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いつだかの日記たち。


6:30
最寄りを7:20に発する電車に乗って、8:30から上映される映画「SABAKAN」を観に行こうと試みるも、6:30のアラームに勝てず二度寝をする。昨夜はかなり遅くに帰宅したので起きられないのは仕方ない。早起きができれば映画を観に行こう、早起きができなければ、そのときは別のプランを考えようとは思ってもいた。早起きはできなかった。

結局7:20頃にぬくぬくと起床し、ドクターシーラボの泡洗顔で顔を洗う。雑につくった水出しコーヒーを飲みながら、今から"のんびり"準備をして向かっても間に合う時間に上映される「観たい映画」を探すためにスマホを弄る。そんなに都合よく「観たい映画」が上映されているわけないかと思いながらも、わたしは充実した土曜日を諦められずにいた。

タイミングを逃して観られていなかった《こちらあみ子》が、そこそこ近場で、会員にもなっているミニシアターで上映されていることに気づいた。これを観に行こう、と決めたところでようやく、朝のルーティーンに戻る。朝ごはんは昨日のうちにパートナーが蒸してくれていたさつまいもを食べた。

12:00
《こちらあみ子》を鑑賞できた。だいぶ前だが原作も読了しており、簡易的なレビューも目にしていたので心していたつもりだったが、それでもやっぱり辛かった。思わず笑ってしまう場面あったし救われる部分も少なからずあったけれど、"完全なる部外者"として、所詮は"フィクションを観る立場"としてしかあみ子と向き合えない中で、「良かった」や「悪かった」などといった感想を持つことはあまりにも卑怯なことのように思える。自分の中のあみ子に、君は気持ち悪くなんかない、と言いたい。教室の壁に均等に貼られた「夏至」の文字の方がよっぽど気持ち悪いよ、と。

わたしは、喜んであみ子とオセロをしたい。おとなになっても、気分が悪くなったら休ませてくれる「保健室」と、そこにいてくれる「保健室の先生」という存在があったらいいのに、と心から思う。


13:00
電車に乗り、ネイルを変えに隣町まで出かける。この街に引っ越してきて1年が経った。私が満足するネイルを施してくれるネイリストさんと、「いつもの感じで」と頼める美容師さんをみつけることができたのは最近のことだった。ネイルもヘアカットも結局は対人間が行うサービスだから、どれだけすごい技術があろうと波長が合わない方には「会いたくない」と思ってしまう。「会いたくない」と思うひとがいる美容院やネイルサロンへの足は遠のく。あたり前のことだ。いま頼んでいるネイリストさんは、最低限の会話(爪の長さやかたちの確認/色の変更があるかどうかの問い)しかしてこない。一番最悪なのは、初対面なのに仕事や家族や恋愛について、言葉を選ばずにズカズカと踏み込んでくるネイリストさんだ。あなたが「わたしのことを知りたい」と思っていないことはわかっている。無機質な質問を投げられる側の気持ちにもなってほしい。
わたしはそういう方と対面した際、息を吐くように自然に、嘘をついてしまう。できることなら嘘はなるべくつきたくはない。ただ、「場を持たせるため」だけにぶつけられた質問に対しては、反射的に嘘を吐いてしまう。防衛反応は勝手にはたらく。


ネイリストさんがこの日、わたしに発した"ネイルを施す上で必要ではない言葉"は「雨降っていましたか?」だけだ。それ以外は何も言わなかったけれど、決して無愛想ではない。無言が心地よいと思わせてくれる、とても素敵な施術者だと思う。彼女は来月この店をやめて、電車で1時間ほどの土地に自分のネイルサロンをオープンするらしい。「また伺いますね」と嘘をついた。

18:00
キラキラの爪を装った指と一緒に夜ご飯をつくる。帰りのスーパーでデミグラスソースと赤ワインを買った。赤ワインを飲みながらつくるビーフシチューは最高だ。味がではなく、気分が。ビーフシチュー用に買った赤ワイン、半分は調理に使い、半分はわたしの胃に収まる。あまり飲みすぎると気持ちが悪くなりせっかくのシチューが台無しになるので、気をつけなければならない。年々、「気をつけなければならない」と思うことが増えていく。


すばらしい土曜日を過ごせたこと、に満足している。おわり。

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