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内なる王国

夢のはなし

家でもう一人の女と、暮らしていた。
もう一人の女は夫の長年のツレらしい。一見スマートな美しい人だが、自分が他人にどう見られているかばかりを気にして、いつでも品よくウフフと笑っているがその目は冷たく、誰とも深く関わらず、安全な所にいて人のアラばかり指摘するのが上手な、「本当に」頭が良いわけではない、上っ面がキレイで良いだけの、イヤな女だ。

用があって女の部屋の引き出しを開けたら、中はグチャグチャでゴミだらけだった。ああ、これはあの女の内面だ。愛してないんだあの女は自分のことを。私はゾッとしながら静かに思う。


その夢の中で私は現実世界と同じように夫と結婚して普通に暮らしていて、だがある日皆で外へ出かけるためバタバタと用意している時にフッと気づいてしまう。「あれ?あの女…あの人は夫のツレかもしれないが、彼と結婚はしていない。正式に先日結婚したのは私の方なのに、あの女の方が彼とは古いつきあいだからと、大きな顔をしている。私はあの女が嫌いだし、これって凄く不健全な状況なんじゃないか…?」


夢から覚めて、思った。あのイヤな女。

あれはたぶん、私が現実で使っている仮面の一つだ。私自身を表に出さないために、おそらくは思春期の頃に作り出した。
選択肢は二つ。あの女の存在を認めて統合するか、イヤだなあと思いながらも主導権をゆずり、今までどおり暮らしつづけるか。
答えはもう出ている。

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非現実の王国で

二十歳の頃、ヘンリー・ダーガーの絵に出会ったことは人生を大きく動かしてしまうほどにショックなことだった。うん、わたし絵を描くわ、という気持ちが芽生えてしまったのは、他でもないダーガーに出会ってしまったからだが、理由はよくわかっていなかった。

それが二十何年も経て、なぜか突然今頃わかった。河合隼雄先生の『子どもの宇宙』を読んでいたからというのもあるが。

あの少女たちの生死をかけた闘いは、私の内側の世界でも起こっていたことだったからだ。
私の内に住んでいたたくさんの少女たち。彼女たちの肉も理不尽に切り刻まれ、目の玉は飛び出て、内臓は引きずり出され散り散りになった。何体も何体も、埋葬したものだ。みんなそんなような内的経験があるから、あの恐ろしい絵があれほど切実に訴えかけてくるんじゃないか。目をそらしたいほど見ていて痛いけれど、深く深く癒される。それが絵の力だ。


そんなことはとっくのとうに皆さん気づいていたかもしれない。私は、意識的に気づいたのは今が初めてだ。なんということ!


絵を依頼していただくと、私が描くような薄暗い絵で本当にいいのかな?せっかく手元に持つならもっと気が良くて気持ちが明るくなるような絵がいいんじゃないの?と実は思っていたが、私に依頼する時点で、その方にはおそらくなにか傷があるんだね…と、先ほどヘンリー・ダーガーのことを書いたらそこにも気づいた。
明るい気の良い絵もこの世には絶対的に必要だが、それだけでは癒せないものがある人が私に依頼するのだろう。隙間産業。
ようやく納得した。

わたしを食べて


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