あたかもさっきまで握りしめていたかの如く登場したりする。 僕はいつもと同様に、その夢を現実まで手繰っておきたいと思った。架空の物語から抜け出て現実へと至る覚醒の過程で、その物語のできる限り多くを、覚えておくように試みた。しかしやはり、そのほとんどを道中に置き去りにしてしまったような気がする。現実に至った今、もはや首尾一貫のス

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        『肖像』(仮題) 冒頭部分

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          『背筋だけが地球の裏側で泥を掘っている』(2022年)

          夜中に目が覚めた。ストレスからくるうつ状態を発症してちょうど一ヶ月になる。薬が効いたせいか深く眠っていた。背筋が痛い。しかし抗不安剤のおかげか、気分は悪くない。少し外を歩くことにした。 ドアを開けてアパートを出ると、ちょうど飛行機が降りてくるのが見えた。僕の家は空港に近い。どこか遠い外国から飛んできた鉄の塊が、またどこか遠くに飛んでいく。僕はそれをいつも眺めている。理由なく空港の方へ伸びる道を歩いた。 空港の脇を、大きな幹線道路が走っている。ちょうど高速への入り口があって、少

          『背筋だけが地球の裏側で泥を掘っている』(2022年)

          『ある転落死の真相について』(冒頭)

          真っ白な物体が突然目の前に落ちてきた。それが生身の人間であることを認識するまでに、私は数秒を要した。それがさっきまで生身の人間であったが、今は単なる肉塊であることを認識するのには、さらに数分を要した。 そしてまた、それが…その事実が実際に起こったということについては、5年が経った今でも、うまく認識することができない。 夕方のニュース速報はこうだった。 『10代少年、商業施設から転落死 自殺か』 キャスターは短く原稿を読み上げた。休日の昼過ぎに、大量の人間が行き交う繁華街で、

          『ある転落死の真相について』(冒頭)

          ゼロをかけるまで(23/10/05)

          どこまでも続く秋の夜が、僕を歩かせていた。僕は、これまで起こったことを順番に数えていた。見落としのないように、とても慎重に。 生まれてから今まで、得たものと失ったものを足し上げたら、全体はプラスになるだろうか。それとも、やっぱりマイナスなのだろうか。 青春、朱夏、白秋、玄冬。四季を色に例えると秋は白だ。夏はまっかで、離れていても誰かの存在を熱気として、湿度として感じられる。秋はそのあとにやってくる。朱い喧騒が去り、孤独の白がやってくる。 太宰は、「秋は、ずるい悪魔だ」と書い

          ゼロをかけるまで(23/10/05)

          零落の百日紅(23/10/13)

          この倦怠は、やはり怠惰からくるものだろうかと、思案していた。繰り返す悪夢から逃れた夜半のことだ。 何かに追いかけられる夢を、もう何度も見ていた。背後から迫るものは、具体的な像を結ぶこともあるし、または観念的な、言語化さえ許さないような漆黒のこともある。ともかく、何かに追われ、足掻き、そしてその多くが徒労に終わる。そんな夢の連続が、初秋の夜を支配している。 そんな折に、唯一、美しい夢を見た。煌々と輝く葉のない百日紅(さるすべり)の夢だ。そしてそれはおそらく、僕の最も古い記憶の一

          零落の百日紅(23/10/13)

          屍体が埋まってゐる(23/10/03)

          「『桜の樹の下には、屍体が埋まってゐる!』 これは信じていいことなんだよ。」 どうしようもない陰鬱が、自室を満たしている。原因のわからない倦怠と、解決しようのないヒステリが、まるで迷宮のような日常を延々と追いかけてくる。 惰眠の中に現れる夢は色々で、知らぬ街の知らぬ鉄道で終電を逃して見知らぬ人を抱くときもあれば、バスジャックに居合わせて英雄譚のごとき振る舞いののちに撃ち殺されることもある。 それらはどれをとっても、驚くほど鮮明で、おそらくは、過去に誰かが経験したであろう現実

          屍体が埋まってゐる(23/10/03)

          ごうごうと風が吹いて目はふたつあって(23/09/21)

          ごうごうと風が吹いて、ざあざあと雨が降っている。僕は、目が一つならいいのにと思っている。 「目が口ほどにものを言う」なら、口はもういらないんじゃないかと、ある小説を読んでいて思った。僕らは二つある目で世界を見て、それから一つしかない口で物事を語ろうとする。だから、いつも足りない。いくら頑張っても、どんな素晴らしい言葉を尽くしても、見たもの全てを、感じたこと全てを語ることはできないし、どころか、そのほとんどはスッと背後に抜けていってしまう。 ほんとうは伝えたいことが山ほどある

          ごうごうと風が吹いて目はふたつあって(23/09/21)

          しおりを挟む(23/09/19)

          しおりに意味はない。意味のないものだけが、僕らの今を証明する。 空港に着いてベルトコンベアの前で、手荷物が流れてくるのを待つ時、ふと目の前の広告が目に入った。アウトドア用品の会社だろうか、どこかの山の草原みたいなところで、テントが張られている。テントの近くには男が座っていて、足元には焚き火が組まれている。広告には簡単なキャッチコピーと、社名が印字されていた。 ベルトコンベアが荷物を吐き出し始めた。周囲でそれを待つ人が少しだけ緊張するのを感じる。時刻は20時半を少し過ぎていた

          しおりを挟む(23/09/19)

          【いくつかの散文】

          5、6年ほど前に書いたいくつかの端書をまとめて残しておく。(追記、改題、削除なし) 『夕立に傘を持たない私は』(18/07/03) …ここ数日、イッキに気温が上がって、まだ環境に適応できないニンゲンの代わりにそこいらの室外機は、類を見ないイキオイで泣き喚いている。青空に生える入道雲はいよいよその存在感を増して。例えばもし、絵だけの国語辞典があったなら、もくもく、の欄にはきっとこの入道雲が使われるだろう。 これは雨の話だ。 …私の住むアパートの近くには茶色のネコがいて、

          【いくつかの散文】

          嫌いなやつら(23/09/08)

          愛することに覚悟が必要なら、憎しむことには体力がいる。誰かを嫌い、憎しみを持つという行為は、ほとんど肉体労働に近い。 手前味噌だが、僕はほとんど人を嫌うことはない。多少意見がそぐわなかったり、理解の及ばない人がいても、嫌いになることはない。嫌いになるだけの勇気と体力がないからだ。それに、できることなら好きな方がいいとも思っている。惰眠を貪る小市民にも、平和への祈りくらいあるのだ。 それでも、ときどき、本当に数年に一度くらいのペースでどうしたって「嫌いだ」と思ってしまうことがあ

          嫌いなやつら(23/09/08)

          2つのパズルゲーム(23/09/07)

          大雑把に言って、個人は世界の間隙を埋めるために存在し、また世界は個人の間隙を埋めるために存在している。 これは冷静に見れば当然のことだ。なぜなら、個人の集団のことを僕らは世界と呼んでいるし、また、集団とは個人の連関性を前提としているからだ。ある人間が消えれば、それはもはや既存の世界ではなくなるし、個人の内面は既存の世界によって構造化されている。 しかし問題は、その埋め方である。 例えば僕は、世界の何を埋めているのだろうか。本質的に、どのような形で他者に必要とされているのかと

          2つのパズルゲーム(23/09/07)

          へんざいする亡霊(23/08/31)

          これは恋愛の話だ。いや、憎悪の話だ。もしかすると絶望か、場合によっては希望についての話かもしれない。 「別れるときに花の名を一つは教えておきなさい、花は毎年必ず咲きます」と書いたのは川端康成だ。『掌の小説』の短い一編にしたためられたこの切れ味ある一節は、数多の引用がなされている。最近見た映画でふと思い出していた。 例えばもし、ある人が別れ際に花の名を教えるとき、それは愛情からだろうか。それとも憎しみによるのだろうか。いや実はもっと稚拙で、即妙な思いつきだろうか。いずれにせよ

          へんざいする亡霊(23/08/31)

          残夜(23/08/28)

          例えば腕を骨折して手首をうまく動かせないときのように、体が思うようにいかない。まるで物理的な身体が自分という存在とは別個のところにあるような、不思議な感覚だ。もしくは、ボタンが多すぎて制御の仕方がわからないコックピットに座らされて、ただ向かってくる現実という銃弾を浴び続けているようだとも思う。ともかく、これはもうどうしようもない。 僕が僕自身をうまく制御できていたころ、どうやってそれを成していたのか、もう思い出すことはできない。いや、もともと制御などできていなくて、むしろそれ

          残夜(23/08/28)