Q&A:許可食の安心感
今回は頂いた質問に答えるnoteです。考え方の選択肢の一つとして参考に読んで下さればと思います。
マイルール
摂食障害の症状の一つは「食事へのこだわり」がマイルールとなって、自分の生活や食事の優劣の基準を「美意識・容姿」に振ってしまう事です。他にも、時間やカロリーや運動量のこだわりもあります。
こういったマイルールは自分にとっての「安心感」でもあります。決めた範囲で生活を送り、良くも悪くも変化のない生活が心にとっての安心感になっていると考えられます。
個人的にマイルールは、誰でも一つや二つあると思います。ですが、精神疾患と健康者の違いとして「マイルールを破った時」に違いがあると私は思います。
マイルールの目的が単なる美意識なら、少しサボったりする事も忘れる事もできるけれど。摂食障害さんの美意識は「強迫的概念」に近く、これやあれが「出来なかったら死ぬ」くらいにまで、切り詰まった思考であったりします。
目的の違いと、目的の重要度の違いです。この違いの原因は「心の問題」にあるのです。
普通の人が食事に対して「好き嫌い」しているのと、摂食障害さんの「好き嫌い」は違うと考えています。
なので、質問のアンサーとして「普通の人にこの考えはない」とお伝えさせて下さい。
許可食
許可食というのは自分の決めた「許せる食事」のことで、これもマイルールの一つです。つまり、摂食障害の症状の一つでもあります。
質問の文中に「ダイエットしていない人は食べたいものを食べられる」と書いてあります。が、質問者様は回復期のはずです。自由に食べる事を練習している時間ではないでしょうか?
また「体型に満足しているので、これ以上変わりたくない」というのも体型に対するこだわりがあって、変化を拒んでいると見受けます。これもマイルールの一つだと思います。
マイルールから分かるように「太るのは嫌だ」という気持ちが見受けられて行動の軸になっています。
摂食障害は心の病気です。体や体重が元気であるかどうか?よりも心の問題を解決する事が回復にとって大事な事なんです。(体重回復もとても大切です)
回復期で、体重を増やしてもルールに縛られる。これらを手放す、心の回復は「これから」なのだと思います。
先程も触れましたが、健康者の「偏食というこだわり」があっても健康を損ねなかったり、万が一の時はこだわりより大事な物を優先できる心があるのです。
摂食障害さんの「偏食」は健康を失っても手放せず、優先順位の1番上にあって軸になっています。生活・健康・心の安心感もここに合わせてしまっているのです。
そのくらい大事になっている「体型のこだわり」とそこから派生した「食事のこだわり」は心の問題からやってきています。
長々と書いてしまったのですが、ここまで読んでみて質問者様は頷いて頂けますでしょうか?
心で納得できなくても、頭のどこかで許可食を食べ続けてしまう理由を知って頂けたら「じゃあ、どうする?」と選択肢を用意してあげられると私は思っています。
太りたくないというこだわりは、最初にどんな目的や理由がありましたか?そこに手放すヒントがあるはずです。
摂食障害の渦中では、目的や理由も当たり前になっていて無意識で生活の一部分になっていたから「向き合う」事もあまりなかったと思います。
回復期では、改めて向き合ってみるステップを踏むことで、自分の心の苦しみが理解できるはずです。
許可食のルール自体にあれこれ考えなくても、根本にある理由を探って解決していく事で自然と許可食の自由が広がっていきます。ぜひ、考えてみる時間を設けてみて下さい。
最後に
マイルールの重みの違いや絶対感の違いが、精神疾患のラインであると思います。
そうさせる程に心に苦しみがあるのです。食に苦しめられているのではなく心の苦しみが食事に反映されているんです。
回復したい気持ちを汲み取って、向き合おうとした今なのでここで改めて自分の心の問題を探ってみて下さい。参考になればと思います。
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