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「逃げない、はればれと立ち向かう」(岡本太郎『孤独がきみを強くする』を読んで)

本書は、岡本太郎の14冊の書籍、4つの雑誌・新聞記事から抜粋した言葉による、いわば名言集のような内容である。だがどこからどう切り取っても、岡本太郎は岡本太郎。「金太郎飴」ならぬ「岡本太郎飴」である。

岡本太郎の言葉にふれると、とにかく勇気が湧いてくる。世間の常識にからめとられて、しなびてしまった魂に、再び鮮烈な血潮を蘇らせてくれるような熱さ。日本的な和の精神に真っ向から対峙するかのような個の精神。

いや、「和の精神に対峙する」というのは正確ではないかもしれない。単音ではなく和音。単色ではなく多色。そのぶつかり合いが生む調和、ハーモニー。それが岡本太郎の考える「和」なのだろう。

だから周囲に遠慮して自分を閉じるのではなく、自分を開ききることを太郎は求める。閉じようとする自分との絶え間なき闘い。その闘いは孤独であるが、それゆえにふくらみ、開いていく。試練や困難をむしろ生きがいにして面白がり、楽しむ。「逃げない、はればれと立ち向かう」。それが岡本太郎の生き方だ。

岡本太郎の言葉がいつも生き生きしているのは、そこにいつも死があるからだ。人間はいずれ必ず死ぬという虚無感。そこから逃げない。無意味を前提として背負い込む。だからこそはればれと生きることができる。それを生きる意味と言えば言えるのかもしれないが、そんなことは太郎の知ったことではないだろう。

ところで、太郎の「個」とは何だろうか。個人・個体としての「個」なら、死を恐れ、それを回避しようとするのが当然である。でも太郎の「個」はむしろ死に挑む「個」である。だとすれば、その奥には個人を超越した「個」があるのではないか。宇宙全体と一体となった個、その意味で不滅の個。仏教の言葉で言えば「一即一切」。宇宙を内包した個である。太郎は言う、「単数であると同時に、複数者であるものこそ、ほんとうの人間だ」

悟りの世界にはあらゆる区別は存在しないという。岡本太郎が悟りを得たかどうかは知るよしもないが、太郎が独自の世界観、宇宙観を持っていたであろうことは疑いのないことだろう。そしてその世界を覗き込むことで、僕らは現実の世界の虚しさを知り、それを破るエネルギーを得ることができる。それは岡本太郎が今もまだ生き続けていることの証でもある。


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