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大人になってから見た「ムーミン」

テレビで「ムーミン」が放送されているのを久々に見た。その内容に僕はちょっとびっくりしてしまったのだが、ストーリーはこんな感じである。

……ムーミンパパの提案で、「砂の彫刻づくり大会」を砂浜でやることになった。みんなに芸術の素晴らしさを見せつけたい芸術家のフィヨンカさんは、自分の子どもたちに「素晴らしい芸術作品を作りなさい」と命じる。

本当は好き勝手に作りたい子どもたちだが、仕方なく「芸術作品っぽいもの」を作り始める。ミイに「好きなもの作ればいいじゃない」と言われても、「いや、ママに怒られるから……」と、仕方なく作業し続ける。

終わりの時間がきて、さあ帰りましょうとなったとき、フィヨンカさんは、「どれが一番か決めないんですか?」と、ムーミンパパとヘムレンさんにつめよる。でもパパたちは、「そんなこと考えてもいませんでした……」「みんなじゅうぶん楽しんだし、それでいいんじゃありませんか?」。

納得のいかないフィヨンカさんの後ろで、子どもたちはいつの間にか、好きなものをはしゃぎながら作っていた。

……と、こんなお話だった。

なんてことない話のようだが、大人視点で見ると、これはもう人生の縮図そのものである。フィヨンカさんの子どもたちは、最後まで言いつけを守ることができずに、好きなものを作り出してしまった。そこに救いを感じる。

ところで、芸術作品と言えば、画家の山口晃さんが面白いことを言っていたので、少し長くなるが、引用してみたい。

「小手先、手駒、以前にやったやり方をなぞってやったら、非常にスピーディに、絵がある一定のクオリティに達するんです。だって、ただの『反復』ですから。そうすると、だーいたい、気持ちが悪い。〔中略〕手に負えないものであるはずの『絵』を、手なずけてしまった、貶めてしまった。とにかく、絵として手堅く納めてやれば、まわりの人たちも、『お、いいですね、いやあ、ありがとう』とお礼を言ってくれますが、『はい、ええ、こちらこそ、ありがとうございます。アハアハ……やめちまえ!』というようなね、なーんかズルした感じ。だって失敗すらしていないわけですから」
(「山口晃の見ている風景 第三回」『ほぼ日刊イトイ新聞』)

ここで言われる「ただの『反復』」とは、まさにフィヨンカさんが子どもたちに求めたものだろう。

確かにそうすれば「一定のクオリティに達する」し、周りの人たちも評価してくれる。でも自分の本心は「……やめちまえ!」。

これは人間の生き方についても言える気がする。自分の魂の声を黙殺して、危険な道を回避し、「失敗すらしない」生き方。人生の「手に負えなさ」を味わうことなく、手堅く納める生き方。

周りの評価は上々だろうし、自分でもそれなりにうまくやったと思う。でも心のどこかで「子どもの自分」は叫ぶのだろう、「……やめちまえ!」と。

子どもの頃にムーミンを見ていたときは、みんなの調和を乱しがちな「ミイ」の存在は、ひとつの不安要素だったように思う。ところが、大人になってムーミンを見ていると、ミイの存在がむしろ僕らを「ホッ」とさせてくれる。

それは、ミイが自分の中の「子どもの自分」、あるいは「魂の声」のようなものを代弁してくれているからかもしれない。

アニメとはいえ、大人向けのドラマなんかよりよっぽど内容があるように思える「ムーミン」。僕は正直あまり見たことがなかったが、なるほど大人のファンが多いのも納得である。

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