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言葉のちから

 幡野広志さんの『なんで僕に聞くんだろう。』を読んだ。

 幡野さんの存在は、SNSで流れてきた人々のお悩み相談への解答をチラッと読んで知った。昨日のことだ。
 切れ味鋭すぎる、滅法当たって痛いほどの凄腕占い師みたいだ!何者なんだ!

 さっそくポチって氏の件の本を読んだ。読んでなお思う。この人は一体何者なんだろう。なんでこんなに人類に怒ってて、やさしいんだ?猟師だったことが大きいのかな。命のことに、命がけで関わってきた人の凄みかな。

 寝るのも惜しくて、一気に読んだ。読んだあとは眠れなくなった。手塚治虫の『火の鳥・鳳凰編』の我王を、なぜか思い出した。よく八王子のスタバでMacBookを開いて文章打ってる、と書かれていたが、飲んでるフラペチーノに血がべったりとついているのが見える。
自分自身も相当の血を流してきた人の言葉と思う。

 その本の中に、人はこどもの頃に親にされたのと同じことを、成長してから親にし返す、という内容の文章があり、ああ、激しくそうかもなあ…と、考え込んでしまう時があった。

 自分で言うのもなんだが、私は素直で、愛情深い。育ててくれた家族を深く愛している。だけど、18歳で家を離れてからは実家にはあまり帰らない。電話もしない。会いたいともそんなに思わない。会えばお互い朗らかだが、話すことは特にないし居心地が良くないのでごはんを食べたらサッサと今自分が住む家に帰ってきてしまう。
 薄情なんだろうか。あるいは、もしやまだこどもの頃のことを私は根に持っていて、家にあまり顔を出さないことで彼らに心理的な報復をしているのだろうか。
 たとえば、なかなか一人の人格のある人間として接してくれなかったこと。自覚はないだろうが学校に丸投げして、親としての教育を放棄したこと(高度成長期なんてみんな忙しくてそんなもんだったよ、それにそれで働いて得たお金で君は育ったわけだから文句言わないで、と言われれば何も言い返せない)。こどもだった私を守るためと思うが、家族の病気や死を私から遠ざけさせて、戦力外として一切関与させなかったこと。
 しかし放置といえば聞こえは悪いが、それによって感謝していることの方が実は大きい。理解も歩み寄りもコミュニケーションらしいコミュニケーションも一切なかったけれど、私がやりたいことを親も姉兄も邪魔しなかった。美大受験も留学も絵描きになることも、まあ、やりたいならやってみれば?と決して否定しなかった。私にとっていっそもっと何万倍もキツかっただろうと思うのは、過干渉の家族だ。非常に素っ気ないくらいの突き放したつきあい方は、今思えばじっくりと孤独とむきあうことが出来てありがたかった。孤独は私に本や映画や絵を教えてくれたし、どこかへ行きたいなら情報をなんでもかんでもかき集め、助言をくれる人とただ自慢話がしたいだけの人を見分けながら、ガムシャラに進みゆくガッツを、若いうちに身につけることが出来た。なにかあったとしても最低限いつでも多少の金と米だけは面倒みてくれる人がいるという安心感は、なにものにも替えがたかった。
 それなのにそれでも恨んでいるのだろうか?

 なんてことをポツポツと話し始めたら、夫がニコニコしながら返してきた。

「友だちだって、会いたいから会うわけじゃん。気の合わない人にはわざわざしょっちゅう会いに行かないでしょう。家族もそれと一緒じゃないの。たとえ大事に思ってても、一緒にいて楽しくないなら会いにいかないよ。ふつうのことじゃない?」

 その言葉を聞いたら、持っていると思い込んでいた「怨み」とおどろおどろしく書かれた荷物が無くなって、体が軽くなった。
 ああ、素の夫は、とても気が良い。考え方が明るい。なによりふつう〜のこととして話す、その適当な姿に救われた。
 実家に行きたくないなら行かなくていいんだ。べつにそれは私が彼らを恨んでいるからでなく、単に家族として密に過ごす時期が終わったからで、友人としては気が合わないからだ。いい意味でとてもふつうだな。でも愛しているのだ。それでいい。

 まとまりのない文章だが、嬉しかったので。私は幡野さんに聞くまでもなく、夫に聞いて答えが返ってきた。遠い素晴らしい人の言葉は強いが、身近な人の言葉は最強だ。

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