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ヘヴィ・メタルはネパールを救う: Metal For Nepal の奮闘

50秒。2015年にネパールで起きた地震はわずか50秒で壊滅的な被害を引き起こしました。その運命的な50秒は、首都カトマンズとその周辺で9000人の死者と2万人以上の負傷者を出し、60万もの建造物を破壊することにつながったのです。エベレスト山では雪崩まで発生し、復興費用は90億ドルとも言われています。この規模の地震は世界中どの場所で発生しても壊滅的ですが、ネパールは世界でも最も貧しい国の一つ。ゆえに、被害と状況はさらに悪化していきました。国連は、この地震のために280万人のネパール人が家を失ったと報告しています。(いかにメタル・コミュニティーがネパールの力になったのか。Kerrang!誌の翻訳記事)


UNDERSIDE は、カトマンズ出身のメタル・バンド。2000年代から2010年代初頭にかけて、彼らは UGRA KARMA, X-MANTRA といった一握りのメタル・バンドとともに、この街のメタル・シーンを育て、成長させようと懸命に努力していました。
UNDERSIDE のマネージャー兼プロモーターであるフラワーKC は地震の恐ろしさを回想します。「かなり激しかったよ…シーンは小さかったけど、とてもハードコアだった。ライブを開催する会場が1つか2つしかなく、毎週同じ200人のキッズに会っていた。ネパールのシーンは生々しく、献身的で、とてもつながりが強かったんだ」
60年代のサイケデリック・ロックに遡るこの街の音楽的遺産を継承したいと考えたフラワーと UNDERSIDE のメンバーは、2011年にカトマンズでサイレンス・フェスティバルを始めていました。しかし、2015年に地震が発生したとき、フラワーとバンドの優先順位はすぐに変わります。彼らは、できる限りの方法で救援活動に協力したいと考え、世界のメタル・コミュニティに助けを求めたのです。
「スイスに、以前サイレンス・フェスに出演したことのある友人がいたんだ。彼らは メタル・フォー・ネパールという募金活動を始め、それが広がっていった。ブラジルとか、とんでもないところから連絡が来たんだ。その時初めて、メタルは本当にグローバルなコミュニティなんだと実感したんだ。文字通り、地元のライブの売り上げから50ドル送ってきて、僕らの活動に当ててくれたんだ」

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このような支援を受けて、フラワーはメタル・フォー・ネパールをチャリティ団体として登録し、地震で家を失った人々や被災した人々をさらに支援することにします。MFN は、スイスの非営利団体 No Silence For Nepal とチェコの慈善団体 People In Need と協力し、ネパール北部の最も被害の大きかった村に328軒の家を建て直したのです。
「メタル・コミュニティがどれほど強力なものであるか、私たちは認識していなかったんだ。村全体をメタルで再建したんだからね!メタルの援助はとても力強いものだったよ」
フラワーは、ネパールが混乱し荒廃していたこの時期、資金や援助を適切な場所に届けることを意識していたと言います。
「政府は、国内にお金を持ち込んではいけないと言い始めたんだ。首相官邸の救援基金に入れろという。私たちは政治家のことを知り尽くしているのだから、そんなことをするはずがない。ネコババされるに決まっている。私たちは、自分たちの政治家よりも、こうした組織を信頼しているんだ」
そうして2015年の終わりには、人道的ミッションを達成したことを誇りに思いながら、UNDERSIDE とフラワーは自分たちの生活に戻りました。
「私たちは、集めたお金を残らず寄付した。そうしてすべて終わらせ、自分たちの夢を追求するために戻ったのんだ。私たちは慈善事業者ではなく、メタル・バンドだから」

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その後、音楽制作、ツアー、サイレンス・フェスのさらなる構築など、バンドにとって多忙な数年間が続きました。2019年にはダウンロードにも出演し、あの大きなお祭りに出演した最初のネパール人バンドとなりました。
しかし2020年、パンデミックは彼らの母国にも到達してしまいます。
「インドとネパールの国境付近でネパール人のためのの孤児院を運営するカナダ人女性のビデオを見たんだ。彼女は泣き崩れていたよ。ネパールやインドでは、COVID の影響で国境が閉鎖され、多くの日雇い労働者が取り残されていたんだ。つまり、水も食料も何もない。その中には妊娠中の女性もいたくらいでね」
通常は自由な国境が、何十万人もの出稼ぎ労働者にとっては、残酷な鉄格子となりました。フラワーはすぐに UNDERSIDE のボーカル、Avishek に電話をかけ、ある計画を立てます。当初の計画は、友人全員に20ドルずつ寄付をお願いするだけでした。
「でも朝食を食べた後、"これでいいのか" と思ったんだ。確かに簡単な選択肢ではあったけど、もっともっとできることがあるはずだと思った。だからもう一度彼に電話して、"なあ、エネルギーと努力が必要だけど、私たちならできると思うんだ" と言ったんだ。2015年を覚えているか?もう一度メタル・フォー・ネパールを再燃させよう!" ってね」

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彼らは最前線で立ち往生している人々に食料や援助を与えている草の根組織と提携しました。今回、フラワーは国際的なタトゥー・コミュニティにも働きかけ、意識を広めることに成功。CANCER BATS や TESTAMENT といったビッグ・バンドのメンバーだけでなく、George 'Orge' Kalodimas や Dillon Forte といったタトゥー・アーティストも輪に加わり、デザインも担当しました。
国境が再び開かれ、状況が改善されると、彼らのミッションの焦点はネパールの街中に移り、パンデミックの影響を受けた多くの低所得者層に向けられるようになりました。
「国境問題が解決しても、パンデミックは解決しなかったんだ。リキシャの運転手や安い労働力のような日雇い労働者がたくさんいる。彼らは失った所得のため、一日中働き、夜通し働いてお金を稼がなければならなかったんだ。そこで、ストリート・チルドレンやリキシャの運転手、労働者、その他いろいろな人たちに食事を提供するようにしたんだよ。6カ月以上、ほぼ1日おきにね」
カトマンズで育ったフラワーは、自分を他の人と比べて快適な中流階級であると説明します。2018年の報告によると、国の25%が貧困ライン以下で生活し、500万人以上が栄養不足に陥っているネパール。パンデミックがこの国に与えた大きな影響を考えると、この数字は今やもっと高いかもしれません。このような背景から、MFN は都市部の低所得労働者の支援に加え、被害を受けた社会的弱者や先住民のコミュニティにも食糧や支援物資を送る活動を開始したのです。

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2020年の MFN プロジェクトでは、ネパールの遠隔地の山岳地帯に住む子どもたちに暖かい衣類を送ることに焦点を当てました。ネパールの山間部では、気温がマイナス15度以下になることもあり、厳しい冬を過ごしています。パンデミック時には、多くの学生が遠隔授業に参加し、クラスメートや先生とオンラインでつながっていましたが、このヒマラヤ地域の子どもたちには、そのような高価な選択肢がありませんでした。
「学校にはパソコンもないのに、遠隔学習なんてできるわけがない。子どもたちに "2年間何してた?" と聞いたら、"何もしてない" と言う。それは国にとっても、彼ら自身の成長にとっても大きな損失だ」
METALLICA のアルバム "...And Justice For All" にちなんで名付けられたこのプロジェクトは、学校、教師、そして生徒たちにラップトップを届けるという目標に突き動かされているのです。
生まれながらのくじ引き、ガチャによって、地球上の大多数の人々は非情な苦難と極度の貧困の中に生きています。そんな世界にあってインターネットは、国際的な危機、不平等、腐敗に対する意識を高めるための素晴らしいツールです。私たちはネットによって、人類の歴史上かつてない方法でつながっているのです。もちろん、メタルのコミュニティも。
フラワーは、これまでの彼らの活動に誇りを持ち、常に献身的で意欲的、そして未来を見据えています。そして彼は、メタル・フォー・ネパールでの活動は、メタルの真の精神に沿ったものだと感じています。
「メタルという文化全体におけるカウンター・カルチャーや反骨精神は、世界の多くの場所で廃れていないんだ。ネパールでは、金髪でスパイキーな髪をしてタトゥーを入れているというだけで逮捕されるような時代もあった。でもこのプロジェクトのおかげで、多くのことが変わったんだよ。"Metal For Nepal" では、子供たちの教育に力を入れながら、ネパールでメタルを愛する私のような人間にまつわるタブーやスティグマ、ステレオタイプに挑戦し続けたいと思っているんだ」

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