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どうしてお父さんは会社に行かないの?②

 娘が小学4年生の頃、友達から無視されるようになったことは知っていたし、5年生ではいじめに発展したことも知っていた。全て妻から聞いていた。娘からは何も聞いていない。学校に行きたがらない娘、無理に行かなくていいと言う妻、相談もしていないのに横から口出ししてきて学校に行けという俺。娘の瞳には父親の俺がどんなふうに映っただろう。

 娘の将来を考えての事だった。子供の幼稚な人間関係の悩みで閉じこもるようでは、将来自律できないのではないかと心配だった。大人になってからの人間関係の方が複雑で面倒だ。横のつながりだけじゃなくなる。上下関係がうまれ、空気が読めなければ社会の輪に入れない。礼儀や謙虚さを身につけ、挨拶しない奴にも挨拶をし、腰を曲げて謙り、そうしてようやく社会の中で生きていけるようになるのだ。社会に出ても大丈夫なように、今から忍耐力を身に付けていかなくてはならない。子供の頃のいじめなんて、社会に出る前の予防接種みたいなものだ。行きたくないから行かなくていいなんて、浅はか極まりない。妻は娘の味方をしているように見えるが、その選択は娘のためにならない。本当に娘の事を思うなら、学校に行かせるべきだ。

 これは父親なりの愛だ。厳しくも、心の底では深く愛している。言葉にせずとも、大人になれば俺が言わんとしていたことがわかる時が来るだろう。俺がそうだったように。

 俺の父も厳しい人だった。箸の持ち方、食べ方、姿勢、挨拶や返事の仕方にもケチをつけて怒鳴るような人で、どうして父はこんなにも短気なのかと決して口にしないが疑問に思っていた。しかし大人になるにつれて、どうして父が厳しく叱っていたのかわかった。どうやら親に生優しく育てられた奴は、そういった当たり前なことが出来ない生温い中途半端な大人になるようだった。俺は、父に厳しく言われた事はちゃんと言う通りに直したから、「お箸綺麗に持つのね」「残さず綺麗に食べてえらいわ」「誰よりも大きな挨拶で素晴らしい」といつも周りの人間に褒めてもらえた。褒められた後、思うのだ。俺はちゃんとした人間になれているんだと。そういう自負があった。父が厳しかったのは俺のためだったのだ。

 社会に出てみれば尚のこと思う。周囲の人間のまるでなっていないこと。いい大人がきちんと箸も持てないのか、くちゃくちゃ口を開けながら食べるな、会議中くらい猫背で座るな、返事は元気よくハイだろう。なんでそんな当たり前のことが社会人になってできないんだ。親は一体何を教育してきたんだ。そんな事を思っているうちに確信になる。俺の父は正しい教育をしてくれた。

 俺も小学生の頃学校に行きたくない時があった。ガキ大将に目をつけられて、パシリにされはじめた時だ。今日は行かない、体調が悪いと言って学校を休んだ。次の日には父に布団を剥がされ、行けと怒鳴られ、嫌だと言えば殴られた。殴られるよりはマシと思い、学校に行ってパシリになった。中学生までパシリだった。大人になって社会の荒波に揉まれたが、上下関係はそこまで苦にならなかった。パシリをしていた事で人様のご機嫌の取り方は学んだし、面倒な人間をかわすのも上手くなった。新人時代に仕事を辞めていった同僚達を見て、俺の人生は正しかった、勝ったとさえ思った。あの時父が殴ってでも俺を学校に行かせたから、今こうして社会の荒波の中でやっていけている、そう強く確信した。

つづく

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