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具体的な労働と時間を回復するために(内山節『労働過程論ノート』を読んで)

資本主義的生産様式を「生産ー労働過程」として捉える視点は、さまざまな問題を整理する上で非常に役立つものだと思った。

「生産過程」と「労働過程」の分離・二重化。そして「協業」から「分業」への移行。それは「具体的労働」から「抽象的労働」への変容であった。

時間論の視点から見れば、「協業=具体的時間を本質とする労働」、「分業=抽象的時間を本質とする労働」と整理することもできるかもしれない。

『資本論』における労働時間論は、結局は「労働時間の短縮」と「自由時間の増加」を目指す方向に向かったが、植村邦彦『シュルツとマルクス』によれば、これはシュルツの労働時間論をほとんどそのまま採用したものらしい。

『経済学・哲学草稿』などを読んでいると、マルクスの労働時間論は抽象的労働、具体的労働という視点から深められていく可能性があった気がするが、そうならなかったのは少し不思議な気がする。当時の過酷な労働環境が、マルクスをより現実的な対応へと向かわせたのかもしれない。

『労働過程論ノート』を読んで、改めて「労働力商品」という概念を把握し直すことができた気がする。労働力商品とは、経済学という「モデル」を成立させるために、労働者の実存を抽象化し、概念化したものだと。

その結果、労働者はマルクス主義においては主体ではなくなってしまわざるをえなかった。そうではなく、具体的な実存としての労働者を主体とした資本制社会の把握が必要である、と本書は問題提起する。

私的所有という概念も、この労働力商品を成立させるためのものだったのか? なぜなら、「時間の私的所有」こそ、労働力商品の成立の前提にほかならないのだから。

やはりこれからの社会の課題は、具体的労働の回復、具体的時間の回復、つまり全体性と結びついた時間と労働の回復なのだろう。

再びマルクスが注目されているいま、この『労働過程論ノート』もぜひ読み直されて欲しい。


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