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ひとつ前の『風の時代』 「花の色は うつりにけりな いたづらに」 〜風の時代を会計から読み解いてみよう⑦〜


風の時代と土の時代

今回も引き続き、ひとつ前の「風の時代」に起きた出来事から、
これからの「風の時代」について考えていきたいと思います。


ひとつ前の風の時代

ひとつ前(前回)の「風の時代」は1185年頃~1425年頃だそうです。
日本では、ちょうど鎌倉幕府が始まった頃ですね。

なぜ、これから先の「風の時代」をずっと昔の歴史から確認していくのか。
理由はこちらです。

歴史は人間にとって無限のコンテンツの宝庫であって面白い。

出典:「御成敗式目」佐藤雄基著(中公新書)より

なお、歴史的には、必ずしも正確ではない文章になっているかもしれません。
正確な歴史については、教科書や本などでご確認くださいね。

鎌倉時代 小倉百人一首


花の色は うつりにけりな いたづらに
わが身世にふる ながめせしまに



小倉百人一首の9番 小野小町の句です。

小倉百人一首は、藤原定家が編纂したと伝えられています。
藤原定家は、平安時代から鎌倉時代にかけて歌壇の指導者として活躍したそうです。

小倉百人一首
藤原定家が京都小倉山の山荘で選んだといわれる百首の歌。天智天皇から順徳院まで百人の和歌1首ずつを集めたもので、近世以後、歌ガルタとして広まった。
百人一首。百人首 (ひゃくにんしゅ) 。

藤原定家
[1162〜1241]鎌倉初期の歌人。名は「さだいえ」とも。俊成の子。
父のあとを継いで有心 (うしん) 体の象徴的歌風を確立し、歌壇の指導者として活躍。「新古今和歌集」の撰者の一人。
のち「新勅撰和歌集」を撰し、「源氏物語」などの古典の校訂・研究者としてもすぐれた業績を残した。
家集「拾遺愚草」、歌論書「近代秀歌」「毎月抄」「詠歌大概」、日記「明月記」など。

出典:デジタル大辞泉(小学館)より


小野小町について

作者の小野小町は、平安時代に宮中の後宮で仕えたとされます。
ただし、生誕場所や没年など、不明なところが多いようです。

小野小町
平安前期の女流歌人。六歌仙・三十六歌仙の一人。仁明 (にんみょう) ・文徳 (もんとく) 両天皇の後宮に仕えた。
美貌 (びぼう) の歌人といわれ、多くの伝説があり、謡曲・歌舞伎の題材となっている。
家集に「小町集」がある。生没年未詳。

後宮
1 皇后や妃などが住む宮中奥向きの宮殿。平安京内裏では、天皇の住む仁寿殿 (じじゅうでん) の後方の承香 (しょうきょう) ・常寧・貞観 (じょうがん) ・麗景・宣耀 (せんよう) ・弘徽 (こき) ・登花の七殿と、昭陽・淑景 (しげい) ・飛香 (ひぎょう) ・凝華 (ぎょうか) ・襲芳 (しほう) の五舎の総称。奥御殿。

2 皇后以下、後宮に住む婦人の称。妃・夫人・嬪 (ひん) ・中宮・女御など。

デジタル大辞泉(小学館)より

小野小町は、歴史の史料に記録が少ない歌人です。

史料に生年や出自の記録がなく、生存時期は推測として伝えられています。
また、中流貴族階級にあって宮廷に仕えていたとされています。

あまり高い身分ではなかったのでしょうか。

小倉百人一首

小倉百人一首は、鎌倉時代に、藤原定家によって選定されたと習いました。
定家の選定ではないという説もあることを、ネット記事で読んだのですが、
ここでは定家が選定したとの形で書いていきます。

小学校から、中学校そして高校で百人一首を覚える授業があったことを覚えています。
上の句に合わせて、下の句を覚えることが大変だったことを記憶しています。

もっぱら坊主めくりの方が楽しみでした。
蝉丸が特別な札なのは、全国共通でしょうか。

小倉百人一首の歌は、
一句一句はなぜ選ばれたのか、なぜこの歌なのかについては、
様々な学説があるようです。
私は容易に触れられるレベルの話では無さそうなのでので、触れていません。


百人一首は、
奈良時代から平安時代、そして鎌倉時代にかけて
詠まれた数知れない和歌の中から百首、選ばれています。

和歌は、「五、七、五、七、七」という31文字の中に、
季語や詠み手の様々な心情が込められてます。

31文字という、短い句の中に込められた、詠み手の心のうちや想いが、
百人一首が選定された時代から今日まで、
読む人の胸に響いたのではないでしょうか。

そこには、たくさんの共感があったのでしょう。


和歌とショート動

和歌は、鎌倉時代から詠まれたのではなく、もっと以前から詠まれていました。
小倉百人一首が編纂されたのが、鎌倉時代、風の時代になります。

そして、今は、様々な媒体を使った表現が可能です。
その中でも、ショート動画の特徴には、和歌と似ているところがあるように感じます。

ショート動画の特徴を3点挙げてみます。

  • 限られた時間内で表現を行う

  • 構成がシンプル

  • 共感によって拡散される

次に、和歌の特徴を3点挙げてみます。

  • 短い句の中に、様々な想いが表されている

  • 基本的に「五、七、五、七、七」で構成される

  • 当時には、拡散力のあるメディアであった


ショート動画は、数十秒から~数分程度という
限られた時間の中で、表現を行います。
(Youtube Shorts、Instagram リール、TikTokなど)
テレビ番組や長い動画と異なり、構成がシンプルという点では
短歌の「五、七、五、七、七」構成と似ている点と考えることができるでしょう。

また、ショート動画は、基本的には誰もが投稿することができます。
視聴数が増加する要因として、「いいね」や「コメント」の数があります。
動画への共感を示す指標と言えます。

SNSによって容易にシェアされることから、拡散されやすい性質があると言えるでしょう。

和歌は、当時では、大変拡散力のあるメディアだっだと言われています。
拡散力という点でもショート動画との共通点があるように思えます。

神代の時代から日本では「和歌」がとても重要な役割を果たしていました。
求婚や政(まつりごと)など人生の一大イベントでの勝負は和歌が上手に詠めるか否かにかかっていましたし、
気軽に旅などできない時代には、和歌は今のSNSと同じような拡散力のあるメディアでもありました。

和楽web「和歌の神様は絶世の美女だった!藤原定家も紫式部も注目の「衣通姫」って何者?」(小学館より)

このように、
ショート動画と和歌には、大変よく似たところを感じます。


百人一首は、
平安時代から鎌倉時代にかけて、たくさん詠まれた和歌から、
鎌倉時代に、百人一首として選定されたと伝えられています。

選ばれた歌人の中には、身分は高くなかったが、歌人として名をはせた歌人も含まれているとの説明がされています。
(名古屋刀剣博物館ホームページ 小倉百人一首の歌人一覧より)

「五、七、五、七、七」という31文字に思いを表現する和歌と、
限られた時間の中で表現を行うショート動画は、
「風の時代」のひとつの特徴なのかもしれませんね。

最後まで読んで下さり、ありがとうございました。


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