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土から生まれて土に還る

いつかどこかで聞いたフレーズ、土に還るのはなんとなくわかる気がしていた。いまは火葬が普通だけど祖母が亡くなった昭和40年はまだ土葬だったと聞いている。だから人は土に還るのは私の中ではしっくり来ていた。「主人は冷たい土の中に」という曲もある。

ところが土から生まれる、というのがなかなかわからなかった。ピンとこなかった。父と母から生まれた命という以上に考えられなかったから。

でもふと父や母の体は大地で育ったお米やお野菜や草を食んだ牛や海を泳いでいた魚を食べて作られていることに思い至った。人の体は食べるものでできている、そしてその中身は数か月で細胞がすっかり入れ替わると福岡伸一先生の本で読んだことがある。なるほど、やっぱり私の体は土から生まれたのか。私の勝手な解釈なので違うかもしれないけど。

「くまの子うーふ」のお話みたい。

土から生まれて土に還る、このシンプルさがとっても気持ちいい。人間は自然の一部なのに傲慢過ぎない?自然をもっと畏れた方がいい。地震も温暖化も山火事も豪雨も全部征服できると考えない方がいいように思う。

ほかの生物と共存してこの地球に生かしてもらっているのに、人工的なもので埋め尽くそうとしている。都会では土を一日中見ないのが当たり前の生活。合唱で歌った『大地讃頌』が思い出される。

お金も法律も概念もAIも仕事も勉強もロボットも国家も言語も宗教も学歴も全部人間が作ったもので偉大でもあるけれどそれは有限で、時々そんなものを全部捨て去って生まれたままの無垢な存在になりたいと思う。

この文明社会の便利さや豊かさを享受しながらそんなことを願う私はわがままなんだろうな。でも大地や空や海や宇宙と一体になる感覚に憧れる。老いていつかこの体から、この社会から離れる時ほっとするかも。

細かいことに拘らずにもっとシンプルに、サステナブルに。そんなことを取り止めもなく考えてみた。サステナブルってゴミ処理など環境問題でよく使われる言葉だけど人口減少を考えた時、人間そのものがもう持続できなくなってきてない?頭でっかちになりすぎると足元掬われそう。もっと心と体で感じたことに素直に、自然に生きられたらいいのに。

思いついたまま書きました。最後まで読んでくださりありがとうございました。

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