もあ

下書き消化中。固定記事から飛べる新しい場所で書いています。

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マガジン

  • 旧約聖書みたいなもの

    2022年3月までの日記です。過去に興味を持っていただけた方にはぜひ読んでいただきたいです。

  • もっと黒い猫

    魂を削って書きます、不特定多数にはみせられない頭の中を。どうか、あたたかい目で。

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アカウント(ゲロ袋)移行します

このアカウント(と記事)を残すかは置いといて、黒い猫(もあ)さんは星に帰ります。この先この場で文字を紡ぐことも、エッセイみたいな日記みたいなゲロ袋をネットの世界に放つこともありません。 書くことでどうにか保てた己の生命、書くことによって失った友達(その節はごめんなさい)、すべての経験を通して、たくさんの得るものがありました。わたしは"成長"という単語がゴミクソにきらいなので使いませんが、noteという媒体にであえてよかったと心から思っています。 さて、黒い猫(もあ)は里に

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    • 救われるだけの人生。

      とある過去の、その当時に大切にしていた気持ちなんてほとんど覚えていないし、その当時に抱いた感情なんてほとんど溢れてしまっているから、いまのわたしに過去のわたしのことは何もわからないけれど、たまに、本当に些細なことをきっかけに蘇るものがある。わたしの場合はそのほとんどが”匂い”をきっかけにしたものなのだが、それと同じくらい、小学生の頃から聴き続けているとあるロックバンドの曲が引き金になることがある。死にたかった夜、死んだほうがマシだと思った夜、生まれてこなければよかったと思いか

      • いつだかの日記たち。

        6:30 最寄りを7:20に発する電車に乗って、8:30から上映される映画「SABAKAN」を観に行こうと試みるも、6:30のアラームに勝てず二度寝をする。昨夜はかなり遅くに帰宅したので起きられないのは仕方ない。早起きができれば映画を観に行こう、早起きができなければ、そのときは別のプランを考えようとは思ってもいた。早起きはできなかった。 結局7:20頃にぬくぬくと起床し、ドクターシーラボの泡洗顔で顔を洗う。雑につくった水出しコーヒーを飲みながら、今から"のんびり"準備をして

        • 強がらせて。

          最後は傷ついて終わるとわかっている関係に手を出してしまう愚かなわたしのことを、わたしはやっぱり嫌いになることができなかった。生産性のない関係を心地よいと思っていたのは、わたしだけだったのかもしれない。最初からずっと、傷つくタイミングを先延ばしにしていただけだった。あのときのわたしは、いつか必ず泣いてごはんの味がしなくなるであろう'未来のわたし'にごめんなさいと手を合わせながら、深い夜に陶酔することを選んだ。そのツケが回ってきただけ、因果応報、自業自得、おとなになったわたしはむ

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        • 旧約聖書みたいなもの
          119本
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        • もっと黒い猫
          13本
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        記事

          わたしが息をしていることをさ、愛しているひとのことをさ、わたしは愛してやれないんだ、ずっと。ごめんね、ごめんね、って言えてしまうことに、ごめんね。

          わたしが息をしていることをさ、愛しているひとのことをさ、わたしは愛してやれないんだ、ずっと。ごめんね、ごめんね、って言えてしまうことに、ごめんね。

          浅い呼吸を。

          一昔前よりも書かない日のほうが増えたとしても、またいつか戻ってこられるようにと、noteのアカウントを消せずにいる。苦しいときに息継ぎができる場所は、多いほうが良いだろう。たぶん。わざわざ自らの手で抹消する必要はない。たぶん。 過去の記事をすべて消して一新しようと思うのだけれど、記事を消すことすら面倒くさい。面倒くさいというか、時間がない。わたしはずっと時間を眺めていたいのに、気づけばいつも時間に追われている。 □ 相変わらず、「意識的に呼吸をしないと息をすることを忘れ

          浅い呼吸を。

          知らんぷり。

          お久しぶりです、という挨拶すらも野暮ったい。 24歳のわたしは、何のために生きていて、誰のために暮らしているのかわからないまま、当たり前のように流れていく月日をぼーっと眺めている。変わり続ける日々の渦にちゃんと吞まれていいる気もするし、ひとりだけぽつんと取り残されている気もしている。こういう文章を、わたしはnoteで3年前から書き続けている。何の意味もない。わたしが抱え続けるしかないであろう抽象的な鬱がよくなる気配はない。文章を書いたところで、悩みが解決するわけがない。誰の

          知らんぷり。

          寒いですね。

          今季もまた、衣替えのタイミングを逃した。いつも、どのタイミングで長袖を着るべきか、コートを出すべきか、マフラーを巻くべきか、わからなくて、街行くひとの服装をチラチラと横目で伺っている。「沖縄に四季はないからね。”夏、夏、涼しい夏、涼しい秋”で一年を回しているから」と言い訳を述べると、「でものあちゃんこっちに来てもう6年目でしょ」と鼻で笑われる。でも、仮に東京生まれだったとしても、24年間、四季を感じながら生きたとしても、わたしは自分のタイミングで衣を替えられなかっただろうと思

          寒いですね。

          ”良いこと”だけを知ったところで。

          「人間は誰しも、決して他人には言えない秘密をひとつやふたつ持っているものだろう」と呟けるおとなのことをずっと、かっこいいと思っていた。心のどこかでその言葉に憧れ、それこそが'真意'だと信じたかったのかもしれない。他人に言えない秘密を抱えて日々を送ることを「生きること」だと勘違いしたまま、今日という日まで生きてきてしまった。 それなりの年数を生きてきた現在は、他人に言えない秘密を持たずに生きているひともいるということを知った。いや、「他人に言えないような秘密はあるけど過去に置

          ”良いこと”だけを知ったところで。

          それぞれの生存戦略で。

          幼心に気づいていた、わたしが抱いている漠然とした悩みには、わかりやすい解決方法はないだろう、と。「どんな悩みか教えてごらん?」と首を突っ込んでくる大人に打ち明けると決まって、「もあちゃんはオトナになるのが周りの子よりも早いのね」と言われた。この生きづらさは加齢と共に薄まるものなんだ、と信じて、わたしはわたしなりに踏ん張って頑張って、生きてきたつもりだった。 「社会人」と呼ばれるものになって2年目に突入した。つい最近、合法的に飲酒ができるようになったというのに、もうすぐ24歳

          それぞれの生存戦略で。

          どうせ満たされないんだから。

          これまでの人生に何度か「この世のすべての人が、どちらかといえば幸せになって欲しいと思っている」と言ったことがあるが、わたしはずっと嘘をついていたのかもしれない。本音というものは自分でもわかっていないことの方が多くて、ほとんどの場合は外的要因によって気付かされる。否応なしに。 わたしは、この世のすべての人が、どちらかといえば不幸になってくれたほうが助かる。もちろん人類の不幸を積極的に願っているわけではないが、冒頭で書いたように万人に幸せになってほしいとはまったく思っていない。

          どうせ満たされないんだから。

          社会不適合者、とは言えない程度の。

          2022年3月3日に書いて眠らせていた下書きを成仏させます。 □ これは、心の状態があまりよくないときに書いている文章である。こういう「前置き」をしていれば何を書いても許されるのかと言われればそんなことはないが、一応これを書いておくのは、わたしが心のどこかではまだ「良い人でありたい」と思っているからで、「四六時中こういう捻くれ方をしているわけではない」と自分自身のことを擁護したい気持ちがあるからだ。 なんとなく生活の中に雑音を織り交ぜたくなって、久しぶりにつけたテレビの

          社会不適合者、とは言えない程度の。

          少しは馬鹿な方が可愛い、ですか。

          「おれ、馬鹿な女の子は嫌いなんだよね」って、昔遊んでいたひとがよく言っていた。わたしは、「馬鹿なら、女の子でも男の子でも男の人でも女の人でも嫌いだ」と笑った。 (そもそも【馬鹿】と言う言葉自体わたしは全然好きではないけれど、便宜上多用します。) 人間にはそれぞれキャパシティというものがある。特定のトピックス(例えば政治とかセクシャリティについてとか、何でもいいけど。)への関心度というか、情報感受性についても同じことがいえる。それらについての知識を得るために係る労力や得た知

          少しは馬鹿な方が可愛い、ですか。

          猫を生みたい女。

          「結婚についてはわかるよ。でもね、”出産をする”という選択肢を取ることが当たり前だと思っている人がまだまだ多い世の中で、わたしが居心地よく生きて生かれるわけがないよね。人間か猫、どちらかを産むか選べますって言われたら迷わず猫を選ぶわ。」 かれこれ4時間ほどハイボールを飲み続けている彼女は、一瞬の息継ぎもせずにそう語った。前回会った際に「頭が焼けそうなくらい痛かったブリーチを2回もした成果よ」と自慢げに話していたピンク色の長髪には「もう飽きた」らしく、いまは黒髪のボブヘアが「

          猫を生みたい女。

          死ぬために鍛える。

          人間が嫌いになったときは筋トレをするに限る。愚かな人間と違って筋肉は"絶対に"わたしのことを裏切らない。「筋肉も人間に含まれているだろう」という屁理屈を頭に浮かべた人がもしいたら、わたしはその人に向かって言いたい。だから人間が嫌いなんだ、と。 最近は家から徒歩3分の場所にある大手のサブスクジムで、筋トレと高レベルの有酸素を本気でやっている。周りの目線に怯えていた思春期に初めたダイエットをきっかけにボディメイクの楽しさを知った。それに、身体に良い生活をすれば憂鬱な気分も少しは

          死ぬために鍛える。

          嫌いになって欲しかった。

          愛想の全くないプロントの店員さんにいれてもらった赤ワインを啜りながら天皇に思いを馳せる15時。 誰かの何気ない一言でこの世のすべてが嫌になる。どれだけ楽しみにしているイベントがあったとして、その前日に死ねる権利が得られるなら迷わず人生を終わらせる。ずっと、生きている意味がわからない。物心がついた頃からいままで、己の実存を疑い続けながら生きている。自分は他とは違うんだ!と言いたいわけではなく、もっとナチュラルにネガティヴな疑問を長く薄く、抱いている。自分は、間違って生まれてき

          嫌いになって欲しかった。