MARUU

絵描きです。絵本描いたり、ときどき漫画描いたり。

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マガジン

  • うさぎのまんが

    うさぎの着ぐるみを着た作者、マルー(MARUU)が問わず語りに半生やしょうもないことを語るマンガです。『うさぎのまんが』(祥伝社)も発売中。

最近の記事

内なる王国

夢のはなし 家でもう一人の女と、暮らしていた。 もう一人の女は夫の長年のツレらしい。一見スマートな美しい人だが、自分が他人にどう見られているかばかりを気にして、いつでも品よくウフフと笑っているがその目は冷たく、誰とも深く関わらず、安全な所にいて人のアラばかり指摘するのが上手な、「本当に」頭が良いわけではない、上っ面がキレイで良いだけの、イヤな女だ。 用があって女の部屋の引き出しを開けたら、中はグチャグチャでゴミだらけだった。ああ、これはあの女の内面だ。愛してないんだあの女

    • ロッキンチェアーの夜

       それまで私が一緒にいた子たちとサラちゃんとは、何かが決定的に違っていた。  ただ美術が他より少し得意だっただけで、美大に入ったもののそんなにデザインに興味はなく、何をしたらよいかわからぬまま性欲と退屈と劣等感の狭間で身動きが取れなくなっていった、見た目ばかりが派手で綺麗だった女の子たちが、まわりにはたくさんいた。私は派手でも綺麗でもなかったので、その子たちの中にいて更なる劣等感に悩まされたものだが、同時に何もかもバカバカしいなとも思っていた。若さとはひたすらバカでめんどうく

      • ほんとうは知ってた

         くうちゃんと私は仲良くなってから数年しかたっていないが、ほんとうは多分もっと長いつきあいだ。初めて会ったとき、あ、この人を私は知っている!と胸のセンサーがブーブー鳴った。そういうことが人生で何度か、今までもあった。普段の私は小動物のように用心深く、人見知りが強い。だがこのときばかりは「ひさしぶりー!」とハグする勢いでくうちゃんに近づいてゆき、いきなり「私、インドに行きたいんです。今度一緒に行きませんか。」なんて誘っていて、すると案外とてもまっとうで慎重なくうちゃんに「私、あ

        • わたしが愛した猫

          真夜中、白猫をさがす 麻薬王のドラマを観つづける家族に猫はどこにいる?と聞くと 上にいる といわれ ふりむくと 白猫がタワーの上でくつろいで わたしを見ている まるで地球外にいるような遠さ 「あなたは 宇宙飛行士みたいだね」 白猫のつめたい頬を 両手でやさしくなでると にゃーと鳴いて 彼は地球に降り立ち わたしをじっ、と 見つめ スタスタと歩きはじめる それは白猫の 散歩にでるぞ の合図 わたしは彼の跡を追いながら 彼の背中をなでる 白猫はうれしそうにゴロゴロとのどを鳴らし 

        内なる王国

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        • うさぎのまんが
          1本

        記事

          夕方のこわさ

          私の住む町は夕方になると人間より植物の力のほうが強くなる。 夜の散歩は本当に本当に恐い。 人間が住みやすいよう手が入った里山地帯だが、植物はいつだってスキあらば蔓を延ばし根を張り巡らせ葉っぱをもりもり繁らせ、無言で逆襲を仕掛けている。 夕方の植物は昼間には出さない独特の存在感を出してくる。 生臭いいやらしい匂いもしてくる。 命の野蛮な鼓動が聴こえてくるようで、私はいつも少しおののきながら、そばを歩く。 あなたがた自然のこの地球上での存続の長さといったら人間なんて遠く及び

          夕方のこわさ

          食のこと

          もう二週間、アルコールもカフェインも菓子も摂取していない。 雷が落ちてきたかのようだった。 ある日思ったのだ。 いかん。血流が悪すぎる。虚弱すぎる。このままでは、無理だわ。なんか、きっといろいろ。 その足で鍼灸診療所へゆき「うわあ不健康ですね!」と思ってた通りのことを言われる。 「冷えてますねえ!これじゃ頭痛も酷いでしょう」 そうなんですよ。 物心ついてから私は偏頭痛と肩凝りが酷い。小学生の頃は体育の先生に肩を触られてビックリされたことがある。あなた、子どもなのに凝り過ぎよ

          食のこと

          夏の夜

          夜を歩く。 人気のない住宅地で一人、ぼんやりとつっ立っている品のいいお婆さんを見かける。 こんにちは。と声をかけたら、満月ね。と返された。 いや今夜は満月ではない、と思ったのでムゴムゴと返すともなく返す。少し欠けた蜂蜜色の月が綺麗だった。 私が住む何にもない東京郊外なんかで、一人夜にぼんやりと立つご老人を見かけると、つい徘徊か?と心配してしまうけど、先ほどのお婆さんはどうだったのだろう。 暑い夜はみんな用もなく道端に出てぼんやりする、そんな一昔

          夏の夜

          身につける身体、あげる身体

          ジュエリーが好きだ。 好き放題に購入出来ないし、よく無くしてそれはそれはへこむが、魂から好きだ。 近所に、見た目は小さなおじさんなのだが 知れば知るほどに、妖精としか思えないほどぶっ飛んでいて可憐な中身をもつ、 野口整体をやってらっしゃる方がいる。 その方の、智恵にあふれた訥々としたブログの大ファンなのだが、 そこで語られていたことに、 人は服や装身具を褒められると 体が物理的に、プルルルル!と高速で震える、というのがあった。 女性ならば、子宮のあたりが震えるんだそうだ。

          身につける身体、あげる身体

          言葉のちから

           幡野広志さんの『なんで僕に聞くんだろう。』を読んだ。  幡野さんの存在は、SNSで流れてきた人々のお悩み相談への解答をチラッと読んで知った。昨日のことだ。  切れ味鋭すぎる、滅法当たって痛いほどの凄腕占い師みたいだ!何者なんだ!  さっそくポチって氏の件の本を読んだ。読んでなお思う。この人は一体何者なんだろう。なんでこんなに人類に怒ってて、やさしいんだ?猟師だったことが大きいのかな。命のことに、命がけで関わってきた人の凄みかな。  寝るのも惜しくて、一気に読んだ。読ん

          言葉のちから

          自分のものと、そうじゃないもの

           坂本龍一の CODA は、荒れ果てた廃墟で、彼が汚れたピアノを愛おしむように触り、弾くシーンから始まる。  何の前情報も無いまま、今ならしばらく坂本龍一の映画がYoutubeで無料公開されてるらしいからと夫がそれを観始めたので、ヒョイと便乗しただけだった。 目に入った廃墟と汚れたピアノと坂本龍一という華やかな人とのコントラストで瞬時にわかった。そこが東日本大震災で津波に呑まれた跡地で、壁にある泥で描かれた線はそこまで波がきたことの証拠で、彼は慰霊のため演奏をしに来たんだ。

          自分のものと、そうじゃないもの

          ここはライ麦畑ではない

           昨夜、ポップコーンを無心にむさぼり食べる夫を見ていて、無性に腹が立った。なぜこんなにもムカムカと腹が立つのかとじいっと考えつづけたら、やがて記憶の底に、不機嫌にポテトチップスをむさぼり食べ続ける兄の姿を見つけた。私の中で、ジャンクフードをむさぼり食べ続ける人=不機嫌で孤独、DVの予感、という図式があるようなのである。  夫には正直にその旨を伝え、彼の食欲を減退させた。とばっちり、すまない。  兄は大変頭が良い人だったが、人のきもちがわからない人だった。だった、と書いたのは

          ここはライ麦畑ではない

          うさぎのまんが 2020 「変わらない日々」

          あとがきのようなもの このような大変プライベートな話におつきあいくださり、ありがとうございます。正直、夫(フライパン)以外のほとんど誰にも相談せず、衝動のままにバリバリと突き進み、静かに玉砕した、大変ハードボイルドな道でした。  そもそも、子どもが欲しかったのか。欲しかったのでした。もちろん「女に生まれたなら子を産め」なんて思っているわけじゃありません。絶対的に、子を産むも産まないも個人の自由です。あくまでこのたびは私という女が子をもってみたかった、というだけの話で

          うさぎのまんが 2020 「変わらない日々」