ザッケローニの「人間を見るまなざし」
かつてサッカー日本代表を指揮したザッケローニ監督。ワールドカップで結果を残すことはできなかったが、僕の大好きな監督の一人だ。
日本代表監督に就任してまだ間もない状態で、あっという間に選手とチームを掌握した手腕は、見事というほかない。それは、彼の人間性のなせる技だと僕は思っている。
僕が最初に「おっ」と思ったのは、たしかアジアカップ第一戦の試合後。
例によってカメラの前でインタビューに答えたあと、ザッケローニはインタビュアーに手をさしのべ、自ら握手を求めたのである。
インタビュアーはふいを突かれて「ど、どうも(笑)」といった感じだったが、明らかにうれしそうだった。試合に勝って機嫌が良かったのかとも思ったが、浮かれている様子は全く見られなかった。
ザッケローニは、インタビュアーを単なる「インタビュアー」として見ずに、ひとつの人生を背負う、ひとりの人間として接している。僕にはそう見えたのである。それは人間に対する敬意と言ってもよい。
インタビュアーに対してこのような接し方をするザッケローニが、選手に対して同じように接しないはずがない。彼は選手たちを見るときに、その背後にある、一人ひとりの人生にも目を向けている。そしてそれぞれの人生に対して敬意を持って接しているのではないだろうか。
しかし彼がこのような視点を持てるということは、彼自身の人生が平坦ではなかったことを意味している。そこでちらっと調べてみると、やはりそういうエピソードがあった。
「地元メルドラでサッカー選手をしていたが、肺の病気や怪我に苦しみ、二十歳を前にして引退した。現役時代のポジションはサイドバック。その後は、家業のペンションの従業員を務めたり、保険代理店を経営したりしながら、指導者の道を目指した」(ウィキペディアより)
選手がザッケローニに寄せる信頼は、彼が持つ「人間を見るまなざし」によるところが大きい気がする。この点は、彼の前任のオシム監督とも通じるものがある。
会社の上司と部下の関係でも同じである。単に「会社の駒」として部下を見る上司より、部下の人生も見据えながら采配してくれる上司に、部下は絶大な信頼を寄せるものだろう。そこには、人間に対する敬意があるからである。
香川が負傷してチームを離れたとき、ザッケローニは取材にこう答えた。
「サッカーは人生と同じで不測の事態が起こるもの。前に進むだけだし、良い準備をして優勝カップを持ち帰りたい」
この言葉を語ったとき、彼の脳裏には、彼自身のこれまでの人生が思い浮かんでいたのかもしれない。
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