『ある転落死の真相について』(冒頭)

真っ白な物体が突然目の前に落ちてきた。それが生身の人間であることを認識するまでに、私は数秒を要した。それがさっきまで生身の人間であったが、今は単なる肉塊であることを認識するのには、さらに数分を要した。
そしてまた、それが…その事実が実際に起こったということについては、5年が経った今でも、うまく認識することができない。

夕方のニュース速報はこうだった。
『10代少年、商業施設から転落死 自殺か』
キャスターは短く原稿を読み上げた。休日の昼過ぎに、大量の人間が行き交う繁華街で、ある商業施設から少年が転落したこと。おそらく自殺であること。施設の窓がたまたま開いていて、それは警備員の不手際と見られること…。
しかしもちろん、あの瞬間、私の目の前に落ちてきた彼が、その身体と地面の間で大きな音を立てたことも、さっきまで彼だったものが周囲に飛び散ったことも、黄色い点字ブロックの溝に沿って流れている鮮血が、思うよりも鈍い赤であることも、キャスターは読み上げなかった。
だから、それが…その事実が実際に起こったということについて、私は今でも、うまく認識できないでいる。

彼は、加害者ということになった。驚くべきことに、私は被害者ということになった。私が被った害とは、果たして何だろうか。彼が加えた害とは、果たして何だろうか。そもそも、この事件に被害や加害などという概念が存在しうるのだろうか。

私はあの日から一度も泣いていない。怖かったし悲しかったし、到底言葉になどできない感情が溢れていたけれど、それは決して、涙という形では表出しなかった。ただ、ずっと心の奥底の方に、"疑問"という形で残り続けていた。そう、恐怖でもなく悲壮でもなく、疑問。私の感情に対する疑問、そして、彼の感情に対する疑問。

私は半ば強制的にカウンセリングに通うことになった。高校が終わると母は校門まで迎えにきていた。そういう日々が半年くらい続いたのではないかと思う。その半年間、カウンセラーはずっと飽きもせず通り一辺倒の質問をして、私はやはり、飽きもせず通り一辺倒の回答をした。そこに意味があるのかどうかわからなかったし、おそらく、カウンセラーの方も私の現状をイマイチ把握しかねていたのではないかと思う。私は泣きも喚きもしないのだから。どころか、恐ろしいほどに平然としていたのだから。
半年経った頃、カウンセラーはもういいでしょうと言った。私が快復を見せたと判断したのか、もしくはそもそも快復するような痛手がなかったと判断したのかわからないが、ともかく、私はカウンセリングからも母の出迎えからも解放された。そしてそれから少しずつ、元の生活へと戻っていった。言うまでもないが、誰もその事件については口にしない。教師も両親も、もちろん私も。

けれど今、私の中にはやっぱり疑問が残っている。様々な感情が私を去来したあとも尚、疑問だけは変わらずそこにあった。彼はなぜ飛び降りたのか。そして私はなぜこれほどまでに平然としているのか。その疑問はまるで、人間の根底に流れる真相めいたものに通づるような気もしたし、また反対に、非人道的な、手のつけようのない無慈悲な結論への一本道のようにも思われたが、ともかく、私の心には今、疑問がある。悲しみでも憂いでもない。ただ、疑問があるのだ。

ここまでをスマホのメモ帳に記して、私はある決心をした。数年の間、うまく認識できずにいたあの事実について、小さな決心をした。
今、私はその決心を持って、あるビルの前に立っている。 (続く)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?