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ここはライ麦畑ではない

 昨夜、ポップコーンを無心にむさぼり食べる夫を見ていて、無性に腹が立った。なぜこんなにもムカムカと腹が立つのかとじいっと考えつづけたら、やがて記憶の底に、不機嫌にポテトチップスをむさぼり食べ続ける兄の姿を見つけた。私の中で、ジャンクフードをむさぼり食べ続ける人=不機嫌で孤独、DVの予感、という図式があるようなのである。
 夫には正直にその旨を伝え、彼の食欲を減退させた。とばっちり、すまない。

 兄は大変頭が良い人だったが、人のきもちがわからない人だった。だった、と書いたのは彼が今また失踪しているからだ。
 話を戻す。私だって、人のきもちはわからない。だが問題は、彼は彼なりに「人のきもちはある範囲内で、ある条件が揃えば、ある程度までは予測できる」とどこかで思っている節があって、それがどうも根本的に違ったようだと感づくと、物凄く恐怖して、萎縮して逃げることだった。
 世の人は、彼が考えるほどには単純でも複雑でもない。それは難しい方程式をスルスル解くような理数系の彼の頭をもってしても、わからない類のことなのだと思う。
 たぶん最も大きな問題は、人のことがわからなかったとしても、それは恐怖して萎縮するほどのことではない、ということを彼が理解できないことだった。距離をとって、わからないなりに経過を見守る、やってくれたことだけで判断する。それが出来れば、だいぶ世界を信頼できるようになるのだが。

 私たちには統合失調症を長年患う母がいる。しかし末っ子の私が十歳になるくらいまでは、なんとか病を隠し騙し騙して、主婦として生活を支えてくれていた。
 今みたいに良い薬もまだなかった時代だ。思い出の中の母は、いつでも忙しく苦しそうである。家事や祖母の介護でやることは満載、常に心はここにあらずで、合間合間に失神するように卓やソファーにつっぷして眠っていた。とにかくいつでもフラッフラの人だった。
 あの当時の母に叫びたい。わーん!お母さんどうか休んでください!!ありがとうムリさせてごめんなさい!!!
 だがあの当時、母が「病的」のラインを越えて既に重篤な病気であることを家族の誰もまだちゃんとは理解できていなかったし、子どもだった私なんて全く気づいていなかった。単に、ひとよりちょっと内気で常に心ここにあらずな人だと思っていただけだ。
 私が物心ついてから母が作る料理は、素材を茹でて醤油をかけて食べる。あるいは素材を焼いて塩をふって食べる。それに異様にしょっぱい具の少ない味噌汁をつける、とおそろしく味気ないものだった。特に私は不満だったわけではないが、兄と姉には不評だった。私が産まれるまで、まだ元気だった頃の母の美味しい凝った手料理を、彼らは存分に味わっていたからだ。母は食べることが大好きで、料理も大好きな人だったらしい。
 それが私が十歳になった頃、兄が癌で突如入院することになり(手術は成功して後に寛解した)、そこから母は本格的に料理をしなくなった。もう体力気力が尽きてしまったのだろう。
 スーパーの惣菜か菓子パン、あるいは出前の中華がそれからの私の夕飯の定番となっていった。最初のうちは毎晩ごちそうだ!と大興奮したが、瞬く間に外食の味に飽きた。私は濃く味付けされた野菜も肉もあまり食べなくなり、もらった小遣いで、外で山ほど菓子を買うようになった。そしてそれらを自分の部屋に持ち帰るや、好きなだけモリモリ食べた。腹がはちきれるまで食べた。私は思春期の女になっていた。学校にはあまり通えなかった。通いたかったが行くと苦しくて無理だった。なぜ行けないのかもよくわからなかった。先生には殴られたし友だちには見放された。その間、私は泣かなかったし叫ばなかったし誰も殴らなかったし自分の体をナイフで切ることもしなかった。その代わりに、本を読みながらひたすら菓子を食べた。誰かを殺すことを夢想するように夢中で食べた。吐くことは出来なかったから、どんどん太った。そしてある程度まで太ると、今度はまったく食べなくなった。ガリガリにまでなると、また外へ出て、菓子を大量に買い込んで、部屋で一人でまた本を読みながらモリモリ食べた。どんどんまた私は太った。大島弓子先生の『ダイエット』みたいな話である。あんなに私は凄くも美人でもなかったけれど。あれを読んだ時はおいおい泣いた。さて、そうして出た大量の菓子のゴミはリュックにつめて、コンビニのゴミ箱に捨てにいった。母だけは見ていた。私が学校にも行かず、菓子ばかり食べまくっている姿を。だが彼女は既に重い病に囚われていて、恐ろしい幻覚や幻聴によって殺されたり虐められたりしている世界こそがリアルだったので、目の前の太ったり痩せたりしていた生身の私の姿は、遠く淡い幻みたいに見てたんじゃないかと思う。

 その異常な食生活は、二十代まで続いた。十八歳で大学進学のため一人暮らしを始めたので、そこから徐々に、自分自身に責任をもつことを覚えていった。責任をもつというのは、自分自身をケアするということだった。それは今も続いていて、うっかりダウナーなモードに入ると、戻ってしまうのだ菓子をドカ食いしていた頃の自分に。それでも歳ゆえにそんなには食べられなくなった。代わりに喫煙したりもしたが、あるとき肺炎になって以来吸えなくなった。アルコールもそんなに量は飲めない。クスリは、家族が皆ほぼほぼ向精神薬の薬漬けだったのを見て育ったので、潔癖といっていいほど一切近づかなかった。あんなケミカルな奴らに一生を骨抜きにされてたまるかと、今でも薬に関しては大変慎重な姿勢をとっている。

 話がそれた。そんなわけで、食に関して大変複雑な想いをもって育ってきた私に、十年近く失踪していた兄がヒョコッとある日現れて、こう言ったのだった。
「君は食に関してトラウマがあるだろ?そのトラウマを解消すべく、キャンプに母さんを連れ出して、そこで君の手料理を母さんに食べてもらったらいいと思うんだ。そうしたら君のトラウマは無くなるだろう」と。
 その発想の仕方は面白いとは思う。だが、それは大変私のかんにさわった。
 第一に、現状を把握できていなさ過ぎる。いったい何十年、母は実家に自主的にロックダウンしてる状態だと思っているんだ、そんな人が自然あふれるキャンプ場にいきなり来るわけがないし、連れ出すにしろ極力家でじっとしてたいと思っている体の弱った老人をむりやり外に連れ出すようなものだ。
 第二に、私が母に料理をつくって食べさせてあげたとして、それによって私自身が治癒するとは思わない。ある意味でその方程式はイイ線いってるような気もする、だが決定的に違う。人生はそんな『美味しんぼ』みたいに、頭で考えた物語のようには運ばない。そこには決定的に私や母、という血肉のかよった存在への想像力やリスペクトや配慮がない。なんで私自身が行きたくもないキャンプ場へ、何十年も外に出ていない母を連れていって、母が食べたくもないだろう(彼女はかなり偏食だ)私の手料理を食べさせねばならない?全てが不自然過ぎる。
ていうかなんでキャンプ?おかしいだろ!

 普段、私はこんなに過激なことは思わない性質だが、おそらくよくも皆病気の家族を捨ててどこかへ行ったな、それでいて今更、人のトラウマへのアドバイスなどよくぞくれたものだねという兄への怨みつらみが一気にここで吹き出したのだと思う。逃げずにはいられないほど、彼も更に重くひどい病気だったのは知っているのだけど。
 とにかく不快だった。心底から大きなお世話だと思った。久しぶりに会う兄は、甘く優しいだけではなく、奇妙にグロテスクでトンチンカンだった。だんだんと私は彼に会うことが鬱陶しくなっていった。

 かくして、兄は二度目の失踪をする。
私が何かやらかしたというより、私の感情に、あるとき彼が気づいてしまったのだ。
 さぞや恐ろしかっただろう。「いいですね、では次は是非、鰻を食べに行きましょう」と感じの良いメールをくれる妹が内心「めんどうくさい。失踪していたとはいえ、なぜ兄妹でこんなに今更一生懸命会ってメシ食わなきゃいけないんだ。私のトラウマを無くすとか実家にいる大嫌いな姉に会いたくないとかブツブツ言ってないで、もう多分一生外に出てこない母に会いに実家に行って来いや」と怒りまくっていたなんて。言えばよかったな。しかし、なぜ今こんなこと書いているんだろう。なにかの毒だしなのだろう。

 表面的なつきあい、というものが出来ない人だった。それが兄だった。上面だけのそういう現場を目の当たりにすると(そんなのはしょっちゅうだっただろう) 理解できずに恐怖して逃げた。だから、兄は若い人や子どもは大好きだった。かれらはまだあまり嘘がないので、一緒にいて楽だったのだと思う。
 きっと彼が妹である私を好きだったのも、私がいろんな意味で子どもであり続けたからだろう。
 ホールデン・コールフィールドみたいに、トンチンカンに私を助けようとしていたのかもしれない。崖っぷちにいて危険なのは、兄の方なのに。

 料理は誰かに言われてやるものではない。いつもの場所で、ゆるい親密さの中でするものだ。日々の生活に根差したものだから、料理には力があるんだ。特別なことなんてなんにもしなくていい。だからこそ一番効く、魔法なんだよ。
 それに私はもう、自分や夫や友だちがつくるごはんによって、とっくのとうに癒されているんだ。癒されていないのは、本当のところ誰なんだろうね。 

 私がこんなにも怒り続けているのは、私が彼を深く傷つけたことを、知っているからだ。あんな大したことないことで、傷つかないでくれよ。本当に本当にめんどくさいなと思う。でも同時に好きなだけ、めんどうくさいままでいてくれとも思う。
 ルールをやぶったのは私だ。兄が守るべき純真な子どもの役を、いつのまにか私が降りていたのだから。

 機嫌よくただ食って飲んでが出来る間柄になれたら、よかったんだけど。

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